めがね

もと

たわむれに

 どこか遠くに行こうと思ってた。電車に二時間ぐらい乗って、海とか見えたら知らない駅で降りて、それから色々と考えようかな、って。

「ミカン食べなミカン、美味しいよ」

「ありがとございます」

「孫はみんな大きくなっちゃってね、正月にお年玉やる時ぐらいしか顔も出さないからね」

「ああ」

「アンタみたいに愛想のある子は可愛いねえ」

「ははは」

 なのに、たまたま席を譲ったおばあさんに懐かれた。話しかけられて構われてアメをもらってミカンを食わされて、砂糖の塊の後に柑橘とか酸っぱ過ぎて思考停止。なんだこの状況。街を一駅離れたら席もガラガラ。いつの間にかボックスシートが並ぶこの車両は僕とおばあさんの二人きり、変に良い子ぶって譲るなんてしなきゃ良かった。

「で、どこまで乗るの?」

「えっと、なんて名前の駅だったかな……」

 さっきまでは覚えてた感じで地図を開く。次の駅だと言うか、終点の駅だと言うか、次で降りて他の電車に乗り換えるか、おばあさんが終点から二番目で降りるとかだったら地獄だしな、うん。

「……あ、次だ、次で降ります」

「へえ、一緒だねえ」

「え、ああ、なるほど、そうですか」

「なに、親戚の家でも行くの? 大荷物で」

「はい」

「学校はもう夏休み?」

「はい」

「そうかい、最近の学校は早くに始まるんだねえ」

「……私立なんで、はい、公立とは少しアレなのかもです」

 あれ? 失敗したかも? おばあさんも降りるのか。次の駅までは後三分ぐらいで着くらしい。やらかしたな、地図を閉じる。まいったな、スマホをポケットにしまう。

 降りたらおばあさんと反対の方向の改札へ向かおう。簡単な挨拶をして急げば、別にいいでしょ。学校とかマジでもう、私立なんか知らないしホントもう、別にどうでもいいでしょうよ。

「あ、じゃあ降り……え?」

「はいはい、気をつけてねえ、ご親切にどうもねえ」

「これ、荷物ですか?」

「うん、このおっきいのバアチャンの荷物。ウフフフ、いいもん入ってんの」

 最初におばあさんを見付けたのは入り口近くに立ってる時だった、こんなの持ってたなんて、座席で死角になるとこに置いてたのか。大きい、四角くて馬鹿デカい深緑色の荷物がある。ドアはもう開く。僕の腰ぐらいまである荷物、おばあさんは布の結び目に肩を入れようとして、ドアが開いた、発車のベルがジリジリって、いや発車メロディとかじゃないの、そんなベルとか……ああもう、ホントなんなの?

「持ちます」

「あれま、ありがとねえ」

「はい、いえ大丈夫です、別に」

「重かったでしょ、助かったわ。持って乗ってきたのにね、サッと持つのはもうアレだわ年だわね」

「はい」

「どしたの、改札はコッチだよ」

「……あ、本当だ、ありがとうございます」

 ああ最悪だ。もうHPは0だ。人と話すのは苦手、ていうか嫌いだし避けて生きてきた。なのに知らない人と話すなんてもう最悪過ぎて死にそう。

「どの辺なの、親戚のうちは?」

「えっと、結構歩くみたいで……」

「じゃあバアチャンの車、出してやろか?」

「いえいえそんな」

「なんも気にしないで、いいからいいから。話し相手になってもらって、荷物も持ってもらって、バアチャン恩返ししないと地獄行きだわ」

「いやいやそんな」

 10分歩いたらうちに着くから、嫁さん運転できるから、息子の嫁さんは良い子でね、ああ重くない気にしないでいいの、あそこの畑でトマト採ってるのカワダさんだわ元気な人でねえ、つらつらうだうだ、もうダメだ。さえぎる間もなく僕の横でおばあさんは話し続ける。電車から降りる時はウンウン言ってたのに、今は自分の背丈よりデカい荷物を背負っておばあさんはスタスタ歩いてる。騙された気分だ。

