【KAC #8】世界救ったお礼は、めがねでいい
二八 鯉市(にはち りいち)
世界救ったお礼は、めがねでいい
「っああ、もう……!」
冷え。焦燥。ささくれ。全て無視して、ただ無心にスマホをタップし続ける。
非常階段。外は晴れ。晴れているがゆえに、寒い。
白い肩の露わなパーティードレス姿では、震えが止まらない。だが、それでもスマホに向かい続ける。身体は冷え切っているのに、額には粘るような汗がにじむ。戦いの隙を見て、ずれた眼鏡を押し上げる。
「間に合え、間に合え、間に合えっ……!」
八谷は祈り続けた。
スマホの画面に、文字が躍る。
――8人の天使の召喚に成功
――連携攻撃開始
「よし、ここで8人召喚はでか、い……!?」
喜んだのもつかの間。敵の陣営のリストが更新される。
――黒の竜達による反撃ターン
「なんなの、なんなのこれ…!」
勝利を予感した興奮で熱した身体が、一瞬で凍る。だめだ。今の私の部隊では絶対に勝てない――
――時間が
――時間がないのに!
***
聖なる泉が、こんこんと湧き出ている。
神託の間の空気は熱くもあり、同時に冷え冷えともしていた。
巫女アーケの目の前には巨大な鏡があり、そこには二つの世界が映されている。
一つは、この神託の間の外の世界。
世界の存亡をかけた、最後の決戦が行われている。
もう一つは、異世界――アーケ達の世界を救うとされる勇者が住まう、別の世界。
数年前、この世界は勇者の召喚に失敗した。さる事情があって、彼を召喚できなかったのだ。
だが、時は巡り、再び満ちた。
大地と月と太陽が祝福を告げる奇跡の日が、再び訪れたのである。
巫女アーケは杖を握りしめる。
勝たなければ、未来は無い。たとえ向こうの世界の勇者の人生を犠牲にするとしても。
「……勇者をこの世界に召喚さえできれば、勝ち目はまだある、ということですか」
巫女アーケの背後で、黒いフードを被った従者が呟くように言った。巫女アーケは頷き、答える。できるだけ、冷静に、冷酷な巫女、そんな声色で。
「ええ、そうです。だから、仕方ありません。その時が来たら、私は再び召喚を試みます」
その時――外の世界に召喚された8人の天使を、敵の軍勢が轟音をあげ襲った。白い天使たちは、禍々しい黒い竜に囲まれ、一斉に噴かれた炎に包まれる。
――炎の中ではきっと、凄惨な光景が。
目をそらしたい衝動を必死に堪え、アーケは静かに息を吐く。召喚の時まで、心を乱してはならない。
「どんな手段を使っても、私達は生き残らなければ――えっ?」
敵の竜の群れが内側から膨らみ、千切れ、一瞬ではじけ飛んだ。その中心から8人の天使たちが巨大な翼をはためかせ、遥か天空へと躍り上がった。
「あ、あの敵の数に囲まれて、なぜ無事なの……!?」
天使たちの手に白い光が集約し、無数の鋭い矢を形作り、敵に浴びせかける。
「いったい、なにが」
巫女アーケの理解を越えた何かが、外で起こっている。
***
「何が起こってるの!?」
ずるり、と肩から落ちたパーティードレスの袖を戻し、八谷はスマホの画面を凝視した。敵の反撃に遭いもう駄目だと思ったが、召喚した天使たちは生きていた。
――援軍到着。
「え、援軍!?」
この戦いを始めてから、初めて起こった事態だった。
「何、どういうこと」
「文字通り、援軍だぽむ!」
八谷は振り返った。非常階段の上から、キツネとタヌキと猫を足した変な生き物――ヒママルが、ずべしゃっと転げ落ちながらやってきた。
「どういうこと!?」
「新しいプレイヤーが覚醒したんだぽむ! 吸血鬼族を従えるプレイヤーが、間に合ったんだぽむ!」
「意味わかんないんだけど!」
「とにかく! 味方だぽむ!」
その時。
ぽん、とスマホの画面に会話ウインドウが表示された。
アイシロー『やっほー。最終決戦からだけど、援軍に来たよ。よろしくね~』
八谷は思わず、非常階段の硬い床をゴンッと殴った。
「なんかとんでもなく頼りない奴来たんだけど!?」
「いやいや! 吸血鬼族を味方につけた以上、空中戦は彼が囮になってくれるぽむ! 今の内に敵の大将を叩くぽむ!」
「お願いだから最終決戦で変な奴連れてこないでよ!」
「八谷だけじゃ手に負え無さそうだったから援軍を連れてきたんだぽむ!」
「あーもういい! ひとまずそれはありがと!」
八谷は意識して頭のスイッチを切り替えた。
今やるべきことは口喧嘩じゃない。
手汗でぬるぬるする手のひらをパーティードレスの裾で拭き、眼鏡を押し上げた。
「援軍でもなんでもいい、とにかくチャンスはココしかない!」
