夏
6月その①
「ねえ、センパイ」
「どうした、後輩」
いつものように部室の中で、なぜか机に鏡を立ててそれを眺めていた後輩がこちらに視線を上げる。
「今日の私を見て何か言うことはありませんか?」
言いながら、立ち上がった後輩がその場でくるりと回った。
スカートがいい感じにふわりと広がって、それでもその中身が見えないように調整されているのはプロの犯行って感じだ。
あと遅れて広がって少しだけ肩の前にかかった後ろ髪も悪くない。
多分友達同士でこういう仕草をやる機会があるんだろうなあ。
ちなみに先週はテンションが地面に墜落していたけど、もう元通りになったらしい。
見て言うこと、ということはどこか普段と違うところがあるのだろう。
「もしかして、ふ……」
「殺しますよ?」
こわっ。
まだ全部言ってないがな。
しかし流石に本気の視線で見られてはもう一度ボケるのは自殺行為か。
「んー、髪切った?」
「切ってないです」
「化粧が違う?」
「いつもと同じです」
「スカート短くなった?」
「なってません」
「かわいくなった?」
「前からかわいいです」
「シャンプー変えた?」
「変えてませんっ! ちょっと本気でわからないんですか!?」
「だってあと変わってるところって言ったら夏服になってるくらいだろ」
「それですよ! それそれー!」
「えー……」
6月になって服装が夏服になったくらいでそんなに盛り上がる話かと思わざるを得ない。
朝から放課後まで、見かける女子生徒は全員夏服だったしな。
「いやいや、年に二回しかないイベントなんですからちゃんとのってきてくれないと」
「んで、どうしろと?」
「この格好を褒めてください」
「えー」
褒めろと言われてはいそうですかと褒められたら誰も苦労はしないんだが。
「……、似合ってるぞ」
「心がこもってません」
「いや本心だけどな」
似合っているのは間違いない。
それが俺の好みと合致するかというのは別問題として。
「もっと具体的に褒めてください」
「そう言われてもな」
一番最初に思いつくのは、主に上の防御力が減ってるから良いななんて感想な訳なのだが、流石にそう馬鹿正直には言えない。
「それにどうせ今から半年毎日見るもんだしなあ」
「半年は見ませんよ、4か月くらいです」
「あー」
確かに6月から9月末までだと4か月か。
そう考えると貴重ではあるのか?
「まああれだ。涼しげだし見てるとこれから夏だーって気分になっていいよな。やる気が出てくるっていうか」
「そうですね」
まあそれは夏服というか夏に対するイメージかもしれないが。
「折角だし一枚撮るか?」
話を逸らして俺はスマホを取り出す。
「夏服を撮ってどうするつもりですか、いやらしい」
「どうするともこうするとも言ってないだろ」
「じゃあ何もしないんですか?」
「しないって言ったら文句言うんだろ?」
「もちろん」
「両方ハズレの強制二択やめろや!」
どっちにしても文句言われるのはハメ技感がひどい。
そんな俺の正当な抗議に後輩が納得している隙に、パシャリと一枚スマホで撮る。
別に声をかけたわけでもないのに俺がスマホの画面をタップする気配に合わせてモデルのようにポーズを決める後輩。
撮れた写真は、雑誌に載っててもおかしくはなさそうな出来。
「じゃあ待ち受けにしとくわ」
「それはやめてください」
真顔で止められなくても流石に冗談だけど。
人に見られたら絶対に面倒なことになるしな。
「それにしてもセンパイはからかい甲斐がないですねー」
「そんなもんなくていいんだよ」
「反応がつまんないと女子にモテませんよ?」
「そういうのを求めてる相手は好みのタイプじゃないから安心しろ」
いや、美人系のお姉さんに手玉に取られるならそれはそれでやぶさかではないけれど。
「それじゃあこういうのはどうですか?」
言いながら後輩がスカートの端をつまんでちょっとずつ持ち上げる。
普段の丈でも膝上のスカートは、当然脚の根本近くまですぐに露出された。
シチュエーションとしてはとても良いんだけど。
「どうせ下着が見えない高さは熟知してるんだろ?」
女子高生のスカートの丈とそれを自在に操る防御力は男子の想像よりもずっと高い。
そうなるとホラー映画で驚かせてくるポイントがバレバレな演出くらいドキドキ感が皆無だった。
「センパイは、私のスカートの中が見たいんですか?」
持ち上げられたスカートは下着が見えてもおかしくないと思えそうなくらい脚を露出しているし、実際に普段じゃ見ることのないような部位に魅かれないと言われれば噓になるけど、内容的にはプレミア感が嬉しいだけだなこれ。
どっちにしろもうちょっと期待感を煽る演出が欲しいな。
「そうだ」
思いついて、ノートを使ってパッと風を起こすと、テーブルの向かいの後輩のスカートがふわっと揺れる。
