未来へ歩く

みどり

全てが終わり、新しい交流が生まれる

シルビアは強い。夫のガンツは、もっと強い。そんな夫婦は、王太子である兄フィリップが帝国の皇女から怪しい箱を贈られてから怒涛の日々を過ごしていた。


帝国の皇女は、フィリップを魅了魔法で操ろうとしていた。


魅了魔法が仕掛けられた箱はドラゴンの協力で無効化され、シルビアは急いで兄の部屋へ転移した。


もう間者はいない。シルビアは皇女が贈ったタイピンと箱を兄に渡した。


箱を部屋に置き、フィリップはタイピンを付けてシルビアと共に部屋を出た。防音の結界を張り、妹と情報をすり合わせる。


「シルビアもついて来い」


「ごめんなさいお兄様。わたくしは皇帝陛下をお連れしないといけなくて」


「……皇帝陛下だと?」


「詳しく話したいのですが、時間が無いのでしょう?」


「ああ……。ガンツはどうした?」


「ドラゴン様の所から転移して、騎士団の詰め所に戻られているかと」


「ドラゴン?! ……詳しく聞きたいが、後にする。良いか、なにか事を起こす前に、まずガンツと合流しろ」


「お兄様……そんなに妹が信用できませんの?」


「出来ないな。ガンツがいないとシルビアはすぐ暴走するし、寂しそうだ」


フィリップの予想外の言葉に、シルビアの足が止まる。フィリップは笑顔で振り返り、愛しい妹の頭を撫でた。


「父上は別件にかかりきりで頼れない。シルビア、頼むぞ」


「はい! お任せ下さい!」


兄妹は、それぞれの役割を果たす為に動き出した。


皇女と対面したフィリップの頭の中に野太い男の声が聞こえてくる。


『帝国の属国になれ』


フィリップは、必死で頭の中で囁く声に抵抗した。


『何故命令を聞かぬ?! まさか、我が国のように王位継承者は防護魔法を受け継ぐのか?!』


謎の声に抗うフィリップの前に、シルビアとガンツ、人間に戻った新皇帝夫婦と、メガネをかけた年若い男が現れた。


フィリップにもう一度魅了魔法を使おうとした少女は、実の兄を見て震え出した。


「お……お兄様……どうして……」


「ミリファ、もうやめろ! 父上は死んだんだ」


「死んでません! 父上はわたくしの中で生きておられます! わたくしは……どうしても父上のお役に立たねばならないのです!」


ミリファと呼ばれた少女の身体から、老齢の男性が現れた。黒いオーラを纏い、真っ赤な目と邪悪な笑みを浮かべる男は死んだ先代皇帝だった。


「……父上……」


「いちいち邪魔ばかりしおって! 死ね!」


黒いオーラを纏う男は、実の息子を無慈悲に殺そうとした。しかし、男は息子に触れる事はできなかった。


「未練だらけの幽霊のくせに生きてる者達の邪魔をするでない!」


欲に取り憑かれた先代皇帝は、めがねをかけた男が放つ炎に焼かれ昇天した。炎は幽霊だけを焼き尽くした。炎に焼かれたと思い身構えた皇帝は、驚きの声を上げる。


「あつ……くない……? 貴方の魔法は一体……?!」


「秘密です。彼はガンツ様の友人なんです。無理を言って今は我が国に滞在して頂いておりますの」


その言葉で、フィリップは男の正体がドラゴンだと理解した。


「感謝する……!」


フィリップと皇帝は、揃ってドラゴンに礼を言った。


「フン! ガンツの友人として手助けしたまでだ! 後で最上級の宝石を持って礼に来い! ガンツを連れて来ないと、会わぬからな!」


そっぽを向いたドラゴンは、そのまま姿を消してしまった。ドラゴンの消えた後には、丸い眼鏡が残されていた。


ミリファは何が起こったか理解できず、父を探し続けた。魔力を全て使い、魅了魔法を発動しようとした。しかし、どれだけ頑張っても魅了魔法が使えない。


ミリファが使った魅了魔法は、王位を継承した者だけが使える特殊なものだ。魅了魔法を使うには多くの魔力が必要で、先代皇帝は魔力が足りなかった。次期皇帝の息子に期待したが、真面目な息子は魅了魔法の受け継ぎを拒否した。そこで、先代皇帝は自らの死と引き換えにミリファに取り憑いた。ミリファは父の甘言に惑わされ、言われるままに身を削り続けた。


