空き巣男

北見崇史

空き巣男

 あの家を見てから一週間がたった。

 住宅地から離れた畑の中にある二階建ての古い一軒家だ。真冬の北国なので雪が積もっている。家の周囲や玄関前に足跡がないというのは、人の出入りがないということだ。一週間も外出しないことはあり得ないし、だとすると空き家ということになる。

 俺は空き巣をして稼いでいる。住人が生活している家に侵入して盗みを働いたのは昔のことで、いまは、一人暮らしの年寄りが施設に入ってしまったり死んでしまったりして放置されている空き家が専門だ。

 収穫はまちまちだけど、人が住んでいる家に入るよりもリスクが少ない。タンスなどを漁っていると、ごくたまに札束が見つかることがあるので、生きていくうえでの稼ぎとしては上々なんだ。

 災害で全住民非難した地区にも出張ったことがある。原発事故の時は稼がせてもらった。ただし、道路は警察が封鎖していたので山の中を歩いて大変だった。火山が噴火したふもとの集落を物色していた時なんか、火砕流が起こって死ぬかと思った。あの時は金もとれなかったし、くたびれ儲けだった。

 夜になってすっかりと暗くなったので忍び込むことにする。足跡でバレないように気をつけて進んだ。侵入は玄関からではなく、裏口か、なければ便所の窓からだ。畑の中にあるポツンと一軒家だが、道路から近いし、あんがいと見られやすい。さすがに正面から正々堂々はマズいんだ。

 家の中はすごく冷えていた。空き家だからストーブは点けられていない。当然だ。吐き出す息が白くなるまではないので耐えることはできる。鼻水や咳も出ないし、風邪をひくことはないだろう。少なくとも野外よりはマシだ。

 まずは居間から探し始めることにする。大きな窓にはレースのカーテンがかかっているので、俺の影が外から見えることはない。一切の照明を点けていないので絶対に見えないはずだ。ペンライトさえも使っていなんだ。

 引き出しの中をガサれば一万円札が入った封筒や札入れなどが見つかる場合がある。こういう家は年寄りが住んでいたことが多い。じいさんばあさんは手元に現金を置きたがるからな。

 サイドボードやテーブルの引き出しを見る。とても暗いのだが、月明かりと指先の感触だけでなんとか探っていく。

 だけどガラクタばかりで現金がない。婦人用の小さな腕時計があったが、俺には価値がわからないし、仕事の前提として足の付きやすい物は盗らないことにしている。小銭でもいいから、狙うのはあくまでもお金だ。うまく見つけることができた時は、頭の中にアドレナリンが出まくるんだ。

 居間を探し終えたので、隣の部屋に入った。仏壇があるのは古い民家あるあるだな。引き出しを漁るが収穫はなし。一円玉と五円玉が数枚あったくらいで盗る気にもならなかった。押入れにはカビ臭い布団があるだけだった。

 二階の部屋を調べることにした。二つあって、畳敷きの右側は客間なのか何もなかった。押し入れも布団だけで、やはりカビ臭かった。

 左側の部屋にはベッドがあって、昔のアイドル歌手の水着ポスターが貼られていたり、古いラジカセがあったりした。黒い学生服が壁に掛けれているが、肩のあたりに大量のホコリがかぶっている。部屋主がいなくなってから、相当な年月が経っているのだろう。

 この家には何もないな。ハズレだった。住人は、あまり裕福でなかったようだ。諦めて居間に戻った。外は寒すぎるので日が昇る直前までいることにする。

 う、なんだ。

 なんらかの気配がしている。仏間の横にもう一つ部屋があるのを見逃していた。そこに誰かがいるような気がしたので、さっそく覗いてみた。

 ばあさんがいた。畳に布団を敷いて仰向けになって寝ている。目がカッと見開いて瞬き一つしない。じっと天井を見ていて、まぶたが動いていない。生きている兆候がまったくなかった。

