3-6


「私、最初に言われた『神託の乙女』たちとサイラス殿下を絶対に二人きりにしないというのは、アルベインさまの方針だったと思うのよ」


 アマリアさまがいかにも面白いというような顔でそう言ったのは、アマリアさまと二人でお茶をしていた、とある日の午後だった。

 今までは五人一緒に仲良く行動していたのだけれど、最近は私とアマリアさまが一緒にいて、他の三人はいないことが増えていた。

 なぜかというと。

 実質「王太子妃候補」として残っている組と辞退組に分かれたからである。

 サイラス殿下が『神託の乙女』の三人に他の人との恋愛を認めてしまったのだから、それは当然の結果なのかもしれない。が。

 その結果、今サイラス殿下としんぼくを深めるために日々食事したりお茶したり散歩したりと、あれこれしているのは私とアマリアさまの二人だけとなったのだ。

 だけれど私はあの厨房での夜から、なんだか殿下が私を見るたびにそわそわするので大変ごこが悪い。

 あの夜のことがずっとのうから離れない。

 すっかり見慣れていたつもりのサイラス殿下の顔が、どこか別人のようにも見えてしまうことに困惑しかない。

 そのせいで最近は毎日の「王太子殿下との交流」で平静を保っていることが、もはや苦行か何かのようになっている。

 それでも今日もなんとか平気な顔をよそおって殿下との交流(義務)を終えた私がアマリアさまと二人でテラスでお茶をしていた時に、ふとアマリアさまが言ったのが先ほどの言葉だった。


「アルベインさまが? どうしてそう思ったの?」


 つかててテーブルにしていた私は、驚いて顔を上げた。


「だって、アルベインさまがエリザベスさまと相思相愛になった途端に私たちの監視をしなくなったでしょう?」

「たしかに!」


 思い返してみれば、最初の頃はあれだけ厳しくけ禁止だの別行動はおひかえくださいだのとうるさかったのに、最近は一人で王宮の中をふらふらしていても何も言われなくなっている。


「あれはアルベインさまが、エリザベスさまとサイラス殿下が仲良くなるのをしようとしていたのだと思うの」

「そうなの!?」

「だってエリザベスさまとサイラス殿下を二人きりにして、万が一サイラス殿下がエリザベスさまに関心を持ったら困るじゃない。前のエリザベスさまだったら、ちょうてんになってますます殿下しか見えなくなっていたと思うわよ?」


