3月その⑤

先生から借りた鍵で部室のドアを開ける。


そこは数日前までセンパイと一緒にいたそのままの空気を残っていて、それでも持ち帰られたいくつかの私物があったはずの場所寂しさがあった。


いつも座っていた席に腰掛けて、誰もいない向かいの席に視線を向けると、いつもそこに居た人の幻を見る。


一年間で慣れ親しんだこの部室にも、もう来ることがないと思うと、大切なものが無くなってしまうような喪失感があった。


でもそれはこの場所よりも、この場所で一緒にいた人と、この場所に残っている思い出のせい。


窓の外には帰宅する在校生や、卒業生を待つ保護者の声が遠くに聞こえる。


センパイは、今頃教室だろうか。


机の上に置いたスマホを見て、ちょっと不安になる。


わざと連絡をせずにこの場所で待っている理由は、センパイにこの場所を見つけて会いに来てほしいとそう思ったから。


今日という大切な日に自分から行動して、会いに来てほしいという私のわがまま。


いつもはこの場所に会いに来ていた側の自分に会いに来てほしいという、一種の確認作業。


センパイは会いに来てくれるだろうか。


きっとその答えはわかってる。


だけど絶対と言えるほど自信はない。


だからこれは確認作業。


二年の私のクラスは今日で卒業の三年生のクラスよりもだいぶ早くホームルームが終わったみたいで、センパイが来るまでまだ時間がかかりそう。


一旦席から立ってカーテンを開ける。


部室に差し込んだ光に微かに目を細めて、外へと視線を落とす。


窓の外、校舎から正門へと続き道に同級生と下級生たちが歩いていて、その両脇を満開の桜並木が彩っていた。


それを見て一年前に、センパイと歩いた桜並木を思い出す。


あの時センパイがもう二度と見ることがないと言っていた光景を、早咲きの桜のおかげでもう一度見ることができた。


一年前と同じ景色を見ながら、一年前とは違った感情でセンパイを待つ。


今日はセンパイに言わなきゃいけないことがあるから。




部室に来たセンパイと一緒にスマホのアルバムを見ていると、懐かしい記憶が蘇ってくる。


最初はカメラを撮るってことに慣れてないセンパイに同じ高校生なのか疑問に思ったこともあったけど。


でもこれは大切な記録。


見返すと、いつ頃からセンパイを意識し始めたのかがよくわかる。


本人には気付かれてないと思うけど。


もし、もっと早く意識していれば別の結末があったのかな。


そう考えてみても、やっぱり答えは変わらない気がした。


「もう一年、ここで一緒に学生しませんか?」


あと一年、一緒に居られたら。


そんな優しい嘘にセンパイも付き合ってくれる。


でもそれは結局事実の確認にしかならなくて。


「卒業しちゃ嫌です」


センパイが卒業するのは決まっていることで、ここで会うのは今日が最後なのも変わらない。


一年間、ずっと一緒にいたこの場所に、四月からセンパイが居ない。


卒業式は何度も経験してきたけれど、置いていかれる側でこんなに辛い気持ちになるのは始めてだった。


「卒業しちゃ、嫌ですよ……」


抱き寄せられて頭を撫でられる。


いつもは優しくないセンパイが、こんなときだけ素直に優しくて、これで最後なんだと実感する。


優しかったところも、優しいところも、めんどくさいところも、心地好かったところも、一緒に食べたお菓子の味も、カメラを撮るときに触れた熱も、撫でられた髪の感触も。


全部を思い出して、それがもう失われてしまうことを実感する。


「うっ……、うぅ……」


今日まで押さえつけていた気持ちと一緒に、堰を切ったように涙が溢れ出して止まらなかった。




結局体の中の水分を全部出しきる勢いでないて、やっと収まったあとにセンパイと離れる。


卒業式というめでたい日に、泣いてしまった自分を誤魔化すように外に視線を向けた。


「センパイ、雪降ってますよ」


外には卒業を祝福するように桜が咲いている中で、一緒に降ってきた雪は別れを悲しむ私の気持ちを表しているよう。


そのふたつの気持ちを胸にセンパイへと視線を向ける。


センパイを送り出す気持ちと別れを惜しむ両方の気持ちを込めて笑顔を作った。




「卒業、おめでとうございます」




「そろそろ帰るか」


気付くと部室に来てから結構な時間が経っていて、窓の外から聞こえる人の声も少し静かになってきていた。


「あの……」


「ん、どうした?」


そのまま帰ろうとするセンパイを呼び止める。


自分の気持ちを伝えるのがちょっとだけ恥ずかしい。


「このあと二人でどこか行きませんか?」


そんな私の言葉にセンパイは考える素振(そぶ)りを見せた。


「俺だって人並みの付き合いくらいあるんだぞ?」


センパイに予定なんてあったんですか、とは流石に言わない。


