ep1. 乙女ゲームにハマった男子高校生

 終礼の鐘がなる中を、音無奏は急ぎ足で歩いていた。

 多くの生徒が部活動に動く波に逆らい、一人だけ逆方向の下駄箱に向かう。


「音無、もう帰んの? 今日は神社?」


 クラスメイトの野球部員が奏に声を掛けた。


「そう! 神事が近いから神楽の練習!」


 走る足を緩めて、笛を吹く仕草をして見せる。


「そっか、頑張れよ! 蛭子神社の火祭り、俺らも行くからさ」

「ありがとう!」


 手を振ると、奏は急いで家路についた。

 自宅の自室に戻り、部屋のドアを閉める。


「ふっ、ふふ……。やったー! 今日も思う存分浸るぞー!」


 諸手を挙げて歓喜すると、すぐさまゲームを立ち上げた。


 神楽の練習は夜からだ。

 それまでの短い時間を、最近はこのゲームにつぎ込んでいた。


 今、ハマっているのは、『旋律は愛をのせて』というタイトルの乙女ゲームだ。

 奏が所属する吹奏楽部の女子の間で流行っているゲームで、同じくフルートを担当する鈴城舞に勧められたのが、始めるきっかけだった。


「正直、最初は全く興味なかったけど」


 スタート画面が立ち上がるのを、ワクワクしながら待つ。

 オープニングロールが流れ始める。

 淡いピアノの序奏からヴァイオリンの主旋律が始まる。中盤にはトランペットのファンファーレが入り、一気に気持ちが盛り上がる。


「やっぱいいなぁ、このオープニング。静かな抑揚からの強いラッパ最高!」


 目を瞑って音に聞き入る。

 吹奏楽部で流行っている理由の一つが、この音楽だ。クオリティの高い交響曲がたくさん出てくる。次の定期演奏会でゲーム内の曲をやろうという話まで飛び出してる始末だ。


「演奏するなら、オープニングは欠かせないっしょ」


 曲に耳を傾けながら、画面に見入る。

 攻略対象の男子たちが紹介されて、メインのスチルが流れてくる。


「セス、格好良いなぁ。男の俺でも惚れるわぁ」


 メインヒーローの攻略対象であるセスティ=ライガンドールはムーサ王国第一皇子。甘いフェイスで誰にでも平等に優しい、頭が良くて剣と魔法の腕も立つ、パーフェクトな王子様だ。