全て先代皇帝の思い通り事が進んでいた。


たったひとつの誤算は、自身の葬儀が終わる前に息子が皇帝になった事だけだ。正式に皇帝になるには魔法の儀式が必要だが、立会人はいなくても構わない。普通なら喪が明けてから皆が見守る前で儀式をするが、父の危険性を理解していた息子はすぐに即位の儀を行った。正式に皇帝になると、証と呼ばれる指輪が皇帝夫婦を守る。


だからミリファに取り憑いた先代皇帝は、息子夫婦をトリにするしかなかった。


ミリファは父を呼びながら、兄への恨み言を口にする。兄は必死でミリファと話をするが、ミリファは兄の言葉を一切聞かない。


「皇帝陛下」


フィリップが静かに声をかける。彼の表情は険しい。


「この度は、妹が多大なるご迷惑をおかけいたしました」


皇帝になった兄が床に手を付いて頭を下げる姿を見て、ミリファはようやく自分がどれだけの事をしたか理解した。父はどんな国の王族を相手にしていても、頭を下げたりしなかった。帝国はそれほどの大国だ。


兄もそうだった。だが、いつも堂々としている兄が涙を流して土下座している。


ドラゴンがミリファに取り憑いた先代皇帝を焼いて昇天させたので、少しずつミリファは自分の罪を理解できるようになっていた。ミリファは自分のしたことの恐ろしさにヘタリと座り込んだ。


「……あ……あ……わたくし……」


「ミリファ、謝罪しろ」


「は……はい……申し訳……ありませんでした……」


「謝罪を受け取るかどうかは、父と相談して決めさせて頂きます。だから頭を上げて下さい」


すぐには許さない。そう言外に伝えると、皇帝は静かに頭を上げた。


「相談して頂けるだけ、ありがたいです。それから、シルビア様とガンツ殿に心からの礼を。我々を元に戻して頂き、妹を救って下さってありがとうございました」


妃と共に再び頭を下げる皇帝に、シルビアは笑いかけた。


「わたくしは、民を思いやる皇帝陛下を信じただけです」


「シルビアの言う通りです。自身が危機に瀕している時にこそ、人の本性が出る。あの時の皇帝陛下の言葉は本物だった。だから我々はできる事を全てやろうと思った。皇帝陛下がミリファ様を救ってくれと頭を下げなければ、きっと我々の行動は違っていました。ミリファ様がご無事なのは、ひとえに皇帝陛下のお人柄にございます」


「お兄様……どうしてわたくしなんかのために……」


「ミリファは私の大切な妹だ。それ以外に理由はない」


「……だって……お兄様はわたくしが嫌いなんじゃ……」


「皇帝陛下が我々に謝罪したのは、ミリファ様の為ですよ」


「わたくしの……為?」


「ええ、ミリファ様は俺を魅了魔法で操ろうとしたでしょう?」


「……は、はい。申し訳……ありません……」


「借りを作りたくないのなら父の亡霊のせいだと言い張れば良い。もしくは、ミリファ様を罪人として我々に引き渡せば良い。だが、皇帝陛下は我々に頭を下げた。ミリファ様を守るためです」


「あ……」


「全ての兄弟姉妹が互いを思いやっているとは申しません。憎み合ったり殺し合ったりする兄弟姉妹もいるでしょう。ですが、ミリファ様の兄上は違う。皇帝陛下は、貴女を大切な妹だと思っていますよ。でないと、頭を下げたりできません」


