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  • プロット、書かなきゃだめだよね……(´・ω・`)と思っていた人間です。
    (そして書けない人間)
    どこまでできあがったものをプロットと呼ぶか、ですが、詳細な設定まで作り込んだものはプロットの枠を超えているように思います。
    作中で仰っている通りで「あぁ、あなたはそういう書き方の方なのですね」でいいのだと思います。
    大事なのは小説そのものが面白いことなのだから。
    朝吹さん、ありがとうございました。

    作者からの返信

    未来屋 環さん

    プロットは書くべき。ということに現在はなっているので、出来れば書いた方がいいのでしょうね~。
    ノートをざっくりと四分割して、起承転結でも書いておけば「プロットを書いた」かっこうだけは出来るので、それで申し訳は立つのではないでしょうか。

    ……というくらいには、わたしはプロットを最初に立てることへの想い入れがまったくないです。書きながら、頭の中ですべてやってしまいます。

    こういうことも慣れなので、書いていたら、そのうち、転から書き始めたり、承をふくらませたり、何となくプロットの立て方も慣れてくるのではないでしょうか。
    分厚い創作ノートにみっちり書いていると、何となくカッコいいですよね。

    人がどんな書き方をしていようが、わたしは気にならないのですが、そこで判断する人もいることに対して、「え~?」という気持ちのままに書いたのでした。
    お立ち寄りありがとうございました。

  • こんにちは。
    ゆっくりと拝読しようと思っていましたご著作でしたが、注目の作品に出ていらしたので「今だ!」という気持ちで読ませて頂きました。
    プロットというよりはネタ帳をプロットのようなものとする人間でございまして、作中人物が動き出す楽しさ、爽快感は創作活動における得難いものと考えております。
    黒歴史でありながら、創作論。自分はどちらかと言うと創作論であられるなあと感じつつ拝読いたしました。
    誠にありがとうございました。

    作者からの返信

    豆ははこさん

    こんにちは!
    春休み、家にいるお子さんに時間を取られてはいらっしゃいませんか?

    豆ははこさんのエッセイの、古本問題、ネット経由で注文した際の満足度は7割くらいでしょうか。「非常に良い」はおおむね新品に近いのですが、「良い」の幅がけっこう大きいです。
    「良い」なのに、「可」……かなぁ? と想うような状態の本がたまに来ます。

    映画やアニメの公式ファンブックにあるような、細かいディテールって小説にはそこまで必要性を認められないのです。
    身長を1センチ単位で決めたり、好きな色や血液型など、凝る人なら凝りますが、こんなのは公式ファンブックを読み込んで育った世代が作って当然とばかりに、とつぜん小説界にも持ち込んだものです。
    あれこれ書かずとも、わずかな描写でも読者がその人物を想像できるほうが小説においてはいいと考えています。

    プロットも、必要な人はいくらでも作ればいいのですが、そのわりには途中でエタる人が多く、もったいないなと。
    最初にあまりにも決めてしまうと、台本を演じているようなキャラになってしまって、書いていても弾まないからでは? と考えています。

  • 1読者の希望ですが、ぜひとも今のままのスタイルで色々な題材やジャンルで書き続けていただきたく思います。プロットなんぞ要りません。

    作者からの返信

    hekiseiさん。

    お忙しい中、ありがとうございます。

    発見としては、「『なろう』とは物語の元祖に近いことをやっているんだな」ということでした。

    『なろう』系小説では、作者の筆が乗るまま、出たとこ任せに冒険パーティーが寄り道をします。
    そこを取り上げて、「魔物退治のはずなのに本筋には関係ない」「一刻をあらそう状況だったはずのリアリティが台無し」「伏線にもならない必要性のない描写」と、プロットの必要性を無視したために起こった欠点だと批難されがちなのですが、実は、それが小説の醍醐味ではないでしょうか。

    「昔むかしあるところに」から語り出し、その場で考えながら話を繋ぎ、「続きはまた明日」で終わる。

    小説において何がいちばん大切ですか? ともし質問されたら、わたしなら隙のないプロットよりも「登場人物が生きていること」と回答するのですが、大まわりをしながら冒険活劇を書いていたアレクサンドル・デュマの作品が好きなので、「物語の本質とはこっちだろう」という気持ちが強いのかもしれません。

    デュマのようなストーリーテラーの作家ならば、書いているうちに伏線も回収できて、知らぬうちに最初から計画したかのように、ぴたっと書き終わっているでしょう。
    ミステリー作家の中にもこちらのタイプはいます。