 うふふふ、となんだか楽しそうなアマリアさまである。


「なるほど……じゃあエリザベスさまをサイラス殿下に取られないための、あのてっていした一対五だったというわけ……」


 あの銀縁眼鏡……真面目に仕事をしているように見せかけて、実は私情丸出しだったということか。


「たぶんね。だからエリザベスさまを見事射止めた今は、私やあなたがサイラス殿下と二人きりになろうが殿下が誰を個人的にさそおうが何も言われないでしょう?」

「言われないわね。なあんにも」


 思い返せば今までは、アルベインさまかその部下たちがいつも私たちの周りに張り付いて見張っていた。だけど、今やどこにもそんな人は見当たらない。

 隙だらけなのである。抜け駆けし放題だ。


「そろそろ王太子妃選びもしゅうばんということでしょうねえ」


 そう言ってアマリアさまはまた楽しそうに笑った。

 もうほんと、実に楽しそうな笑顔だ。

 私は反対に、うんざりという顔になっているに違いない。


「終盤……ねえ。アマリアさまは、王太子妃になってもいいと思っている?」

「そうねえ。心から求められて、お願いされたならなってもいいとは思っているわ。私を本当に望んでくれるのならね」


 そう言ってかたをすくめて笑うアマリアさまは、その動作さえもが優雅で美しい人で、私が何度もつい見とれてしまうくらい女性として完璧に見える。

 誰よりもあの完璧王太子の横に立つに相応ふさわしい女性だ。


「じゃあ殿下がアマリアさまを選んだら、私たちはこの王宮を去るのね」


 それになにより今、王太子妃になる気があるのはアマリアさまだけなのだし。

 もう、結果は決まったようなものではないか。殿下に残されたせんたくは一つだけなのだから。

 というのに。


「それはどうかしらね?」


 そう言ってなぜアマリアさまは笑うのか。


「どういう意味!?」

「うふふ、殿下に直接聞いてみればいいんじゃないかしら?」


 アマリアさまは、そう言ってまたころころと楽しそうに笑った。

 だけれどもう、このじょうきょうで私が受けなければアマリアさまに決定なのだ。

 アマリアさまが王太子妃になったら、きっと国民も大喜びするに違いない。

 美しく賢い王太子妃誕生、ばんざい

 殿下が過去にこだわるのさえやめれば、彼にも新しい人生の幕が開くだろう。

 素晴らしい伴侶を得て、彼もきっと幸せな王太子人生、ひいては一国の王としての人生を送るのだ。

 それでいいじゃない。

 新しい人生。新しい伴侶。

 過去にこだわって過去に義理立てする理由なんて何もない。

 もう私たちは魔法を使わなくても生きていける時代にいるのだから。

 そう思った瞬間、この前彼が私を「ニア」と呼んだ時の顔が浮かんで、私はちょっとだけけんにしわを寄せた。


「私は、私よりずっとアマリアさまの方が王太子妃に相応しいと思っているの。それに私にはその気がない。ということはもうサイラス殿下もその状況をかんがみてアマリアさまを選ぶべきだと思うのよね。それが明らかなのに、どうして今もずるずるとこんな茶番みたいな交流をしているのかしら」

「そうねえ。きっとそれは殿下のお心がエスニアさまの考えとは違うからじゃないかしら」

「……殿下のお心といえば、そもそも『神託の乙女』は昔から王太子とあっという間に恋に落ちるはずでしょう? なのにまだ誰も王太子と恋に落ちていないのはなぜなのかしら。『神託のすいばん』は正しく機能したはずなのに。それともとうとうこわれたのかしら?」


 だいたい、早々に『神託の乙女』のうち三人がだつらくするなんて。

 そんな事態は聞いたことがない。


「壊れてはいないんじゃない? 今回もちゃんと五人選び出しているのだし。それに『神託の水盤』は代々王太子の運命の相手を選ぶのよ。五人のうちの一人だけが王太子と恋に落ちるの。だから殿下が恋をする相手は、一人。殿下を好きになるのも、たいていは一人」

「じゃあアマリアさまがきっとサイラス殿下に恋をして……いない? じゃあこれ、どうなるの……?」


 私が言い始めた途端に、アマリアさまが私の目を見ながら顔を左右にゆっくりと振ったので私は困惑してしまった。

 アマリアさまは、サイラス殿下に恋をしていませんかそうですか。

 じゃあどうなるんです? この王太子妃選。

 とっても嫌な流れを感じて私は大いに顔をしかめた。

 なんだろうこの、追い込まれている感じ。


「どうなるのかは……うふふ、今度殿下に聞いてみれば?」

「とんでもない!」


 なにしろあの男は、私に今世も薬草茶や薬草スープを作らせたいようなのだから。

 いやそれは別段嫌というわけではないのだが、絶対にそれだけじゃなくなる未来、つまり漏れなくぼうな公務と激重の責任がついてくる人生が受け入れがたい。

 前世だって別に私たち、相思相愛の熱々夫婦というわけではなかったわよね?

 最近の私は表向きはまだはくしゃくれいじょうのままとはいえ、なんだか中身がどんどん魔術師になってきている気がしているというのに。

 ちょっとしたお守りなら今でも何でも作れるし、そのお守りで誰かが喜んでくれるのが嬉しくて。

 これからもずっとお守りを作っていろいろな人に喜ばれるというのも良い人生な気がしてきている。

 この前みたいに薬草などの材料を大鍋に入れて大きな木の匙でかき回している時なんて、ふつふつと心の底から楽しさがしてきて幸せだった。

 もはや貴族令嬢のきょうは今いずこ。

 殿下のように生まれた時から王族という役割を背負って生きてきた人間でもない、すっかり魔術師としての意識に支配されつつあるなんの覚悟もないこの状態で、王太子妃なんて荷が重すぎる。