「ああそこの、そのお地蔵さん可愛いでしょ」

「え、ああ……なんか、あれ蛙ですか?」

「そうそ、この辺はむかあしから蛙をまつってるの。蛙様の頭なでておき、したら無事に帰るってやつだよ」

「はあ」

「ほれ撫でて撫でて」

 苔とか生えてたり無意味に濡れてる訳でもない、なんか嫌だけど撫でなきゃ終わりが見えない。仕方ない。おばあさんの家まで行ってからバックレよう、ホント仕方ない。見た目通りのザラッとした地蔵は、僕が知ってる地蔵の顔だけ蛙バージョン。湯飲みが置かれてて赤いエプロンみたいなのも着けてる。よし、どうだ撫でたぞ。

「ウフフフ、これで無事に帰れるねえ」

「はい、どうも」

「あそこに石鉢あるでしょ、分かれ道のとこに」

「ああ、はい」

「あれねえキレイな地下水、ちめったいの。汗かいたでしょ、手と顔洗っておいで。飲めるよ」

「え? それはちょっと……ああ、じゃあ、はい」

「そこの花キレイでしょ、ひとつ折ってくれる?」

「その……黒いやつですか?」

「うんうん黒百合黒いやつ、それこの辺でいっぱい咲くの。うちで飾るからポキッて折って」

「えっと……」

「一本だよ! 一本だけだよ! 一本でいいからね!」

「うわ、は、はい!」

 なんなの、辛い。怒鳴られるのはいいけど意味が分かんない、いや、怒鳴る奴に意味なんか無いか。早く離れたい。

 なのに、僕に用事を言って先に歩かせて、おばあさんが後から追い付いてくるスタイルでもうどれだけ歩いたか。10分って言ってたじゃん。もう両手が石とか枝とか花で埋まった。アスファルトから土の山道に入ってからおばあさんは喋らない。僕の目の前で深緑色の四角い荷物が揺れてる。もしかしたら、おばあさんは居なくて荷物だけが歩いてたりして。んな訳あるか、足が見えてる。

 ギャアギャア鳴く変な鳥が飛んだ。僕達が枯れ葉や枝を踏む足音で飛んだ。

 無事に帰れなくていい。元々、帰るつもりは無い。二日分の着替えと学校で使ってるペンケースと新しいノートを一冊、江戸川乱歩と横溝正史と夢野久作を三冊ずつ、充電ケーブルとスマホだけだ、僕の荷物は。十五年も生きてたのに僕の荷物はこれだけ。でも、おばあさんには大荷物って言われたな、僕の人生が詰まってるって分かってたのかな、いや、んなことあるか。こんなの全部持って家を出るぐらい簡単だった。もう帰らない。十五歳でもギリ住み込みで雇ってくれる仕事があるみたいだから、それで何とか――

「ほらほら着いたわ」

「――え?」

「バアチャンだよ」

「こっ……え?」

 いつの間にか山道は白砂利の道に、前から両側から伸び放題だった木々は整列した竹に変わってた。目の前には小さな瓦屋根がついた門、これ正月の時代劇で見た事がある。この奥にお屋敷ってやつがある雰囲気だ。おばあさん、お金持ちか。なんで大荷物で電車なんか乗ってたんだ。

「ただいまあ、ヤチヨさあん?!」

「……あ、あの僕はもう大丈夫で」

「あれえ? 畑にでも出てんのかな? まあ上がりな、ちょっと待ってれば嫁さん帰ってくるから」

「え、あ、えっと……はい、お、お邪魔します」

 どうしよう、なんか思ってたのと全然違う。壺、スゲえ壺ある。たぶんスゲえ高いやつ。ここ玄関? 部屋? 廊下? なんかもう道じゃん? 絵なのかふすまなのかも分からん、また壺、壺いくつあるの? 『貝』とか『幸』とか書いてるこれは掛け軸? 書道? 『丸』って何? 壺にも置物にも書いてある? なんか縁起のいい言葉かな? いやちょっとマジここ超ヤバいじゃん、ガチ豪邸じゃん。

「ほれ、ここで待っといて。テレビもラジオもなあんも無いけど辛抱ね」

「あ、あ……はい」

 ポツーン、って感じ。だだっ広い畳の部屋の真ん中にポツーンとデカいテーブル、座布団あるしここに座っておくしか、これ、木のテーブル、これ継ぎ目が無い、一本の木からこのテーブル出来てる、ヤバい、そもそもテーブルって言わないかも、ちゃぶ台でもないし、なんだっけ? ……あ、話し声? お嫁さん、ヤチヨさんだっけ、帰ってきたのか? いやもうさ、こんだけ広いから家の中にいたって出てくるの時間かかるよね。

