第6話 E-GP3 ベルギー・スパにて

 5月はレースシーズンで今週は私にとって初めてのE-GP3参戦である。場所はベルギー・スパフランコルシャン。通称スパである。サーキットの近くには有名な温泉地がある。と言っても水着で入るプールみたいなお風呂である。日本の温泉とはまるでイメージが違う。

 サーキットは6kmを越す。例の悪魔の壁と言われるオールージュが待ち構える。今年はMotoGPが開催されない。ライダー泣かせのサーキットと言われているからかもしれない。

 木曜日にスパに入り、近くの安宿に入る。チームで貸し切りだ。エイミーと同室になった。夕食の後、チームミーティングがあり、マネージャーのケニーがアカデミーから初参戦をする私とエイミーの紹介をしてくれた。自分も型どおりの挨拶をするとレギュラーライダーのジム・フランクが質問をしてきた。

「 Are you 15 years old ? 」

(お前は15才か?)

 私は一瞬呆気にとられたが、少しムッとした表情で

「 No , I'm 18 years old .」

(違います。18才です)

 と語気を荒げて応えると

「 Sorry . You are very young and cute. 」

(ごめん。とても若いし、それにかわいいよ)

 イヤミな感じではなかったので、

「Thank you . 」(ありがとう)

 と応えておいた。彼は21才のイギリス人で現在ランキング3位にいる。彼に勝てる走りをすればスポット参戦でもチーム監督のジュン川口に認められると言っても過言ではない。

 と思っていたら、そこにジュン川口がやってきた。ライダー3人への話が始まった。

「 Here Spa has one of the best courses in the world . However , the straights are long , so it really depends on the machine's performance . But if you push yourself too hard , you'll damage the machine and the tires . This is only a 10 lap race , so please be kind to your machine . And Spa weather . The weather in the morning is not necessarily the same as the weather in the afternoon . Former team owner Mr. Haintz has had serious injuries , he fell due to a sudden rain shower on the over " eau rouge " . That's how it goes . Please be very careful when riding . 」

(ここスパは世界屈指の難コースだ。だが、直線が長いのである意味、マシンの性能で決まる。かと言って無理をすればマシンを壊すし、タイヤも痛める。わずか10周のレースだが、マシンをいたわって走ってください。それに、スパウェザーだ。朝の天気と昼の天気が同じとは限らない。かつてチームオーナーのハインツ氏がスパで突然の雨に降られ、オールージュ先で転倒し、大けがをしたことがある。そういうこともある。くれぐれも気をつけて走ってくれ)

 ということだった。ジム・フランクにとっては知っていて当然のことなので、これは私とエイミーへの言葉と思った。

 翌金曜日、フリー走行。午前と午後に1回ずつ行われる。担当メカがいるので自分でマシンにさわることはない。ただ、自分の感じたことをうまくメカに伝えることができるかが問題だった。ふだんは2台体制で出ているが、今回は3台体制。メカの人数は変わりはないので、ピット内はあわただしい。

 午前中はフランクの後について走った。ラインどりを教えてくれるという、と言っても、直線が長いのでいかにスリップストリームでついていけるかがポイントだという。オールージュを越えてからのケメルストレートで最高速を出す。MotoGPでは350kmが出るという。E-GP3は250km程度だ。その後のレ・コームのシケインで急減速が強いられる。スピードを出すのはだれでもできるが、このレ・コームをうまく抜けるかどうかがカギだとフランクは言っていた。8割程度のスピードしかだしていないが、私にとっては未知の世界だ。そして右コーナーのリバージュを抜けて、左の高速コーナーに入る。ここをストレート並みのスピードで走る。度胸が試されるコーナーだ。右ターンの後に旧公道コースに入り、ブラインドの高速左コーナーがある。この2つの高速左コーナーを自分のものにしないとスパでは勝てない。そして有名なバスストップシケイン。昔バス停が実際にあったという。2つのシケインが続いている。ラインどりが大事だ。そして左コーナーの最終コーナー。フィニッシュラインがすぐにやってくる。ちなみに超低速の右コーナー、ラ・スルースはスタート直後にある。集団で突っ込むので混乱が起きる有名コーナーである。

 午後はまさにフリー走行だ。エイミーと二人で交互にスリップストリームの練習をする。仲間がいるというのはうれしいことだ。

 土曜日、午前はフリー走行。午後に予選。まずはエイミーといっしょに走り、周回ごとにスリップストリームを交替し、タイムを稼いだ。おかげでフランクの0.5秒落ちを出すことができた。エイミーも0.6秒落ちと好タイムだ。これには監督のジュン川口も驚いていた。

「 It's amazing for a first machine ! 」

(初めてのマシンですごいじゃないか!)