 死んでいるのか、と思わずつぶやいてしまった。

 すると、「寒くねえのか」と返ってきた。

 寝ているばあさんが言ったんだ。心臓が止まるかと思った。胸に手を当てて鼓動があるのか確認したくなった。空き巣に入ったのに、その家の者に見つかってしまった。逃げるしかないか。

「せっかく来たんだから、なんか食っていけばいいべや」

 ばあさんだけど、幼児のようにか細い声だった。

「なんもないけどな。年とって一人になって、なんも作れなくなったさ」

 この空き家に食い物などないだろう。雰囲気から察すると、生活感が途切れてからけっこう経っているはずだ。

 ハッと思いついたので、隣の仏間に急いだ。壁の上に遺影がいくつか掛けられているのだが、そのうちの一つがばあさんにそっくりなんだ。

 そうか、やっぱり死んでいるのか。この空き家には、人の代わりに、かつて人だったモノがいるんだ。

「腹へったか」

 突然背中で言われたのでとび上がってしまった。振り返ると、ばあさんがいた。痩せこけた老人が、ヨレヨレになった寝巻姿で立っていた。息のかかるほどの近さだが、いっさいの生気を感じない。空気よりも冷たい感じがした。

 長いこと空き巣をやっているが、こんな遭遇は初めてだ。俺はとくに霊感が強いわけではないが、なんとなくではあるが、ここに霊気が充満していることがわかる。この世のものと、あの世のものが出会っていいのだろうか。とり憑かれる前に退散した方がよさそうだ。

「来たばっかりで帰るのか。なんかもっていけよ。金ねえんだろ」

 ばあさんがそう言うが、この家から盗むと呪われそうだ。そもそも現金がないから無理だし、障ってはいけないモノに係わっているとロクでもないことになる。早いとこ退散しよう、ナマンダブナマンダブ。

「明日も来ればいいんだ。なあんも、気にすることねえんだから」

 ばあさんは布団に寝ていた。暗闇にカッと見開いた目で天井を見つめている。ピクリとも動かない。成仏してあの世に行けばいいものを、どうしてこの家に残っているのだろう。なにがしかの未練があるからか。人の執念は恐ろしいものだ。

 その晩はそれ以上長居することなく家を出た。寺か神社でお祓いでもしたいのだが、神聖な場所に空き巣が行くのもどうかと思ってやめた。

 あのばあさんが、どうにも気になってしまう。できれば天国へ成仏させてやりたい。なぜそんなことを思うのかというと、まあ罪滅ぼしかな。

 俺の生涯において人を傷つけたり殺したりはしなかったが、盗みを働いて迷惑をかけたことは確かだ。金がなくなって困った者は多いだろう。あのばあさんは、あんな存在になる前は善良な人だったはずだ。なにせ泥棒に追い金をやろうというのだからな。安らかに逝かせてあげたいんだ。

 だから、今晩も来てしまった。

 相変わらず、空き家周辺の積雪に足跡はなかった。やっぱり誰も訪れることがない放置された空き家なんだ。

 いるかー、と言ってみた。返事はない。居間には、やや青みがかった月明かりがレースのカーテンを通して差し込んでいて、少し明るかった。今宵は夜目が効くので、おもわず現金を探してしまった。引き出しに手をかけてハッと我に返って、泥棒の習性を苦笑してしまう。そういえば、俺の実家もこんな感じだったかと懐かしい感情にひたって罪悪感を忘れようとした。

「おー」

 いきなり声がした。

 隣の仏間からだと思った。仏壇があるので、さっそくあの世のモノが降りてきたのだろう。線香を焚いて成仏させようと思ったけど、さすがに空き家で火を点けるわけにはいかないから拝むだけにする。

 だけど誰もいなかった。実体ではなく声だけの現象か。そういえば仏壇の引き出しを物色していなかったことを思い出して、ガタガタとまさぐってみた。哀しい習性に苦笑してしまう。