 どうせ頑張ってかくそうとしても、きっといつかはボロが出るだろう。

 常にそんな不安を抱えながら、この国の伝承のような素晴らしい王妃を演じて生きる人生なんて送りたくない……。


「おや私の話ですか? どんな話でしょう? 良い話だといいのですが」

「!! なんで来たの……!?」

「まあ殿下、ごきげんよう。ちょうど今エスニアさまと、殿下が誰を選ぶべきなのかという話をしておりましたのよ」


 私たちは同時に、突然現れたサイラス殿下を見て驚いた。

 れいとして立ち上がり、殿下をむかえる私たち。

 しかしアマリアさまと違って、私の顔に笑顔はない。

 会うのを一日一回に限定されていた頃は、殿下がこんな行動に出てもアルベインさまがしっかりと苦言とともにサイラス殿下を追い返したはずだ。

 だが今は、もうそんなことをしてくれる人はどこにもいない。

 アマリアさまの言う通り、私たちとこのサイラス王太子殿下に監視はなく完全に野放しなのだから。

 アルベインさまの見事な手の平返しには心底びっくりである。

 おかげでサイラス殿下はにこにこしながら、


「それは大変だ。お二人が私の将来を決めてしまう前にお会いできてよかったです。ぜひ私もその話し合いに入れてください」


 なんて言いながら私たちのテーブルにちゃっかりと座ってしまった。

 そこに椅子があるからって勝手にすすめられもしないのに座るとは、さすが王族である。

 もちろん誰もそれをとがめられないし、ましてや追い出すことなんてできないのをわかってやっている。

 自分が招かれざる客かなんて考えもしない、ただ好きなようにふるう。それが王族なのだと私は改めて思い知った。


「私たち二人のお茶会に殿下の方から個人的にいらっしゃるのは初めてですわね」


 アマリアさまが座りながら、近くにいた使用人に殿下のお茶をれるように目で指示をしていた。

 なにしろ私に殿下を迎え入れるつもりがないのがあからさまだったので、このままでは殿下はお茶もなしにお茶会の席に座らされ続けることになるだろうとアマリアさまが気を利かせたのだ。

 相変わらず気配りができて優秀な人である。

 それに比べてこの男は……なぜやってきた?

 もう今日の義務(交流)は終わったはずなのに。

 しかしそんな私の様子なんてお構いなしに、殿下は晴れやかな笑顔で言った。


「そうなんですよ。今までは来たくても、アルベインがうるさくてられなかったのです。でも今彼はこいびとに夢中ですからね。彼も私の気持ちをんでくれるようになったようですよ」

「まあ、それはよろしかったですね」

「はい。ですのでつい、こうして押し掛けてきてしまいました」


 自分で押し掛けるとか言っているということは、ずうずうしい自覚はあるらしい。

 でも実に声が楽しそうだ。いったい何が嬉しいのやら。


「でも殿下、今日はもうお仕事はないのですか? アルベインさまに聞いたらもしかしたらあるかもしれませんよ。今から聞きに行ってみたらいかがです?」


 私はそっぽを向いたまま言った。

 早く帰れ。そう言ったつもりだった。

 なのに。


「エスニア嬢は仕事をしている私の方が好きですか?」

「は? そういうことを言っているのでは……ありません」


 ぎょっとしてつい殿下の顔を見て、また視線を外す。

 うーん、やっぱり……落ち着かない。


「お仕事をしている殿とのがたは素敵に見えますものねえうふふ」


 なぜか一人で楽しそうなアマリアさま。

 そしてそんな私たちを眺めながらごげんらしいサイラス王太子。


「でも仕事をしていると、こうしてお話しすることができませんからね。仕事ばかりでは心がすさみます。一緒に美味しいお茶を飲みたくもなるというものです」

「まあ、それはその通りですわね」


 私の動揺や困惑なんてまるで気にもとめず、二人は優雅に会話していた。

 私は一人、なんだか居心地が悪くて落ち着かない。

 しばらく二人のなごやかな会話を眺めていて、ふと思った。

 考えてみたら私、ここにいなくてもいいのでは?

 だって今は『神託の乙女』として交流義務のあるお茶会ではない。

 ならこのまま二人で親睦を深めてもらえばいいんじゃない?


「えーとそういえば私、少しはだざむいのでちょっと上着を取ってきますね。あ、お二人はどうぞごゆっくり~」


 そう言って私は勢いよく立ち上がった。

 そうよ。別に説得なんてしなくても、この様子なら二人きりにすればきっと仲良くなるだろう。そうしたら恋だって生まれるかもしれないじゃないか……!