 とほめてくれた。そこで

「 Thanks to Jim for the detailed instruction . 」

(ジムが丁寧に教えてくれたおかげです)

 と先輩をたてておいた。聞いていたジムは親指をたててご機嫌だ。

 予選の結果はジムが5位、私が8位、エイミーが9位と3列目の好位置につけた。

 

 チームの夕食はベルギー名物の「ムール貝の白ワイン蒸し」だった。アルコールが入っているのはどうかと思ったが、アルコール分はとんでいるという話なので、おそるおそる食べてみた。食べ方が独特で、からのムール貝をつまんで、トングみたいにしてムール貝を取り出して食べるのである。セロリやニンジンといった野菜もいっしょに入っており、味がしみている。なかなかいける味だったが、10個ほど食べるとなんか酔っぱらった感じになってきた。エイミーは平気でパクパク食べている。私はギブアップ。

 日曜日、天気はくもり。いかにも雨が降りそうな天気だ。スパウェザーに見舞われるかもしれない。雨対策を用意しておく。

 午前のウォームアップランはドライで走れたが、昼からは雨がしとしと降ってきた。南国のスコールとは違う。傘をさすほどではないが、微妙に濡れる。レインタイヤに履き替えたが、ぶっつけ本番だ。何かが起きる気配がした。

 1時決勝スタート。相変わらず小雨が降っている。私は皮ツナギの上にビニールの雨カッパを着た。ライダーの中には皮ツナギのままの人もいる。

 3列目なので、前のマシンの水しぶきをあびる。前のマシンのテールランプだけが頼りだ。低速右コーナーの第1コーナーは皆スピードダウンをしていたので、混乱なく通りぬけることができた。そこから下りのストレート、メインスタンド前を駆け抜ける。メインスタンドには屋根があるので、今日はほぼ満員だ。そして、悪魔の壁であるオールージュがせまる。ここでは無理はしない。アクセルを少し緩め、ラインどりを気をつけて抜ける。前を走る1台が右に流れていった。ちょっとでもミスをするとここは危ない。

 1kmを越すケメルストレート。前のマシンとラインをかえて、水しぶきをあびないように走る。問題は次のシケインだ。ブレーキを早めにかけてここもライン重視で抜ける。ここでも1台がオーバーランしていった。右のリバージュコーナーはUの字になっている。前のマシンのスピードに合わせる。次の左高速コーナーも無理をせず、前のマシンのペースに合わせる。バスストップシケインは1列縦隊で抜ける。ピット前のストレートもほぼ1列縦隊だ。

 2周目、ここからが勝負だ。メインスタンド前のストレートで思いっきりアクセルをあける。ここで1台抜けた。そしてオールージュ。無難に越える。長い直線のケメルストレート。前のマシンのスリップストリームにつく。そしてシケインのレ・コーム手前で前のマシンを抜く。今日は調子がいい。リバージュコーナーを抜けると前に同じカラーリングのマシンが見えた。ジムのマシンだ。彼のうしろについて走る。

 8周目、雨がやんできた。シールドに感じるのは前のマシンの水しぶきだけだ。ジムのピットボードには「P3」と出ている。ということは、私は4位を走っているということだ。なんかゾクゾクしてきた。

 9周目、レコードラインが乾いてきた。ジムはアタックをかけ始めた。トップ2台にくらいつき始めた。私はジムのペースについていけず、少し離された。

 ファイナルラップ。ケメルストレートで3台が横に広がっている。3ワイドだ。アウトにジムがいて、ブレーキング勝負をかけた。とその時、先頭に出たジムのラインに2台が突っ込んでしまった。接触して3台ともコースアウトしていった。私がトップになってしまった。この前のルマンと同じだが、これは公式戦だ。アカデミーの争いではない。その後のライディングは正直はっきり覚えていない。気がついたらチェッカーフラッグが振られていた。1周ウィニングランをするのかと思ったら、ラ・スルースを抜けたところでオフィシャルからピットロード出口に誘導され、ピットロード逆走で戻ってきた。ウィニングラン分のガソリンは積んでいないので、これがスパのやり方ということを初めて知った。

 表彰台前に来ると、ピットクルーがやんやの歓声をあげてくれた。中にはハグをしにきたクルーもいたが、及び腰の私に皆が笑っていた。監督のジュン川口が日本語で

「ももか、よくやった!」

 とほめてくれた。3ケ月ぶりに聞く日本語だった。エイミーも3位に入り、2人で抱き合って喜んだ。でも、この優勝はジムのおかげだ。表彰式が終わってから彼に挨拶にいった。

「 The victory is thanks to you . I was saved by you running in front of me . 」

(この優勝はあなたのおかげです。あなたが私の前で走ってくれたことで、助かりました)

 と言うと、

「 I didn't run for you . This is just the result of aiming for the top . This is also a race . 」

(別にお前のために走ったわけじゃない。トップをねらった結果がこうなっただけだよ。これもレースだ)

「 Maybe so , but you were faster than me . That's true . 」

(そうかもしれませんが、あなたは私より速かった。それは事実です)

「 You can't win a race just by being fast . You need luck and you need risk aversion . You've passed that point . Good luck next time . 」

(レースは速いだけでは勝てない。運も必要だし、リスク回避も必要だ。要は賢い奴が勝つんだよ。その点、お前は合格かな。次もがんばれよ)

 と言って、自分のクルマで帰っていった。自宅はブリュッセルにあるということだ。

 ザルツブルグに帰るバスの中では大盛り上がりだった。E-GP3初参加で優勝。運がよかったとはいえ、快挙には違いないのだ。

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