「なんもないってよ」

 声がしたのは仏間ではなくて隣の寝部屋だった。薄っぺらな布団が敷いてあって、あのばあさん寝ていた。前と同じように、まるで生気のない目で天井を見つめている。命の灯火がまったく感じられない。俺がいるのに微動だりともしないんだ。

 なあ、成仏しないのか、と言ってやった。布団に寝たままで幽霊にならなくてもいいんじゃないか、とも付け加えた たぶん、そうやって死んだのだろうな。あの世のモノだから、妙なことにこだわりがあるんだ。

「なんか食うか」

 前にも言われたけど腹は減ってない。冷蔵庫を開ける気さえしないよ。

「なにしてんだ」

 空き巣に来たとはさすがに言えない。返答に困ってしまう。

「いままでなにしてたんだ」

 母親みたいことを訊いてきた。あいにく、親はこんなにも年寄りじゃないけどな。

 俺の仕事に興味があるようだ、相手は幽霊なのだから正直に答えてやってもいいかな。どういう反応をするのか興味がある。

 いやいや、やっぱりだめだ。ヘンに正義感のある幽霊だったら厄介だ。祟られでもしたらたまったものじゃない。善良な市民のフリをしておいたほうが無難だろう。

 薬の訪問販売だと言ってやった。北は北海道、南は沖縄まで、日本全国の家庭を訪問していると説明した。

「あったかいとこに住みたいな。寒いのは、もういいわ」

 南国でも空き巣をしていた。やたらとデカい蜘蛛と目があったり、毒ムカデに足を噛まれそうになったことを面白おかしく話した。ばあさんは天井を見つめたまま、「ふふふ」と笑っている。ツボにハマったみたいだ。

 台風で避難していた家に空き巣に入ったとき、犬がお産していたことがあった。柴犬みたいな雑種で、俺が侵入した時は、ちょうど尻から子犬を絞り出しているところで、それでも番犬らしくワンワンと吠えられたのはシュールな体験だった。そのことを伝えたのだけど、もちろん盗みの部分はテキトーに誤魔化しておいた。

「おまえ、ガキの頃はゲームするか悪さするかだったのに、がんばり屋さんになったんだな。よく戻ってきてくれたよ」

 このばあさんには息子がいたようだ。俺と勘違いして、里帰りしたと思い込んでいる。話を合わせてやるのもいいか。供養になるし、ひょっとしたらどこかに隠してある現金の場所を教えてくれるかもしれない。

「風邪ひかんかったか」

 たしかにびしょ濡れになったが、蒸し暑かったからぜんぜん大丈夫だった。家主の下着があったから着替えることができたし、お産していた犬も水やメシをやって世話していたら懐いてくれたしな。

「嫁はいないのか」

 うわっ、ビックリしたぜ。

 ばあさん、いつの間にか俺の背後に立っていやがった。線香くさくて枯れ枝みたいな体が、ぬーっと立っているんだ。ちょうど上を見たら遺影があって、このばあさんの顔とぴったりと重なるんだ。さすがに気色悪くて身震いが止まらない。 

「男だったら子供作らんと」

 空き巣をやりながら所帯を持っているやつもいるけど、俺は独り身だ。いつパクられてもおかしくないからな。間違って子供でもできたら、それはそれで面倒なことになる。

 結婚を考えた女がいたが、向こうの親に嫌われてご破算になってしまった。これは本当の話でウソではない。

「そういう人生もあるわ。かえって一人も気楽だろう」

 なんだよ。慰められているのか、ばあさん幽霊に。

「茶、淹れてやっからな」

 おいおい、いきなり台所に立ってるぞ。どうやって移動したんだ。薄気味悪いのにもほどがあるぞ。

「水しかねえわ」

 しかも幽霊が気を利かせて、俺にお茶をご馳走してくれるそうだけど、案の定お湯が沸かせない。

「せっかく来たんだから、ここにいればいいんだ」

 現金もないし、幽霊がでるし、この家にいることに意味がない。野良犬だって素通りするぞ。俺にとって、これっぽっちも価値はないんだ。

「父さんが酒飲みで悪かったな。おまえによく絡んでいたから」

 俺の親父も酒乱だった。よくケンカしたよ。ガキの頃は殴られたけど、中学を出ることには体つきが逆転して手を出されなくなった。そのかわり口喧嘩は毎日だった。高校中退で家を出た。母親には止められたけれども、結局 おにぎりと二万円をくれた。