「そんな奴、いる訳ないだろ。現実味がないな。女子は妄想に恋し過ぎだよ」


 鈴城にゲームの話を聞いた時の奏が発した第一声だ。

 言うまでもなく、めちゃくちゃ罵倒され、「そう思うならプレイしてみなさいよ」と半ば強引に押し付けられた。


「それだけ大口叩くんだから、音無はセス様に口説き落とされない自信があるんでしょ」


 と、大変挑戦的な半笑いをされたのが癪だったので、プレイすることにした。

 セスティのスチルと共に、イケボの台詞が流れてくる。


『君の奏でる音楽は、俺を癒す唯一の魔法だ』


 主人公を真っ直ぐに見詰めるセスの熱い瞳が、切なくて愛おしい。


「あぁ! 無理! もう無理! 格好良すぎる、憧れる。二次元の破壊力パネェ!」


 何でも持っている完璧人間セスが、主人公にだけ時折見せる弱さが、また可愛い。こういうのが、女の庇護欲を誘うんだろうと思う。


「男の俺もめっちゃ、そそられているけどな」


 奏は見事、セスティの魅力にやられていた。

 しかしそれは、あくまで同じ男として憧れるという意味での『好き』だと、自分では理解している。

 鈴城のように恋をしている訳ではない。だから、決してセスティに落とされたわけではないのだ。


「俺もセスみたいに振舞ったり、格好良い台詞が言えたりしたら、モテんのかなぁ。いや、無理だな。三次元じゃ、無理だわ」


 ボヤキながらセーブデータを開く。

 あくまで二次元だからこそ萌えるキャラなんだろう。


「まぁ、設定が部活の女子たちにウケる仕様だよな」


 このゲームはタイトル通り、音楽がキーポイントになっている。

 主人公は音楽で傷を癒す治癒楽師ミューゼヒーラーティスティーナ家に生まれた令嬢だ。

 ティスティーナ家では音楽の英才教育が施され、メインで操る楽器以外にも多くの楽器の演奏ができるほど優秀とされる。

 その中で主人公はバイオリンとピアノを得意とする。

 どちらの楽器をメインにするか悩む主人公と、攻略対象の誰が結ばれるかで、選ぶ楽器が変わる。


「剣と魔法に音楽。最高の組み合わせだ。乙女ゲームじゃなくて、RPGでも良かったのにな」


 実際にゲーム内でも、剣と魔法のバトルシーンが描かれている。戦闘シーンは迫力があって、正直乙女ゲームにしておくのは勿体ない仕様だ。


 奏はキルリスルートを開いた。

 他の全攻略対象の全ルートをクリアしているカナデが、最後に残した攻略対象キャラだ。


『キルリスルートは最後にしたほうが良いよ。その方が面白いから』


 鈴城の勧めに従い、ちゃんと最後に残した。

 今日は物語最後のイベントである『儀式』に挑む場面をプレイする予定だ。


「セスルートが一番、リアの出番が多いから、もう一回やりたいけどなぁ。全ルート攻略もしたいし。リアはどのルートにも必ず出てくるから、いっか」


 リアナ=ノースライトはセスティの婚約者、いわゆる悪役令嬢だ。

 悪役令嬢ポジションであるリアナは主人公が誰のどのルートに進もうと、最終的に他国の皇子と政略結婚させられてしまう。島流しみたいなものだ。


「こんなに可愛いのに。セスは見る目がない。完璧男子でもリアの魅力に気付けないもんなのか」


 奏が何度も繰り返しこのゲームをプレイしてしまう最大の理由は、悪役令嬢リアナが奏にとってドストライク女子だからだった。


「現実にいたら絶対、好きになるだろ。俺なら、なる。このツンデレ、ヤバいだろ。誰かリアを幸せにしろよ」

 

 しかし、ゲーム内にはリアナを幸せにする奴はいない。

 せめて政略結婚した先で幸せになっていて欲しいと願うが、そんなシナリオはゲーム内にはない。


「あぁ! 俺が幸せにしてぇ! けど俺じゃ、リアに好かれないだろうなぁ」


 しょんぼりと肩を落とす。

 仮に同じ世界に生きていたとしても、目に留めてすらもらえないだろう。自分は、部活でフルートを担当しているだけの、何の変哲もない男子高校生に過ぎない。あとは、家が神社の氏子だから神楽笛が吹ける程度だ。


「もし俺がムーサ王国に生きていたとしても、下級貴族か平民ってところだろうしな。って、同じ世界にいても生きる世界が違う人間って、俺はどれだけ貧弱思考なんだよ」


 自分の想像力の貧弱さに嘆く。

 どうせ妄想するなら、セスティくらい完璧男子になってリアナを惚れさせる、くらいの大志は抱きたいものだ。


(もし俺が、このゲームの主人公だったら、迷わずリアを攻略するのに……)


 流れてくるリアナの声を聴きながら、感傷に浸る。


「なんでだろうな。リアの声も、セスの声も、聴いているとすごく懐かしい気分になるんだよなぁ」

 

 別のゲームやアニメで聞いたのだろうか。

 声優を意識したことがないのでわからないが、もしかしたら他の作品の好きなキャラと声が被っているのかもしれない。


(なんていうか、懐かしくて切なくて、会いたくなるんだ)


 何気なく浮かんできた思いを、振り払った。

 二次元のキャラに会いたいと本気で思うなんて、どうかしている。


「ゲームにハマり過ぎだな。鈴城に馬鹿にされそう。変なこと言わないように気を付けよう」


 何となくモヤモヤしたものが、胸に痞えている。このゲームを始めてから、ずっとそうだ。面白いと思いながらプレイしているはずなのに、焦るような、変な気持ちになる。


(何か大事なこと、忘れているような。やらなきゃいけないことが、あるような)


 ゲーム画面が切り替わる。

 主人公パーティが『儀式』の間に入るシーンだ。

『儀式』の間で神事を執り行うと、奥にある神殿から女神様が出てくる。主人公一行の神事に満足した女神様は、最後に祝福を授けてくれる。

 無事に祝福を持ち帰ると、向こう十年のムーサ王国の平穏が約束される。大事を成し遂げた主人公と攻略対象は結ばれて、ハッピーエンドを迎える。というのが、他のキャラのルートの『儀式』の流れだ。


『儀式』の間の扉が開いた瞬間、違和感があった。


「なんだ、コイツ。他のルートでは出てこないよな」


 神殿に続くはずの階段の上に、玉座のような椅子がある。少年のような風貌の何かが、腰掛けている。

 そう、だ。奏はそれを人とも神とも認識していない。


「神とかいう、ガキ」


 何かを考えるより早く、口走った。

 たとえようのない怒りが、胸の内から湧き上がる。感情ばかりが先走って、何故怒りが湧いてくるのか、理解できない。


「なんで、こんな、変な感覚に」


 がくん、と体が傾いた。心臓の鼓動が早くなる。なのに突然、強い眠気が襲って視界が霞んだ。

 誰かが、奏の腕を引いている気がする。


『早く、早く! 戻ってきて!』


 ゲームのリアナの声が聞こえる。


『俺は、君を待っているんだ』


 今度はセスの声がする。


(二人とも、ごめん。俺、戻っても、何もできそうにない)


 何故、そう思ったのか、自分でもわからない。わからないまま、抗えない睡魔に意識を絡め取られる。

 奏はそのまま深い眠りへと落ちていった。

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