☆KAC20248☆ 緑のカーテン

彩霞

前編

 俺は今日も変わらず、一人で開店前の床をモップで水拭みずぶきしていた。

 南側の床には、葉っぱ模様の影ができており、きらきらと木漏こもが差し込んでいる。


 俺はその影の上をなぞるようにして床を拭きながら、黙々とカウンターのある東側から移動した。そして、西側の端までくると、窓についたブラインドを開ける。


 すると少し開けただけで、待ってましたとばかりにまばゆい光が店の中に入り込み、整然と並ぶ四人掛けのテーブルや椅子たちを浮きだたせた。


 まだ午前八時過ぎというのに、日差しはぎらぎらとしており、窓から外を見てみると、駐車場のアスファルトはじりじりと焼け、すでに熱そうである。


 俺は、ふう、と小さくため息をつくと、一旦窓から離れ、再び東側に向かってやさしく床を拭いていく。


 黙々と一人でするこの作業は、性に合っていると自分で思う。

 大学に行く前の時間にバイトができるという利点もあるが、じっくりコツコツとやれる床拭きが自分にとって心地よいし、きれいになったあとは不思議と自分の気持ちもすっきりする。


 それに、誰かに何かを言われて、「ここが拭かれていない」とか「できていない」と言われるよりも、自分がしっかり磨き上げたあとに、マスターから「きれいにしてくれてありがとう」と言われるのも嬉しい。お陰で、さらに頑張ろうという気にさせてくれる。


「ふう……。エアコン効いてても、やっぱり暑いな……」


 かいた汗を、タオルで拭いていたときだった。

 俺以外いないはずの店内に、「せいが出るねぇ」と明るい声が聞こえたのである。


 客も使う店のドアから入って来たのなら、鈴の音がなるはずだ。


 しかし、その音が聞こえなかったということは、裏口から入ってきたのだろう。つまり関係者だとは思ったが、マスターや調理師、ウエイターたちが来るには早い時間である。


 誰だろうと思ってはっとして振り向くと、そこにはサングラスをかけ、白いTシャツに、濃い色のジーンズをはき、黄色いハイヒールをいた、スタイルのいい女性が立っていた。

 俺は、その人が誰だか分かると、胸の辺りが喜びでそわそわするのを感じ、自然と足が動いて彼女との距離を詰めていた。


なぎさん? どうされたんです?」


 凪さんは、この喫茶店のオーナの娘で、二十八歳の写真家だ。

 元々は、フリーペーパーなどに掲載する写真を撮って仕事にしていたが、そのうち「自分が撮りたい風景を撮る」というスタンスに切り替えて、今は風景の写真集を作るために各地を回っている。


 そのため、俺がここでバイトをし始めた二年前までは毎日のように会えていたのに、ここしばらくは会っていなかった。さらにアメリカにも行っていたため、彼女から直接近況を知ることはできないでいたのだ。

 だが、俺の気持ちを察したマスターが、それとなく凪さんの情報を流してくれていたのである。


 マスターいわく、「どうなるかは凪次第だから何ともいえないけど、泉くんはなんだか応援したくなるんだよね」らしい。マスターの目に俺がどう映っているのかは分からないが、応援したくなるような人間に見えたのは良かったと思う。


「昨日、ニューヨークから帰ってきたんだ。もう、飛行機の乗る時間が長くて疲れちゃったよ」


 凪さんは持っていたコンパクトデジタルカメラ――通称「コンデジ」——と、大きなカバンをカウンターに置く。もう一つは一眼レフだろう。


「そうだったんですね。いい写真、撮れましたか?」


 すると凪さんは付けていたサングラスを取り、おでこの辺りに移動させると、赤い唇に苦笑を浮かべた。

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