    脱線込みで書き手も読者も楽しめる。
    物語の原点とはもともとそれではないのか? と考えております。
    プロットを立てているのに長編をエタってしまう人は、文章力が実はない、または先の展開を全て決めているがゆえに、あまりにも長い道のりに息切れしてしまうケースが多いように想います。

  • アニメとかドラマとかは常に複数で作業するから決められた設定なり構成がないとイメージを共有できないという意味では必要ですが、一人で作り上げる小説、特に昨今のWeb小説においては、必ずしも必要ではないと思います。

    実際、今年でデビュー20周年ながらカクヨムで今も毎日更新している異世界物が高評価で今月待望の書籍が発売された某先生もXで「プロット組む時間があるならさっさと書き始めた方が早い、筆が早い人ならプロット組んでから投稿始めて人気出なかったらその工数がまるまる無駄になる」ともおっしゃってますし。

    作者からの返信

    海猫ほたるさん

    設定資料集がなければ、最終回までのプロットがなければというのは、本当につい最近になって、アニメや映画の設定資料集の影響で導入されたハウツーだと想うのです。
    それがなぜか小説においても適応されるようになっている。

    最初のコースどおりにきれいに完結できるのならば、それでもいいのです。
    でも実際に書くと、文章力がなければ書けませんし、物語も進めるうちに独自の命をもちますので、そのとおりにいかないことも多々出てきます。

    必要なのは、たとえそうなっても、最後まで物語をひっぱっていく力技です。

    設定に凝りたい人は幾らでも設定資料集を創ればいいし、きちんとプロットを立てて各章はどこまでと割り振らないと不安な人はそうすればいいのです。
    ところが、そうやって準備万端にしたわりには、こちらの人たちはバタバタと途中でエタります。

    文章レベルを小学生のあたりに落としてもいいから実際に書く力を育てたほうが、完結までいくよ? と常々思っていたのです。


    >「プロット組む時間があるならさっさと書き始めた方が早い、筆が早い人ならプロット組んでから投稿始めて人気出なかったらその工数がまるまる無駄になる」

    書き通せる自信があるからこそ言える言葉ですね~。
    設定やプロットは、楽屋での話なので、各々、好きにしたらいいのです。
    本当に大切なのは書き始めた物語をちゃんと完結まではこぶ力です。

  • プロット……ほぼ書きません。そしてエタる常連です。
    歴史ものを書いていると、ああプロットってあった方が書くのに楽なんだなと思ったりもします。歴史ものって史実がプロットのようなものなので、困った時は史実に沿えばいいという逃げ道があるので。
    私の場合は、書きたいシーンが先に出てきて、そこに登場人物たちを当てはめていく感じです。食事のシーンが書きたいから、そこに物語を持っていく感じといえばいいのでしょうか。
    でも、綿密な設定集のようなものを作るのも好きだったりします。ただ、その場合は設定を考えたことに満足して、物語は書けず、登場人物たちは勝手に動き出すこともありません……。
    最近は、読者の方にキャラへの愛着を持ってもらい、その後でどうやって殺そうかと考えることが楽しみです(嫌な作者ですね)。

    作者からの返信

    大隅スミヲさん

    所詮はプロットその他、楽屋裏のことなので、誰がどんな書き方をしていようが。
    と想うのです……。

    あと、わたしはわりと展開に困ったことがないのです。
    始まったらそのままお話しの流れに任せて、書いているうちに終わる、という感じです。
    なので途中で動かなくなるとか、詰まるとかは、あんまりないです。
    多分、同時進行で、脳内でずーっとプロットを作っているのでしょうが、あまりにも当たり前のようにやっているので、いざプロットと訊かれると、「え、わざわざ書くの?」みたいになってしまうかも。

    もし提出しろと云われてもメモ用紙一枚程度の箇条書きになるかも。
    そこで全部決めてしまうと、書く愉しみがなくなってしまうので。

    確かに、歴史ものは史実がプロットですよねw
    その合間に創作を差し挟む、干物二次創作。
    なかでも小野篁の資料ってあやしいものが多いので、ファンタジーのようにしてかなり自由に書けますよね。
    小野篁が終わったら、また誰かマイナーな人を主役にして歴史物をぜひ。

