第9話 ダンジョンが出現した世界と出現しなかった世界

 蓮はほっと息をついた。


 公園にある小高い丘のうえだ。戻ってきたのだ。彼はあたりを見回した。まだ日は高い。さして時間は経過していないようだ。


「え……どこ、ここ?」


 蓮のとなりには、聖奈というかわいらしい少女とその両親、さらに政府のお役人だという男がいた。蓮以外の四人は、落ち着かない様子で公園に目を走らせている。


 丘から見える遊具、ベンチ、街路樹、少しばかり古びた街灯に、日の光を受けてきらきらと輝く遠い町並みまで……四人は無言で会話するように視線を交わし、やがて政府のお役人が蓮に話しかけてきた。


「蓮さんはこちらから入ってきた……ということで、間違いないんですね?」


 お役人の表情は、しごく真剣である。


「そして、ダンジョンと呼ばれるものはこちらには存在しない、と……」


「フィクションとしてなら、もちろん聞いたことはありますが」


 お役人は顎に手をやり、難しい顔をしている。何度も町に目を走らせ、まるで見知らぬ異郷を観察するように、じっと視線をそそいでいる。


 蓮はそっと息をついた――ダンジョンに関する説明が聞けるのではないか、と期待していたのだが、あてが外れたのだ。


 聖奈たちも、お役人が考え込んでいるのでうっかり口をはさめない様子だ。埒が明かないと思った蓮は、


「すみませんが、俺は――」


「なにか用事が?」


「いえ、いったんこのメガネを買った店まで行ってみようかと」


 蓮は掛けているメガネに指を添えた。お役人はハッとした顔で、メガネ……とつぶやいた。


「失礼ですが、こちらに来る経緯をお聞きしても?」


「かまいませんよ」


 と、蓮はかいつまんで説明する。怪しげなメガネショップでのやり取りから、今いる公園の丘まで行き、唐突に景色がゆがんだことを。


「その店員さん、すごく怪しそう……」


 聖奈の言葉に、蓮もうなずく。


「俺もそう思う。絶対なにか知ってると……ただ、こういうのって同じ場所に行ってもいないのが定番だから」


「うん、もう逃げてそうだよね」


「ただ、もしかしたらいるかもしれないと思って――期待はしてないけど」


 いえ、行ってみるべきです、とお役人が言った。


「我々も同行させていただいてかまいませんか? 道すがら、情報交換も行ないたく……確認せねばならないことも多いですから」


「この世界……ですか」


「蓮さんもすでに、感づいておられるのでしょう? 我々の世界では十年も前にダンジョンが出現しています。しかしこちらでは……」


「……ダンジョンなんてありませんね」


「それってつまり――パラレルワールドってことだよね?」


 聖奈がおそるおそるといった様子で言う。


「ここって、もう別世界の日本なの……?」


 おそらくは、とお役人は答えて、蓮を見る。彼は肩をすくめた。


「少なくとも転移前の景色と同じですから、たぶん――俺がいたほうの世界です」


 ため息まじりに蓮はまわりを見渡した。


 丁寧に芝生が植えられ、ベンチがあり、ベンチのそばに街灯がある。丘から見える公園内の風景も、公園のそばにある街路も、そして住宅街とその先にあるビルや小学校の校舎も、すべて蓮にとって見慣れた景色だ。


「そっちの世界はダンジョンが出現した世界で、こっちは出現しなかった世界ってことなんでしょう」


 正確には、とお役人が補足する。


「今、はじめて出現したわけです。蓮さんのスマホに表示された日時は我々の世界と同じでした。つまり、十年遅れでこちらの世界にもダンジョンが現れた……」


 モンスターが出現する不可思議な空間――ダンジョンについての定義は、実のところこれしかないらしい。蓮が行ったダンジョンは洞窟タイプだったが、森や砂漠、場合によっては廃墟や塔、さらには海に囲まれた孤島なんてのもあるという。


 モンスターを倒すことで魔光石なるものが手に入る。これが日本の重要な輸出産業のひとつになっているのだ、とお役人はメガネショップへ向かう道中、説明してくれた。


「蓮さんはギガント・キュクロープスを倒していらっしゃいましたね?」


「あの巨人のことですか?」


 歩きながら、蓮は眉をひそめる。


巨人キュクロープスにさらにギガント……?」


 なんだその「頭痛が痛い」みたいなネーミングは……と蓮は呆れる。となりを歩く聖奈が苦笑いで、


「えっとね、蓮くん……普通のキュクロープスは四メートルもないの」


「意外と小さい――いや、四メートルでも十分デカいな」


 しかしそうか、と蓮は納得する。


「確かに普通サイズでそれなら、十メートル超えのあれはギガントって形容しても違和感ないな」


「十三メートルもあるんだよ、ギガント・キュクロープス」


「人間の八倍くらいのサイズ?」


〔そんな化け物を殴り倒したのか、俺は……〕


 自分でやったことだが、未だに信じられない。


「その超巨大な巨人を倒したことで、蓮さんは超巨大な魔光石を手に入れているはずです」


 お役人が告げる。が、蓮は首を横に振った。


「あいにく、なにも出てきませんでしたが?」


「いえ、自動的に収納されているはずですから……メニューはダンジョン外でも使用可能です」


 こうだよ、と聖奈がハンドサインをする。人差し指を立て、つづいて親指をのぞくすべての指を立てる。


 すると、聖奈の目の前に画面が表示される。魔光石のほかに、ポーションや食料、水など様々な名称がずらずらと並んでいる。よくよく見るとスマホやペン、ノート、教科書や漫画のタイトルまで見える。


「あ! え、えっと――わ、私たちの世界では、自分の持ち物をこういう感じにするのが当たり前で――!」


 その、便利だから……! と言いわけする聖奈を尻目に、蓮は同じようにハンドサインをした。


――――――――――

ゴブリンの魔光石 5

ギガント・キュクロープスの魔光石 1

――――――――――


 蓮の画面に表示されたのはそれだけだ。


「ギガント・キュクロープスの魔光石、見せていただいても?」


「どうやって……?」


 お役人の言葉に、蓮は戸惑いを返す。表示はされたが、どうやったら取り出せるのか、皆目見当もつかない。


「画面タッチか、念じるだけでも出てくるよ」


 聖奈の手にスマホが出現する。同時に、聖奈の画面に表示されていたスマートフォンの文字が消えた。


〔こうか?〕


 蓮が戸惑いつつ念じてみると、バスケットボールよりも巨大な丸い水晶らしき物体が現れる。あまりの大きさに落としそうになって、思わず蓮は足を止めた。


「こりゃすさまじいサイズですね」


 お役人はもちろん、聖奈や聖奈の両親まで物珍しそうに腰をかがめて見入っている。〔ちょっと目立ち過ぎじゃないか……?〕と蓮は焦った。


 万が一、知り合いに見られたら――と危惧するが、そこではじめて彼は違和感に気づいた。もともと人通りは多くない。だが、それにしたって今日はあまりにも人がいなさすぎた。


 住宅街を歩いているというのに、誰ひとりとして行き合わない。それどころか、道路を走る車の姿さえない。

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