父の車のドライブレコーダーを再生してみたら

仲瀬 充

父の車のドライブレコーダーを再生してみたら

 定時に会社を出てバスに乗ったら夕立が襲ってきた。沿道の人たちは急な雨脚に追い立てられて右往左往している。バスに乗ったはいいが困ったことになった、傘を持っていない。我が家は終点で降りて徒歩10分、着くまでに止めばいいが。激しく叩きつける雨に粒だつ路面を車窓から見ていると父のことを思い出した。20年ほど前、夕立に濡れながら歩く父の姿を僕はバスの中から見た。


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 人に生まれ変わりがあるのなら僕は前世で幼い時に命を落としたに違いない。妻子を抱えて40歳目前の今も僕の心根は子供みたいだ。他人の心がよく分からない、そのくせ自分はちょっとしたことで傷つく。大学で一時期不登校になったのも多分そのせいだった。「髪、カットした?」などと女性の変化にめざとい男子はポイントが高いという。淡い恋心を寄せていた同じゼミの子に廊下で僕は声をかけた。

「あれ、口紅変えた?」

彼女はあいまいに頷いて後ずさりした。こんなはずじゃなかったと焦ったが後の祭りだった。翌日からゼミの女子全員が僕を避けるようになった。家でもわけの分からない事態が生じた。僕が大学に行かず引きこもりだすと反対に父の帰宅が遅くなった。酔って遅く帰る父をなじる母の声は僕の部屋にまで届いた。僕と父の生活のリズムは数か月のうちに元に復したのだが父と母は後遺症のように必要な用件以外は口を利かなくなった。


 ずっと後になって当時のことを父と居酒屋で話題にしたことがある。不登校の原因は僕自身はっきりしないと断って女の子への不用意な発言について話した。

「心当たりと言えばドン引きされたその一言かな。それにしても彼女の反応を見たときはこんなはずじゃなかったのにってショックだったよ。父さんと母さんがしゃべらなくなったのも何かの行き違い?」

話のついでを装って父と母のことを持ち出した。僕の不登校と関係があるのではとずっと気になっていたのだ。

「世の中にこんなはずじゃなかったってことはない。髪ならともかく唇にずっと目を付けられてたのかと思うとそりゃ気持ちが悪いだろう。夫婦にしたってささいな行き違いから離婚することもあるがそれも同じだ。コップに1滴ずつ水道の水がしたたり落ちるように小さなことが積み重なったあげくささいな行き違いが水をあふれさせる最後の1滴になるにすぎないんだ。コップの水がどんどん蒸発すればあふれないんだがな。それを期待するのが年を取るってことなんだろうが、そうそううまくはいかないもんだ」

結局のところ父が何を言いたいのかよく分からなかった。


 3つ違いの姉は高校を出て美容師見習いになった。そして24歳の時に同じ勤め先の美容師と結婚した。当時は僕が引きこもって両親の仲も険悪な時期だったので姉が家を出たのはその意味でも幸せなことだった。僕は結婚を機に30前に家を出てすぐに女の子が生まれた。その娘の宮参りには両親が付き添ってくれた。神社から帰っての実家での祝いの席に姉の家族も来てくれた。

「あんた、家はどうするの?」

姉夫婦は結婚と同時に家を建てていた。

「家? 定年退職するときに退職金や貯金で建てようかな」

それまでは今のままのアパート住まいでいいと言うと叱られた。

「ばかねあんたは。家賃がもったいないし考え方も逆。退職して夫婦二人きりならそれこそアパートでもいいわよ。家が必要なのは子供が親元にいる間よねぇ、和香さん」

姉が話を向けると妻はにこやかに頷いた。僕は後日改めて妻の意向を探ってみた。

「こないだ姉さんに聞かれるまで家のことなんて考えたこともなかったな」

「そう? 私はずっと気になってた、どうするのかなって。35年ローンも組めるんだし」

妻のそういう思いに僕は全く気づいていなかった。


 妻や姉の考えを入れて娘が小学校に上がるタイミングで建売住宅を購入した。会社からバスで1時間弱の住宅団地だが終点なので出勤の時は確実に座れる。マイホームで暮らし始めて最初の桃の節句には両親を泊りがけで招いた。オードブルと寿司の出前を取って食べたり飲んだりしたが父と母の組み合わせだけは相変わらず会話がない。翌朝早く目を覚ますと父の姿が見えなかった。玄関の鍵があいていたので出てみると父は家の前で道路沿いの小川を見ていた。本降りの日が数日続いたせいで水かさが増している。小さな渦をいくつも巻いて流れる濁った川面に父は見入っていた。

「何を見てるの?」

父は僕を振り向きもせずに川面を指さした。

「ゴミは渦に巻かれてクルクル回ると抜け出てまた別の渦に巻かれるんだ。巻かれて沈んでも浮き上がって流される」

ふうんと生返事をして僕は朝食までのあいだ住宅団地を一回りしようと父を誘った。

「ゆうべはご馳走になったな」

「こっちこそ立派なひな人形を買ってもらって」

「もうひと月くらい飾っているんだろう? いつ片付けるんだ」

「さあ、和香に任せてるから。でも早くしまわないと婚期が遅れるんだってね」

「世間ではそう言ってせかすが俺は気持ちが悪いせいもあるんじゃないかと思う。ひな人形はじっと見つめるとあれでけっこう不気味なもんだ、特に夜は」

「そう言われれば人形はホラーものの小道具によく使われるね」

「ひな人形のルーツは流しびなだ。大昔は人形で体を撫でて自分のやくを移して川に流したんだ」

「神社のお賽銭さいせんもそうだって聞いたことがある。神様に寄進するお金なのに投げ捨てるように賽銭箱に入れるのが気になってたんだけど、あれもお金に自分のやくを移してはらってもらうんだって」

