勧誘もアカン!

 最寄り駅に到着した。周りにいた乗客の殆どが降りて行ったが、それでも車内は間を縫って人が一人通れるくらいの人混みで溢れている。


 さすが、大都会東京。関西の通勤ラッシュとは比べ物にならないくらいの人混みである。


(うーん、痴漢野郎も降りてしまったやろか? それやったら良いけど、次にあった時は容赦はせん! その場で張り倒したるわ!)


 大熊猫パンダは鼻息荒く、扉近くに立って背後を警戒していた。ここに立っておけば、扉の窓ガラスに映る痴漢野郎の姿を確認できると思ったからだ。


 今、大熊猫パンダの背後に立っている男は一人。真夏なのにジャケットを着込んだ三十代くらいの男性が一点を見つめて立っていた。


 髪の毛が一本も生えていない強面のおっさんだった。身長は大熊猫パンダと同じくらいか、少し高いくらい。しかも体格が良いのか、胸元のシャツが今にも弾けそうである。


 パッと見た感じヤ●ザに見えなくはないが、こんな暑い中、涼しげな表情ができるのが不思議で、大熊猫パンダは珍しく見入ってしまった。


(こんな強面のおっさんが痴漢なんてするんかな? やっぱり、さっきの駅で痴漢野郎は降りたんかもしれん――)


 そんな事を考えている時だった。


 ソッ……と、手が大熊猫パンダの股間に伸びてきた。驚いた大熊猫パンダは蚊を叩き落とすかのように反射的に手を払いのける。


 パチンッ! と快音が車内に鳴り響いた。しかし、厄介ごとが大嫌いな日本人は誰一人顔を上げずに、スマホ弄りに没頭している。おい、誰か一人くらい反応しろや! と、大熊猫パンダは心の内でツッコミを入れたのだった。


(マジかよ! チラッと見えたジャケットの色、強面のおっさんが着てたやつやった!)


 大熊猫パンダは手摺りを持ちながら項垂れてしまった。まさか、背後にいる強面のおっさんが痴漢をしてきた張本人だとは思ってもみなかったのである。


 普段から鍛えている大熊猫パンダもこの時ばかりは少し慌ててしまったが、強面のおっさんとの攻防が続くにつれ、この奇妙な状況に慣れてしまったのか、だんだんイライラしてきた。


 手が股間に伸びてきては払い落とし、ポケットに指を突っ込まれる感覚がすれば、すぐに払い落とした。しかし、これだけパッチンパッチンと音が鳴っているのに、周りの乗客は見向きもしない。


 ほんまにどないなっとんねん、この国は!? と大熊猫パンダは心の内で憤ってしまった。


 目的地に到着するまでの間、この強面のおっさんとの攻防を何回繰り返しただろう。どこかの駅で降りてやり過ごせば良いと思っていたが、大熊猫パンダは常人の百倍くらい負けず嫌いだ。


 ちくしょうっ! こんな痴漢野郎なんかに負けてたまるか! という謎の負けず嫌いが発動していたのである。


 だがしかし、勝負は引き分けになろうとしていた。次の駅は目的地である渋谷。大熊猫パンダはその駅で降りなければならなかったのだ。


(くっそー。人の乗り降りが激しくて、結局、捕まえられんかったわ。このまま友達待たせんのも悪いし、さっさと降りて待ち合わせ場所に向かうか……)


 電車の扉が開いた。大熊猫パンダが諦めて降りようとした瞬間、背後からパンツのポケットに無理やり手を捩じ込まれた。


 何が起こったのか分からず、「何するんじゃ、ボケェ!!」と怒鳴り声をあげる。本場の関西弁に驚いた乗客達の視線が痛かったが、大熊猫パンダは怒鳴らずにはいられなかった。


 一方の強面のおっさんはこういう状況には慣れているのか、人混みに紛れて逃げていた。あっという間に階段を登ってしまったので、大熊猫パンダはポカンと口を開けてしまった。


「おいおい、逃げ足早いな! やられっぱなしで、なんか腹立つわー……って、なんやこれ? あのおっさん、ゴミ入れていきよったんか!?」


 大熊猫パンダのポケットに四つ折りに畳まれた紙が入っていた。


 苛立ちながら紙を広げてみると、某AVプロダクションの名前と営業マンの電話番号が書かれていた。つまり、端的にいうところの勧誘である。


 予想外の展開に大熊猫パンダは「はぁ? え、AV? 俺が?」と素っ頓狂な声をあげる。


 名刺の裏にはこう書かれてあった。


『汁男優としてAVに出演してみませんか!? 貴方のその体格なら、画映え間違いなしです! お金にお困りなら、私の携帯番号に――』


 無駄に綺麗な走り書きを読んだ大熊猫パンダは、怒りを通り越して笑いが込み上げてきた。名刺を持つ手が震えて止まらず、一人で盛大に吹き出してゲラゲラと笑ってしまった。


 つまりだ。大熊猫パンダの股間をしつこく触ろうとしてきたのは、チ●コのサイズを測るためだったというわけだ。


 これは大熊猫パンダの予想でしかないが、体格は画映え間違いなしと書かれていたくらいだ。体格だけ見れば主役を張れるくらいのポテンシャルは秘めていたのだろう。


 しかし、体格は合格でも営業マンが求めるチ●コのサイズではなかったらしい。だから、汁男優として出演してみませんか? とお誘いを受けたのかもしれない。


「誰が粗チンや! ほんまに失礼な話やで! 白昼堂々とAVのスカウトとかやめてや! しかも汁男優て! ふざけすぎやろっ、フフッ……」


 大熊猫パンダは名刺をビリビリに破き、駅のゴミ箱に捨てた。顔は映らずに汁男優として出演した自分を想像しただけで、笑いが止まらなかった。


 男でもこういう珍事件はある。流石に今回のような男に痴漢される事は滅多にないだろう。だが、世に『女性専用車両』があるなら『男性専用車両』も作って欲しいと思った大熊猫パンダなのでした。

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