歪曲
小狸
短編
そう、思うのである。
その差異。
そのズレ。
それが私を、いつも
遠視、近視、その言葉は聞いたことがある。
どちらも目の調節を休めた時、光線が丁度網膜上で像を結ばない状態を示す。
それを調節するための、矯正器具である。
それは、理解している。
理解しているが、本能の部分で、思ってしまうのである。
怖い――と。
これは、私が小学校の頃の話である。
私は、臆病で人と離さない、学級の中でも浮いている子であった。
そして眼鏡が、とても怖かった。
級友に、かなり視力の悪い者がいた。
成績は優秀で、聞けばかなり富豪の家の出身だと聞いていた。
友達も多く、誰にでも仲良く接する、良い奴だった。
私とも、話してくれたのだから、これは間違いない。
ただ、一つだけ。
彼は常に、眼鏡をかけていた。
先天的に視力が弱いらしく、度の強い眼鏡であった。
そのため、眼鏡をかけると、レンズと顔の表面とで、差異が生じるのである。
私は、その差異が、怖かったのだ。
当時は「何となく怖い」、で言語化することができなかったけれど、大人になった今、ようやっと言葉にできる。
眼鏡の縁を境界として、顔がズレているのである。
まるで、眼鏡の内と外で、世界が違っているように。
――歪じ曲がっている。
いや、
構造を理解した今、その恐怖はもう私には無い。
ただ、小学生の当時。
私は、それがとても怖かった。
だから、私のような陰鬱な者にも仲良く接してくれる彼に感謝を感じつつ、それでも彼の眼を直視できずにいた。
ある日のことである。
私は、校舎の中庭でいじめを受けていた。
陰鬱な者の日常のようなものである。
誰かより上位に存在していたい、自分より下を見ていたいという欲求は、小学生の頃からあるものだ。
主に殴る蹴る、で、複数人から暴行を受けていた。
教師は何をしているのか、という話だが、私が住んでいた場所は田舎であり、教育委員会などあってないようなものであった。
でも、殴られるのは、痛い。
蹴られるのも、痛い。
痛いなあと思いながら、欲求を満たしてゆく彼らを見て、私はぼうとしていた。
昨今では、いじめられる方に原因がある、などという意味不明な言説があるけれど、それは明らかに間違いである。
原因があるのも、問題があるのも、いじめる側なのだ。
これは後から分かったことだが、私をいじめていた子たちは、全員家庭内不和を抱えた環境で育ったらしい。
まあ、だからといって暴力を容認することはしない。
いつであっても、暴力もいじめも、あってはならないことだ。
そこに現れたのが、眼鏡の彼であった。
「
と。
芯まで突き刺さるような声で、彼はそう言った。
彼は、私の下へと近づいた。
最初は反抗しようとしたいじめっ子だったけれど、彼の気迫に押されたのか何なのか、それかもしくはあらかじめ教員を連れてきていたのか、いじめっ子たちはそそくさとその場を去っていった。
「大丈夫かい、稲村君」
彼は、中庭で無様に倒れた私を、彼は起き上げた。
私は「あ……」とか「う……」とか、嗚咽のような言葉にならない何かを発していたように思う。
その時――その時である。
私は、見た。
見て、しまった。
彼の眼鏡を。
それは、やはり。
周囲の風景や景色が、世界が、その透明なレンズを通して、そのレンズの中だけ。
歪じ曲がっていた。
そして何より、そのレンズの中に鎮座する、確固として動かぬ、奉られるように存在する眼球。
突きつけられているような心持ちになった。
レンズの中が、正しいのか。
レンズの外が、正しいのか。
判らない。
判らない。
太陽を背にしたからだろう。
彼が、正しい。
彼のレンズの中が、正しい。
瞳が。
私を。
見抜く。
――オ前ハ、間違ッテイル。
私は――それを見て。
発狂した。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
そして気が付いたら、私は。
彼の顔面を。
目を。
眼鏡を。
その境界が分からなくなるまで。
滅茶苦茶に殴っていた。
その後。
彼は失明し、私は精神鑑定を受けることになり――私達の人生は二度と像を結ぶことは無くなるが――。
それはまた、別の話である。
(「
歪曲 小狸 @segen_gen
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