「あの時は悪かったな。ムリにでも引き止めればよかったんだ」

 どんなに説得されても、俺は決心を変えなかっただろう。とにかく家から出たかったんだ。

「ドロボウになったのか。すまんかったな。あたしがしっかりしていれば、おまえも家出しなくてすんだのに」

 最初っからドロボウじゃなかったんだ。ラーメン屋やパチンコ屋の店員、測量の手伝いや土木作業員をやっていた。だけど学歴も中途半端だし、元から短気でケンカばかりで、どこも長く続かなかった。結局、一人でやる仕事が性に合っていたんだ。盗人のくせして結婚を夢見たのは間違いだったよ。

「もう、いくのか」

 ああ。

 お日様が昇ってきたし、そろそろ引き上げる頃合いなんだ。なんだか懐かしくなって心がほんわかしてきた。胸につかえていたものが、スーッと落ちていったような気がする。この家に戻れてよかったよ。

 ばあさん、達者でな。




「おばあちゃん、おばあちゃん」

 やや小太りの四十女が、玄関を勢いよく開けて家の中へと入ってきた。積雪を踏み固めたので、脱いだ靴裏に雪が付着していた。きれいに掃除されていた三和土が汚れてしまう。

「吉田のおばあちゃん、いるのー」

「なんじゃい。朝っぱらかうるさいなあ」

 女が居間に入り、さらに隣の仏間へのふすまを開けると、強いオレンジ色を放つ古めの電気ストーブの前で、老婆がちょこんと座っていた。

「ちゃんと生きててよかった。二週間も来てなかったから、どうしてるかと思って」

「まだ死なないよ。八十になったばかりだからな」

 八十歳にふさわしく、老婆の様相は枯れきっていた。

「食べるものあったの」

「米も味噌もあるからな。サンマの缶詰もあるし、ちゃんと食ってたよ」

 老婆は湯飲み茶わんで水を飲んでいた。ガスが出ないと愚痴をこぼしている。

「ガス屋さん、ボンベを替えに来なかったのかしら。連絡すればいいっしょ」

「あたしはわかんないんだ。ガスとか灯油とか、ぜんぶ佐知子がやってたからな」

「双子の妹さんが亡くなって、いろいろ不便になっちゃったねえ」

 壁の上に掛けられている遺影をチラリと見ながら言った。

「まあ、ヘルパーさんが来てくれるからな。ここんところはさっぱりだけども」

「ごめんね。吉田のおばあちゃんの担当が急に辞めちゃって、引継ぎもしないで放り投げたから、誰も気づかなかったさ」

 首から介護施設の身分証明書をぶら下げた四十女が、しきりと謝っていた。

「気にしなくてもいいって。かわりに息子が来てくれたから」

「おばあちゃんの息子さんって、たしかだいぶ前に亡くなっていたんじゃ・・・」

 四十女の声がフェードアウトしていき、気まずそうに沈黙してしまった。重たい空気にかまわず、老婆は話を続ける。

「浩司は、ドロボウに入った家で火山の煙に巻かれて焼け死んだんだ。バカタレだったけどな、ようやく帰ってきてくれたよ。嫁をもらいそこねたって言ってたな。ほんとうはいい男なんだ」

 ヘルパーが来たとき、家の周囲に足跡はなかった。四十女はいろいろと察して頷いた。

「おばあちゃん、よかったねえ。また来てくれるかもしれないよ」

「ドロボウやめたから、もういっちまったさ」

 シミと皺だらけの目をつむって、老婆が合掌する。窓からの日差しが、いつになく温かかった。

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空き巣男 北見崇史 @dvdloto

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