「そういう説もあるようだな。そんなことで祓い清められるならありがたいんだが」


 僕が子供っぽいからかもしれないが父は分かりにくい人間だった。一番奇妙に思ったのは夕立に打たれて歩いていたことだ。僕が引きこもっていた学生のころ父は帰宅が遅く休みの日もよく外出していた。7月のある日曜日、父の行動を探るよう母に頼まれたことがあった。不倫でも疑ったのかそれとも僕に外の空気を吸わせる口実だったのか。尾行を始めた僕は母の頼みを引き受けたことを後悔した。行き先は神社だったのだが暑い中1時間以上かけて父は5キロ余りの道を歩いて行った。神社に着くと賽銭箱の前で何かぶつぶつ呟きながら長いこと手を合わせていた。お参りをすますと神社に併設されている和風の喫茶店に入った。そして窓際の席でビールを口に運びながら遠くの山並みを眺めていた。外の木陰から様子をうかがう僕がしびれを切らしかけたころ父はやっと腰を上げた。今度はどこへ行くのかと思っていると父は来た道をまた歩いて行く。僕は付き合いきれず神社前のバス停のベンチに腰掛けた。バスは20分後にやってきたが乗りこんだとたん夕立がきた。しばらく走るとバスは父に追いついた。車窓から見えた父は急ぎもせずに雨に打たれて歩いていた。あれからもう20年近くになる。今僕が会社帰りに乗っているバスも路線は違うがあの時と同じように突然の夕立の中を走っている。目をつぶるとあのときの濡れねずみの父の姿がよみがえる。


 父は昨年の夏、72歳で亡くなった。がんに侵されていたことを家族に言わなかった。隠しきれないほど異様に痩せ始めたあとは早かった。母に加えて姉と僕の家族も病院に詰めていると今はのきわに父は虚ろな目を開けた。

「いやな思いをさせてばかりだった」

母が泣きながら首を横に振ったが僕は父が誰に何を詫びたのか分からなかった。目を閉じて昏睡状態に陥った父を見ているうち父の言葉は自省の独り言だったようにも思えてきた。よく分からなかった父を理解できたように思えたのは亡くなった後だった。マイカー通勤ができない職場だったせいもあって父は定年退職してから軽自動車を買った。母の話によると毎日のように車で出かけていたそうだ。父の死後その自動車の売却を母に頼まれた。中古車センターに持ちこむ前にドライブレコーダーの録画を再生してみた。プライバシーに関わる映像があれば消去しなければならない。録画フォルダには2週間近くの分量の映像が残っていた。行先のほとんどは自宅から20分くらいのところにある河川敷きの公園だった。映像よりもレコーダーに記録されている音声に驚いた。「朝から暑いですね」「今日も1日頑張って」「お勤めご苦労さまです」車でのすれ違いざまだから相手に聞こえはすまいが老人や学生や勤め人にそんな声をかけている。家では寡黙だった父は本当はこんなふうに生きたかったのだと思った。運転しながら歌っているのも意外だった。年齢とし相応に懐メロも歌っていたが童謡や唱歌、それに昔のアニメソングを多く歌っていた。僕はこれまで親として人生の先達として見ていたから父を理解できなかったのではないか。父の心は僕と同じく少年のままだったのではないか。田中克己という詩人の歌を思い出した。

  この道を泣きつつわれの行きしことわが忘れなば誰か知るらん

この歌があの夕立の日の父と重なる。

 俺の帰るところはあるのかな……

 俺はもう帰らなくてもいいのかな……

父はそんな思いで涙を雨に紛らわせながらとぼとぼと長い道を歩いていたのではなかろうか。少年の感受性で家族を背負い続けたのならさぞ孤独な一生だっただろう。毎日のように河川敷きに腰を下ろして川を眺めていたであろう父の胸中がしのばれる。我が家での最初の桃の節句に両親を招待したことがあった。あのときも父は近所の川の濁流を見ていた。父は淡々と生きたのではない。会社では社員、家庭では夫や親として責任を果たそうと、渦に巻かれる塵芥ちりあくたのようにもがきそして流されたのだろう。道行く人たちに気楽に声をかける父は家族には「おはよう」も言えないまま逝った。しかし、だからこそ僕たちは紛れもなく家族だったのだ。「いやな思いをさせてばかりだった」今はのきわの父の懺悔ざんげは僕も母も等しく負うべきものだった。


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「お客さん、終点ですよ」

運転手からマイクで呼びかけられた。バスはすでに停まっている。慌てて降りると妻が娘を連れて立っていた。

「おかえりなさい。せっかく迎えに来たんだけど、」

妻は傘を2本持ったまま空を見上げた。つられて娘も僕も空を仰いだ。雨は上がっていた。妻が今度は四方を見回した。

「どうした?」

「虹は出てないわね」

「ぜいたく言うんじゃないよ。夕立が止んだだけでもうけもんだ」

「お父さん早く帰ろうよ、今日はハンバーグなんだって」

娘に手を引っ張られた僕は歩き出そうとして不意におどけたい衝動にかられた。娘にカバンを預けてエヘン!と偉そうに咳払いをした。

「さあ帰ろう。かわいい娘よ妻よ付いて来い、お父さんは我が家に帰るのだ!」

僕は胸を反らし元気よくスキップを始めた。そして5、6歩行ったところで止まり上体を折って両手を膝についた。追いついた娘が「アハハハハ!」と笑いこけた。妻は僕の背中に片手を置いて「どうしたの?」と心配そうに僕の泣き顔をのぞきこんだ。

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父の車のドライブレコーダーを再生してみたら 仲瀬 充 @imutake73

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