***
巫女アーケの目が見開かれる。
「うそ……」
8人の天使が弧を描き、それぞれが放つ光で、空に巨大な弓矢を構築した。雲を切り裂く白い矢が、敵陣に真っすぐに放たれる。
2秒遅れ、光が破裂。
一瞬の空白の末、世界は白い光に包まれた。
「きゃああっ」
衝撃波で神託の間が揺れる。
「アーケ様!」
従者に身体を支えられながらも、アーケは召喚の杖を手放さなかった。
鏡には、白い煙が立ち込めている様子だけが映る。
「どう、なったの……」
アーケは震えながら鏡を見つめた。
***
ぽん、と。
それは呆気なく。
スマホの画面に表示された。
――YOU WIN
「あ……」
八谷の手から、スマホがすり抜ける。慌ててもう片方の手でキャッチし、八谷は何度も何度も画面を確認した。
リザルトを見る。
敵の大将のHPが0になっている。
「勝った? 勝ったの?」
ヒママルを見る。ヒママルは尻尾を大きく振った。
「勝ったぽむ! 本当に、本当に長い戦いだったけれど、ありがとうぽむ! 世界は救われたんだぽむ!」
「あぁ……あぁっ……」
八谷は、非常階段のコンクリートの上にぐったりと横になった。寒い。冷えている。固い。到底横になる場所じゃない。だが、上半身を起こしているのもしんどかった。割れそうなほど頭が痛い。目を閉じた瞬間、乾燥に喘ぐ眼球から涙がこぼれた。
「おわった……よかった、間に合った……」
「本当によくがんばってくれたぽむ! ……でも……」
ヒママルのきゅるんと大きな目が、辺りを見回す。式場の、外に面した非常用階段。寒い。
「なんでこんなところでプレイしてたぽむ?」
「ここが一番静かで、電波がよかったの!」
別に好きでこんなところに長時間立てこもってたわけじゃない。半分キレながら八谷が返すが、そんな凄みで怯むほどヒママルはやわではない。
「そっかぽむ! じゃあヒマちゃんが暖めてあげるぽむ!」
「いいわよあんたの毛皮チクチクするから」
「ぽむ!?」
「っあー……肩も腰もバキバキ……にしても」
八谷は眼鏡を外し、眼精疲労で燃えるように痛む眉間を乱暴に揉んだ。
眼下に広がる世界は穏やかだ。
青い空、灰色のビル。式場の1階にあるお洒落な庭では、新郎新婦の親戚の子どもたちが追いかけっこをしている。
「もう一つの世界が危機に瀕していたコトなんて、誰も知らないって感じね。……ま、知らなくていいんだけど」
「でも、八谷はまぎれもなくあの世界を救った功労者ぽむ! きっと何かいいご褒美がもらえるぽむ! 何が欲しいぽむ? お肉? ケーキ? お宝?」
「んぁー……そうだね」
八谷は自嘲気味に笑いながら、こめかみを乱暴に揉んだ。
「ここ最近のこの戦いの追い込みで、どう考えても視力落ちたから」
「落ちたから?」
「新しい眼鏡が欲しい」
「……世界救ったのにそれでいいぽむ?」
「冗談よ」
眉間を揉むだけ揉んで眼鏡をかけ直した頃、非常階段のドアの向こう側から八谷を呼ぶ声が聞こえてきた。
「やば。そろそろ行かなきゃ」
「八谷。髪の毛ぐしゃぐしゃぽむ」
「えぇっ?」
もういいや。
八谷はドアを開けながら疲れたように笑う。
式が円滑に行われれば、それでいいよ、もう。
***
『友人たち』の席に遅れて並んだ八谷を見て、友人の
「どしたの、髪ぐしゃぐしゃだし目充血してるし。泣いてた?」
「泣いてない」
いやまさか、世界救ってた、とは言えない。
司会が厳かに告げる。
「それでは、新郎新婦の入場です」
真っ白なウエディングドレスの衣擦れの音が聞こえた。振り返る。
新郎の
八谷は、学生時代からの友人、双葉を万感の思いで見つめた。
双葉、私ね。双葉、私ね、世界を。
そして新郎新婦の二人は紅い絨毯の上を1歩踏み出し――
「うわぁああぁあっ」
ずべしゃーっ、と一樹が盛大に転ぶ。誰もが――出席した誰もが、そっと目を伏せる。入場曲だけがパンパカパーンと明るい。
八谷は――小さく笑った。
指のタコが痛い。眼鏡の奥の目が、疲労でズキズキする。
でも、守れた。
彼を異世界に召喚される勇者ではなく、ちょっとドジな新郎としてここに留める手伝いが出来た。
それだけで、十分に思えた。
八谷の目尻に、少し涙がにじんだ。
「えぇー八谷、ちょっと泣くの早くない?」
小突いてくる桃香を、うるさいと黙らせる。
この涙の理由は言わない。
八谷は眼鏡を外し、指の背で乱暴に目を拭った。
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