 私は突然のこの自分のひらめきに、たいそう満足だった。

 よしこれからは二対一で親睦を深めるような場面になったら、そっ|先

《せん》して私が抜けよう。

 なんならもうびょうでも使って、んだことにしてもいいかもしれない!


「まあ大丈夫かしら。などではないといいけれど」

「大丈夫ですわ。でもどうしてかしら。なんだかちょっと寒いみたいで……」

「それは大変だ。心配なので私がお部屋までお送りしましょう」


 そ れ は ち が う の よ 。


 そうじゃない。そうじゃないの!

 ぎょっとしてうっかり殿下の方を見たら、そこにいたのは全く心配そうではない、うっすら嬉しそうな微笑みまで浮かべた殿下だった。

 何を喜んでいるのか。


 ――あなたは来なくていいのよ。


 そんなつもりで睨んでみたのに。


「まあそう言わずに」


 と、さっさと立ち上がったサイラス殿下に腰をかれ、強制的にエスコートされてしまったのはなぜだ。


「あの……本当に一人で大丈夫ですから」


 そう言って逃げようとさりげなくもがく。

 しかし、なぜかその腕はびくともしなかった。


「そうですか? しかしちゅうで具合が悪くなってもよくない。私が心配なので、お部屋まで送らせてください」


 そう言って勝手に歩き出す殿下。


「お大事に~」


 ひらひらと手を振るアマリアさま。

 ここには味方が誰もいない……!


「本当に大丈夫なので、戻ってください殿下」


 私は小声で必死に言った。きっと緊張して顔が赤くなっている。

 今まで人前でこんなに近く接したことはなかったじゃないか。しかし。

「まあまあ。せっかくなのでお部屋までお送りしますよ。そういえばお部屋の居心地はいかがですか? 不都合はありませんか?」


 どうも戻る気はないらしい。


「おかげさまで不自由なく過ごしております。おづかいありがとうございます」


 どうしてこんなことになっているのか。

 私の腰を抱く殿下の手が気になってしょうがない。

 私はできるだけ殿下の体と自分の体を離すようにしながら歩こうとしているのに、そうするたびに殿下の手にぐいと引き戻されてさらに密着してしまう始末。

 そのまま必死に周りからは見えないであろうこうぼうをしているうちに、私の部屋に着いてしまった。

 なぜ……こんなことならあのまま空気になって座っていればよかった……!

 しかしその日を境に妙に顔を出すようになってしまったサイラス殿下に、私はすっかり閉口していた。

 王太子としての仕事もあるだろうに、どうしてひまさえあればこっちに来るのか。

 アマリアさまがいつも快く招き入れてしまうせいで、なんだかしょっちゅう顔を合わせているような気がするぞ。

 そして気がつけば、にこやかなアマリアさまとぶすくれた私が王太子とお茶をしたり散歩をしたり時には一緒におどったり……。

 いやもう、二人でやってくださいよ。

 そう思ってはいるものの、やはりそこは『神託の乙女』としてきょするわけにもいかない。

 というより拒否するとあのアルベインがうるさい。


「『神託の乙女』としてちゃんとお役目は果たしていただかないと困ります」


 って、それ、どの口が言っているのかな!?


「まあそれではぜひエリザベスさまも『神託の乙女』としてご参加いただかないと~」

「エリザベス嬢はもう辞退されていますので」

「いつでも復帰してくださっていいのですよ? 私お待ちしておりますわ~」


 しかしそんな私のちょっとした嫌味など、このアルベインには効かなくて。


「私もサイラス殿下には、ぜひ心から殿下を愛してくださる方と結婚して欲しいと願っているのですよ。エスニアさまにはもうお心に決めた方がいらっしゃるのですか? いない? ならサイラス殿下なんていかがですか? 身分も顔も最高、性格もなかなか良い好物件ですよ」

「王太子を好物件とか……いえ私はもっとごろな物件で十分です……」


 この銀縁眼鏡、どうも前と比べてかたさの中にもうきうきな気分がけて見えるような気がして、前よりさらに私の神経を逆なでしてくる。

 なあにが好物件だ。そんなにいいなら自分が結婚しやがれってのよ。

 側近なんだから、王太子妃だってさぞや完璧に勤め上げられるだろうよ。

 私はすっかりやさぐれていた。

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