    書きたいシーンが先に出てきて、というのは宮部みゆきさんがそうだそうです。
    この方もプロットを作らず、「書きたいシーンを書く」と云っていました。

  • プロット=ミステリーって感じです
    本格物みたいなのにプロットっていう言葉がとても合う気がして
    最近Huluで十角館の殺人を見たせいかもですが


    作者からの返信

    @rnariboseさん

    あまりにもゴリゴリにプロットや設定資料を造り込むことに熱意を傾けるあまりに、そこで満足してしまったり、肝心の文章力が追いつかずにエタるのは、もったいないですよね。

    引くくらいの緻密なプロットや設定を生かしてそのとおりに長編を完結させる人も、もちろんいます。

    どんな作り方をしてもいいんですが、初心者さんに何か云うとしたら、まずは書いた物語をちゃんと「完結」させることを目指して欲しいなーと。

    「十角館の殺人」って最近配信されたやつですよね? 観てみます~。


  • 編集済

    プロットにそんな苦い思い出と銀英伝を読んでいることに驚きました。キルヒアイスが生きてたら生きてたらで、帝国無双していて五巻くらいで終わりそうな気もしますので、結果オーライだったかもしれませんね。

    作者からの返信

    犀川ようさん

    銀河英雄伝説はクラスで流行っておりました。誰かが持ってきて、みんな夢中になってしまい、全巻買う人が続出していました。

    キルヒアイスは死ぬフラグが立っていたキャラでしたが、どこで死ぬのが適当だったのかと考えると、やはりあそこで良かったような気がします。
    または後半、ロイエンタールが野望の邪魔になるからと、背中から撃つようにして殺すとか?

    銀英伝を読んでいたのはまさに青春時代ど真ん中なので、懐かしいです。
    老人ホームに入るような年になったら、また読み返したくなるかも。

    (わたし犀川さんの元編集者の話は、毎回ひどいなぁとカッとなってしまいます)

  • 炉端で昔語り、なんとなくわかります。
    私はほとんどが短編なのですが、よく似た感じですね。
    メインにしたいテーマ(ネタ)があって、ぼんやりと前後のストーリーが浮かんで、
    そのあたりで流れに沿って書き始めています。

    長編となると、どうなのでしょう。

    作者からの返信

    旗尾 鉄さん

    「続きはまた明日」と切り上げて、その間に大急ぎで続きを考える。
    大袈裟ですが、大体はこんな感じで書いています。
    先の方まで考えてもいるんですけど、最初に固めてしまうとそこでもう満足してしまうので。

    これはわたしがそうだというだけです。プロットと設定資料集を万全にしてから書く人に対しても、「そうなんだ」としか想いません。
    全員が同じ方法で書くなんて、そちらの方がおかしいです。

    まだプロットなんていうものがない時代の作品をみると、寄り道をたくさんしていて、一体この寄り道になんの意味が~と想っていると、ちゃんと本筋に絡んできたりするんです。その分、無駄も多いのですが、その無駄込みで楽しめる。
    北斗の拳の鬼編集者さんも、「最初に全部決めるようなのは面白くない」って云ってますから。
    長編こそ、わたしもざっくりとしかプロット立てませんよ~。

  • プロットというモノの捉え方も人それぞれなのでしょうね。紙に書いたものだなければ(当然デジタルで残したファイル形式でもいいですが)プロットじゃない、とか、イラストだけでもプロットと呼べる、とか。
    私は結構プロット練ります。
    書きませんし、描きませんが。
    練るんです。練るだけです。脳内でコネコネ。
    各種プロフィールに書く「大抵ごろごろしている」は、プロットを練っている状態です。
    なーんていうことは、もう充分ご承知かもしれないですね。
    練ったうえで、忘れてしまった部分はしょうがない。忘れてしまうだけの価値しかなかったプロットだと諦める。その程度のアイデアだったと次を求める。そうやって書いています。
    その結果、朝吹さんから見た「離れ業」も「いい加減な性格故の通常作業」であったのでしょう。

    ミステリーであっても緻密なプロットは必要ありません。私のようないい加減な作家にとっては。
    「人が殺されて、なんやかんやでその事件は解決する」
    コレにちょっと肉付けするだけ。
    後は白紙に向かってGO!