「ちょっと!?」
そのままスカートがめくれ上がらないようにパッと押さえる。
「なにするんですか!?」
「予定調和すぎてつまらないからアクシデントを一つまみ加えてやろうかなと思って」
「次やったら怒りますからねっ」
「はいはい」
顔を赤くして抗議する後輩に、そんな顔もするんだなあとつい思ってしまった。
「というかあれですね」
後輩が元の位置に戻って椅子に座ると思い出したように呟く。
「なんだ?」
「当たり前ですけど、六月になったら急に暑くなったりはしないんですよね」
「そうだな」
6月から夏服に切り替わる季節ではあるけれど実際にはまだ半袖で過ごすには涼しい日もある。
今日はまだマシだけどね。
「雨の日とか特になあ」
「そうですよねー」
日が陰るのももちろんだけど、外を歩くと湿度の高い空気が猶更肌寒く感じるんだよな。
「我慢できないほどじゃないですけどね」
「オシャレは我慢だって言うしな」
「夏服は校則でオシャレじゃないですけどね」
「つまり後輩はオシャレしてない?」
「してますよ! ちゃんと!」
うーん、わからん。
「センパイには一度ちゃんとわからせないといけませんね」
「また今度な」
今日は勉強するのでパス。
まあ勉強してない日なんてないんだけど。
「夏になるとチョコが溶けるのが一番困りますよねー」
「それな」
夏になると鞄に入れとくだけでも普通に溶けるし、袋の中で溶けたチョコを握った時の悲しみは名状し難いものがある。
「コアラのマーチの中身がちょっと溶けてるのは嫌いじゃないんですけどね」
「わかる」
実際は割れてるのが袋の中で溶け出して惨事になってることが多いから良い感じに楽しめるタイミングは珍しいんだけど。
「というかここって冷蔵庫とかないんですか」
「あるぞ」
「あるんですか!?」
「自分で言い出しておいてなんで驚くんだよ」
「だって本当にあるとは思わないじゃないですか」
「小さいのだけどな」
言いながら部屋の隅に視線を向けると、そこには電子レンジよりもちょっと大きいくらいの四角い箱が置いてある。
ドアが一つしかないやつだけど、これはこれであれば便利だ。
「ならアイスとかも置いておけますね」
「保存はできるけど、まず外で買ってきてここに入れとくタイミングがないだろ 」
「あ、そっか」
朝に買ってきても部室に来る放課後まで持ってたらどっちにしろ確実に溶けてどろどろになってるだろうし。
「じゃあとりあえず今持ってるチョコ入れときますね」
「別にいいが、いつの間にか無くなってても文句言うなよ」
「その時は別のお菓子でお返しして貰うから大丈夫です」
「お菓子だけに?」
「は?」
「んじゃ、帰るか」
「はい、センパイ」
今日の分の勉強を終えて、後輩と並んで部室を出る。
腹減ったけど、今日の晩飯はなにかな。
「まだ暗いですねえ」
「それでも暖かくなってきたけどな」
いつものように帰り道は既に日が落ちていて、他の人影も全く見えない。
グラウンドの方まで視線を向ければ、照明を点けながらまだ部活やってるのが見えるけどね。
春先に見られた桜並木はすっかり緑の葉っぱに覆われていて、季節の移り変わりを実感する。
首筋を抜ける風からも、背筋を震わせるような冷たさは感じない。
「んー、今日は疲れました」
言いながら、後輩が両腕をぐっと上げて伸びをする。
「言うほど勉強してないだろ」
「私的には十分したんですー」
実際には半分以上の時間スマホを弄ってた気がするが、確かに前の後輩よりは勉強してるか。
前はゼロだったしな。
「だからもっと褒めてくれてもいいんですよ」
腕を上げたままどや顔で胸を張る後輩。
その夏服の短いシャツの袖から、その奥がちらりと見えた。
スカートの防御力からいって普段はこんなことはないんだろうけど、まだ夏服に慣れてないのかそれとも油断したのか。
そこは水着姿なら普通に見られる範囲だけれど、不意にシャツの隙間から覗くと余計に見てはいけないものを見てしまった気になってしまう。
「……? どうしました、センパイ?」
「なんでもないぞ」
「ならなんでそっち見てるんですか?」
「あっちに猫が居たからな」
「えっ、本当ですか!?」
「嘘だが」
「なんなんですかー!?」
なんて冗談を言っている間に、自分の頬を揉んで表情を元に戻す。
うん、多分、戻ってるはず。
「馬鹿なこと言ってないで帰るぞ、後輩」
「馬鹿なこと言ったのはセンパイじゃないですか」
「おっ、じゃあどっち馬鹿か勝負するか? この前の中間の順位でいいぞ」
「しませんよっ」
そんなどうでもいい話をしながら、並んで帰り道を歩く。
暑いのは苦手だけど、まあ夏も悪くはないかな。
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