瞳の奥の肖像

ゼン

瞳の中に私はいない

 「どうして、こうなっちゃったのかな……」


 一人で住むには少し広く、空白が増えた部屋に私の声が響いた。

 家具が減った部屋は音をやたらと反響させる。その音が、彼はもう返事をしてくれないという事実を突きつけてくるようだった。



 彼と付き合い始めたのは大学一年生の春、今から二年前の事だった。

 私は長野県のとある田舎の出身だ。大学入学に合わせて上京したのだが、初めての東京、初めての大学生活で右も左も分からない。友達は頑張って作りに行かなきゃならないなんて、そんな事も知らない田舎者だった。

 そんな私に声をかけてくれたのが彼だった。

 少し癖のある茶髪に、気弱そうなタレ目。恰好はすごくお洒落なのに古めかしい眼鏡を付けているのが印象的だった。


 「君、良かったらグループワークの課題一緒にやらない?俺らのとこ一人足りないんだよね」


 彼は見た目とは裏腹に社交的な性格で、すぐに仲良くなった。そして私に友達が少ない事を知ると色んな人に紹介してくれて。私の大学生活は彼のおかげで始まったんだ。

 そんな彼に私が恋をするのは、難しい事じゃなかった。

 初めて遊びに誘った時にはすごく緊張した。でも返事をくれた時はそんな事忘れるくらい嬉しかった。

 告白した時はもっと緊張した。でも同じ気持ちだって知った時は人生で一番嬉しかったかもしれない。

 それからしばらく後に私は彼と付き合うことになって、一年後には同棲を始めた。

 順風満帆な私の大学生活。二人で借りた部屋にはどんどん物が増えていった。彼と一緒で、彼と一緒に彩られていく私の人生がずっと続く。

 そう思っていた。


 いつも通りの一日だった。私は彼の好きなオムライスを作っていて、今日こそはうまくトロトロの卵にしようと準備をしていた時だった。


 「別れよう」


 彼が珍しく台所に来て、私の隣に立つとそう言った。


 「え、なんで?……なんでそうなるの?」


 私には何にもわからなかった。いつも通り楽しく過ごして、これからもその時間が続くと思っていたから。

 彼は「ちゃんと考えればわかるはずだよ」と一言だけ残すと、私の言葉も聞かず部屋を出て行った。部屋には二人分のオムライスと思い出ばかりが詰まった物達が残っている。


 だがそれも三日後には消え去った。



 空白の増えた部屋で一人横たわる。

 私の手の中には、彼が忘れていったスペアの眼鏡が握られていた。

 私は試しに眼鏡を自分にかける。さして目が悪くない私の視界はグニャグニャと曲がって気持ちが悪かった。


 「わかん、ないよ……」


 彼の匂いが消えてしまった毛布に顔をうずめて涙を流す。そうして彼の痕跡はまた一つ、また一つと消えていった。


 眼鏡をかけて、涙を流す。

 なんど繰り返しても、私には彼が見ていた世界は見えなかった。

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瞳の奥の肖像 ゼン @e_zen

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