「私はずっとミリファを大切に想っていた。だから……近寄れなかったんだ……。私が大切にしているものは、全て父に壊されるから……」


「わたくしも、最初はお飾りの妻でしたものね」


「……すまん……今は違う!」


「知っておりますわ。アナタは不器用で、警戒心が強くて、とっても優しいお方。ミリファ様、お誕生日にいつも大きな魔石が届いていたのをご存知?」


「ええ、父上からだと思っていたけど……」


「貴女が大好きな、兄上からだったのよ」


「……だから父上は、何度お礼を言っても知らん顔だったのね……」


「あの人は、自分の子の話なんて聞かない。聞くのは自分が命令する時だけだ」


「そっか……わたくし……父上に愛されていなかったんだ……だけど……お兄様が……わたくしを愛してくれていたのね……」


互いに抱き合う兄妹を眺めながら、フィリップがため息を吐いた。


「はぁー……シルビア達が必死で助けた皇帝陛下夫婦とミリファ様を許さないなんて……あの父上が言うと思うか?」


「思いませんわ。お父様はわたくしにとっても甘いんですもの。それに、お兄様だってわたくしと同じ気持ちでしょう? あーんなに怖いお顔をなさっていたけど、頬が引き攣っておられたわ」


「そうか。俺もまだまだだな」


「これから精進なさって」


「知らん顔するなよ。俺が即位したら、シルビアをこき使ってやるからな」


「まぁ怖い。でも、お兄様にこき使われるなら楽しいかもしれないわ。だって、ガンツ様とずっと一緒にいられるのでしょう?」


「そうすればシルビアは普段の倍は働くからな」


「あら、10倍ですわよ」


「ならますますふたりを離すわけにいかないな。シルビア、皇帝陛下達を送って差し上げろ。皇帝陛下、謝罪は受け取りました。詳細は後日改めて。まずは国にお帰り下さい」


「なっ……良いのですか?! 我々は国王陛下に直接謝罪するまではこちらにいないといけないと……」


普通なら、そうだ。国のトップに謝罪しないまま去るなんてありえない。


国を乗っ取ろうとしたのだ。殺されたっておかしくない。帝国を手に入れる大義名分もあり、領土を増やすチャンスでもある。


だがフィリップは、魅了魔法のせいで国内がガタガタになっている帝国を手に入れるより、恩を売って帝国と有利な同盟を組む方が得だと自分自身に言い聞かせた。


突然帝国を併合するより、手を組む方が他国の反発も少ない。魅了魔法の件はほとんど漏れていないので、帝国の弱みを握る事も出来る。


父に並べ立てる言い訳を心の中で数えながら、フィリップは温和な笑みを浮かべた。


「この件は俺に一任されていますから問題ありません。ミリファ様の魅了魔法が解けたなら、国内は混乱しているでしょう。早く戻り、政治を行った方が宜しいかと。シルビアとガンツを使者として送ります。シルビアならいつでも戻って来られますから。ガンツ、しばらく第三騎士団は休みにしておく。今回の件の褒賞だ。皇帝陛下、今後は仲良くできることを祈っておりますよ」


「……本当に……ありがとうございます……! もちろん、きちんと賠償もします!」


「承知しました。その件はまた改めて伺います。シルビア、あちらではお前のやりたいように動いて構わない。ただし、事前に必ずガンツの許可を取れ」


「もう! 相変わらず妹を信用しておりませんわねぇ。まぁ良いですわ。お兄様、行って参ります」


「行ってこい。頼んだぞ」


「お任せ下さいな。さぁ、帝国まで一気に転移しますわよっ!」


シルビアは転移魔法を発動して、皇帝陛下夫婦とミリファ、ガンツと共に消えた。


「あの子はいつの間に帝国まで一気に転移できるようになったんだ……! はぁー……これから父上に説明か……頑張ろ……そうだ。精霊達を連れ戻して……」


忙しい王太子は、足早に執務室に向かう。


後日シルビアの暴走をガンツが止めたと聞いて、彼を同行させて良かったとホッとした。


仕方ない妹だとぼやきながら、フィリップは笑う。妹が幸せなら、兄も幸せなのだ。

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