    作者からの返信

    西野ゆうさん

    KACお疲れさまでした~。最後のお題の発表を見た瞬間、「西野さん、勝った…」と冥福、違う、眼をつぶりました。
    誂えたようなお題でしたよね(笑)
    あんな感じのものばかりがお題に続くと最初に分かっているのならいいのですが、最後の最後で、
    「バッファローが嫁とり合戦をしていたら近所の仔豚さんがパパが池に落ちたと救けを求めにやってきたブヒー」
    なんていうお題が出たかもしれないのです。
    毎回わたしの方がドキドキしていました。
    スリルをありがとうございました。


    創作ノートにびっしり書き込むというのも、もしかしたら十代のうちにしか出来ないことなのかもしれないと想ったりします。「超楽しい」とあの作業自体を趣味にできないと、

    ……もう本文を書きはじめた方が早い。

    となりそうで。

    プロットという意識を持たない頃から、多分、プロットを勝手に脳内で練っているんですけど、プロットだと意識しないほど自然に行っているのであえてノートにひととおり全部を書き出してとか、そういうことはしませんねー。
    子どもの頃は自由帳一面に線を引っ張って相関図みたいなものを書いたり、設定資料集的なものを楽しく書いていましたので、そのデスクがもう脳に移動しちゃっただけなのかもしれませんが。

    人名なんかも文章の中に実際においてみて、登場人物とのやりとりをみて、「やっぱり違う」と他のものに変えたりします。
    実際に書き出してからも、何かの違和感を覚えた時には、スパッと止めたりします。
    人と話すうちに新しいアイデアが沸いてより深いものが創れる説、これにも人との相性がありますよね。
    相手が悪いと、イラつくだけのことになるかもしれません。

    「人が殺されて、なんやかんやでその事件は解決する」
    そうなんです、ミステリーって実は、盛大にネタバレしているのです。
    それを迷わせたまま最後まで引っ張るのが腕のみせどころですよね。

  • 拝見しました。ご意見は仰る通りと感じました。

    御エッセイにて何回か紹介されていたように思いますが、面倒な人に絡まれた事はご愁傷様です。

    設定資料集、私も厨房ン時ヘタクソながらマンガを描くべく大学ノートに色々と書き殴っていました(こんな事してないで勉強するべきだったww)。実は小説を書く際には今もなお活用していたりww
    あくまで、

    目的=小説を書く
    手段=資料集(話を進めるためのツール)

    と私個人としては考えます。今話にて紹介された方は要するに目的と手段がごっちゃになっている感があり。

    そもそも資料集とは作家個人の物であり堂々とひけらかすものではないかと。出版社の営業戦略により資料集も販売されているからなぁ。アレも最初っからびっしり書かれているものではなく後から編集・完成させたんでしょう。

    現在スランプに入っている状態ですが、本エッセイを読むにもう少し方の力を抜いて取り掛かりたいと思います。

    PS.
    某銀河英雄、最初部分ぐらいしか観てなかったのですがまさか○ぬイメージのなかった「彼」が途中退場してしまってたとは。そんな所も辻褄合わせつつ調整する作者様の力量がすごい。

    作者からの返信

    naimedさん

    銀河英雄伝説未読でした? ネタばれでしたね、ごめんなさい。
    そうなんです、あの赤毛の背の高い人、途中でいなくなるのです。
    カタルシスをもたらし、強い印象を残します。

    そのことが後半に大きな影を落としていくのですが、作者は生かしておいたほうが活用できたと後悔していました。
      
     ・最初から決めていました。
     ・予定外でした。

    長編にはどちらもあるかなって。

    最初から最後まで計画通りに終わる。これでも全然いいんですが、最初に完全なプロットを立てて設定資料集を作るなんて、ほんとについ最近になって云われるようになったことで、それはやはり、映画やアニメの影響なのでしょう。
    それまでは、ジャーッとメモ的に書きなぐっていて、それが草稿兼プロットで、そのぐちゃぐちゃのメモを横におきながら、原稿用紙の上でもう一度、四苦八苦する感じです。

    わたしが親しんできた小説は、設定もゆるく、いい加減な感じで、でも登場人物がぴんぴんしていて最後までわくわくして読める、そんなものでしたので、カチカチの文章とカチカチのプロットと、一度決めたレールに沿って書き進めるだけのものは、書いている人もこれ書いていて楽しいのかなぁと想ってしまいます。
    そのことがせっかくプロットがあるのに完結に届かない理由の一つにもなっているような気がするのです。

    びっしり設定を作り、プロットを練り上げ、一緒に考えてくれる担当さんも、買ってくれる読者もいて、1巻2巻とそこそこ売れているのに、途中でエタる。
    それならエタる時には何をしていてもエタるんだなと想ったほうがいいなと。

    現在は、AIが書いたものを「自分が書きました」として、そのまま出版されてもおかしくないような時代です。
    長い時間をかけてプロットを練ることすら、古臭い、時代遅れのことになるのかもしれませんねー。