卒業式のあとといえば今日で別々になるクラスの友達と遊びに行くっていうのは定番だし、それくらい仲の良い相手がいることも知ってるから。


「そう、ですよね」


「……、わかったよ」


「え?」


私の聞き返す声をスルーして、スマホを取り出したセンパイがそれを耳に当てる。


『もしもし、俺だけど。悪い、このあと用事入ったからメシ行けなくなったわ。え? カラオケ? そっちもちょっと難しそうかな。うん、デート。そうそう、デートに誘われてさ。近くにみんないる? じゃあクラスのヤツにもそう言っといて。あと今度また三月中にどっか遊び行こうぜ。んじゃまたな』


そんなことを言って通話を終えたセンパイに思わず口を開く。


「デートってどういうことですか!?」


「それくらい言わないと納得されないだろ」


たしかに、卒業式のあとの予定をブッチするならそれくらい理由が必要かもしれないけど。


「だからって、噂になったりしたらどうするんですか!?」


「俺はもう、今日で卒業だから困らんし」


「私が困るんですよっ!」


「どうしても嫌なら訂正するけど」


「別に、そこまで嫌な訳じゃないですけど……、でも噂になったりしたら困りますし……」


彼氏がいるなんて噂になったら困る。いや、困らないけど、絶対みんなにからかわれる。


「いいから、早く帰ろうぜ」


「うー……」


そんな私の気持ちも知らずに帰ろうとするセンパイに文句を言いたくなるが、この後も一緒に遊びに行くなら文句を言っても時間がもったいないだけなのでちょっと困った。




部室を出て、センパイと職員室に鍵を返しに行く。


お礼を言って鍵を返した私とセンパイの様子を見て、特に目が赤くなっている私になにも言わなかった先生に感謝してそのまま職員室を出た。


廊下に出るとそのまますぐ目の前が昇降口で人でごった返している。


これでも部室にしばらく居た分人が減ってるはずだけど。


それでも積もる話がある生徒も少なくないのかもしれない。


そんな人たちの間を抜けて、センパイと並んで外に出る。


もう春なのにまだ涼しい風が吹いて、涙が乾いた後の目元がパリパリした。


明日になったらヒリヒリするかも。


「そういえばセンパイのご両親はいいんですか?」


「卒業式には来てたけど終わったら先帰ったぞ。どっちにしろ遊び行く予定だったしな」


たしかにそのまま帰らないなら別行動だし待ち合わせる理由もないか。


「こうして桜の下を歩くのは二度目ですね」


「あれからもう一年経つのか」


「あっという間でしたね」


たしかに、一瞬のようにも思える時間だったが、同時に一年分の記憶は厚く積み重なっている。


頭上に広がる桜はとても綺麗で、やはり一年前のことを思い出してしまう。


電灯に照らされた夜の桜を一緒に見たあの頃は、まだセンパイとこんな関係になるなんて思っていなかった。


ただ、久しぶりに会ったセンパイに覚えられていなかったのが悔しくて暇潰しに部室を訪ねただけだったのに、いつの間にか一緒にいるのが普通になっていて、今はもっと一緒にいたいと思っている。


さっきは純粋に卒業するセンパイと見送る後輩として、一年間の思い出に胸をつまらせて泣いてしまったけど。


「そいや、後輩は進路決めたか?」


「はい、……決めましたよ」


ずっと迷ってた。だけど今決めた。


その答えを、センパイに伝える。


「────です」


「そこって……」


「はい」


告げた大学は、センパイが春から通うのと同じ大学。




トントンと軽やかにステップを踏んで前に出る。


「ねえ、センパイ」


一年間で何度も繰り返したその呼び掛けに、続けようとした言葉が詰まる。


唇が震えて、気を抜いたらまた涙がこぼれそうになる。


今ならまだ、何も言わずに笑って誤魔化せる。


もし伝えて、断られることを想像したら、今すぐここから逃げ出したくなる。


きっと大丈夫、なんて言い訳じゃ自分の気持ちは安心してくれない。


でも、そんな気持ちを抑えつけて、不安も怖さも振り払って、目一杯の笑顔を作って振り返った。


再会してから今日まであったことを思い出す。


この想いをここで終わりにしたくない。


ここで言わなければ、きっと一生後悔する。


だから、伝えなくちゃ。


唇を開くと口の中が渇いていて、舌が張り付く。


それでも言葉はスムーズに、音になった。


「一年間、待っててくれますか?」


私の伝えた想いに、センパイの表情が驚きに変わる。


きっと予想外の言葉だったんだろう。


それでも、センパイは私の目を見て、笑ってくれた。










続きます。

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