 さあどうしよう、どこに送ってもらおう? 親戚とか適当なこと言っちゃって、あ、地図、あ? ああそうか! スマホあるじゃん、電話がかかってきたフリでいいじゃん、そうし――

「おまたせー。ほらほら足崩して、これうちで採れたナス。麻婆茄子にしたからお食べ」

「えええ? いや」

「米もね、新米よ」

「えっと」

「これタラの芽の天ぷら、カボチャも煮たから、ああ切り干し大根もうちで作ってんの、お食べ」

「は」

「お味噌汁ね、ジャガイモだよ美味うんまいよ」

「あ」

 『あれよあれよ』ってこういう時に使うんだろうな。ご飯食べさせられて暗くなったから泊まってけって、ひのきの風呂に入れられて、浴衣を着せられて布団が敷かれた。おばあさん元気過ぎる、忍者みたいだ、超アクティブだ。

 電話がかかってきたフリは出来なかった。圏外だ。ログインボーナス取っておけば良かったな。あの曲もダウンロードしとけば良かった。パズルは出来るか、いや、充電がなくなったら終わりだ……コンセント無いし……どこだよここ……なんなのマジで……。


「これ息子のタカシ、これ嫁さんのヤチヨさん」

「はい、お邪魔してます」

「そんな他人行儀な、なんかあったら二人に何でも言ってねえ」

「はい、よろしくお願いします」

「名前は?」

「え?」

「ボクちゃんの名前」

「僕ちゃんの、僕の、名前?」

「ああいいよ、じゃあタカシの弟だからタケシにしようかな。ヤヤコシイかね、ジロウにしようか」

「……はい、じゃあジロウで」

 おばあさんはウンウンと嬉しそうだ。喜んでくれてるならジロウでいいか。

 屋敷は薄暗いから、足下が良く見えるように眼鏡を貸してくれた。慣れるまでかけておくといいらしい。顔を洗ってたら、タカシ兄さんとヤチヨ姉さんが居る時は絶対にかけてなきゃダメだっておばあさんに怒鳴られた。かけておくといい、じゃなくて、かけてなきゃダメなんだ。一日目で怒られるような事をしてしまった、申し訳ない事をしてしまった。気をつけなきゃ、この家で暮ら……――この家で暮らす?

 いや違うでしょ暮らさないよ、なに言ってんだ僕は? 早く出なきゃ、なんか変だ、なんだよこの眼鏡、どこだここ広過ぎる、あの後ろ姿、女の人ならヤチヨさんか、車に乗せて下さい、なんかもう駅まででいいです、お手数かけますがお願いします、すいません、すみません! あっ、えっ?! 顔は?! 顔が?! 眼鏡?! ごめんなさい! いま眼鏡かけます、あるから、かけますから!


「これ息子のタカシ、これ嫁さんのヤチヨさん」

「はい、お邪魔してます」

「そんな他人行儀な、なんかあったら二人に何でも言ってねえ」

「はい、よろしくお願いします」

「名前は?」

「え?」

「ボクちゃんの名前」

「僕ちゃんの、僕の、名前?」

「ああいいよ、じゃあタカシの弟だからタケシにしようかな。ヤヤコシイかね、ジロウにしようか」

「……はい、じゃあジロウで」

「良い子だねえ、思った通りだわ。しばらくは賑やかになるねえ」

 おばあさんはウンウンと嬉しそうだ。喜んでくれてるならジロウでいいか。

 屋敷は薄暗いから、足下が良く見えるように眼鏡を貸してくれた。慣れるまでかけておくといいらしい。顔を洗ってたら、タカシ兄さんとヤチヨ姉さんが居る時は絶対にかけてなきゃ駄目だっておばあさんに怒鳴られた。かけておくといい、じゃなくて、かけてなきゃダメなんだ。二日目で怒られるような事をしてしまった、申し訳ない事をしてしまった。 気をつけなきゃ、この家で暮らすんだから……二日目? かお……ヤチヨ姉さん……顔が、どうしたんだっけ? 顔、洗う、洗って、洗った、眼鏡をかけたまま洗った……から、そうだ、今日の仕事をしなきゃ。タカシ兄さんに教えてもらいに行こう。





 タイトル

 『幸丸貝と書いて✕✕✕✕と読む』

 終わり。

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めがね もと @motoguru_maya

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