さようなら、めがねさん。
海猫ほたる
さようなら、めがねさん。
「みんなー、今日のライブ来てくれてありがとー!あたしたち、絶対いつかまたこの国に来るから、その時もよろしくねー!」
三千人規模の私たちにしては控えめなライブ会場だったけど、熱狂的なファンの声援に見送られてステージを降りた。
メンバー全員が控室に集められ、プロデューサーさんがライブ後の恒例である、締めの挨拶をする。
「今日のライブ、とても良い出来だったぞ。特にミア、動きも良いし、お客さんに笑いかける表情も笑顔も良かった」
「あ、ありがとうございます」
あまり褒められないプロデューサーさんに褒められて、あたしは顔が綻ぶのを感じていた。
「で、ライブが終わったばかりですまないが、早速、依頼が来た」
ライブが終わってだらけていたメンバーに緊張感が走った。
依頼。
それは、あたし達の裏の顔。
「今日の仕事は、ミア、君にやってもらう」
「はい!」
今夜の仕事は、あたしの出番らしい。
最近出番が減っていたから、ちょっと嬉しい。
「サポートには絵留に付いてもらう」
え……
ちょっと待って……
「プロデューサーさん、あたし一人でも出来ます」
「分かっている。ミアの腕は信じてる。だが、最近エイムがブレガチだからな。念の為だ」
「ですが……」
「何か文句でも?」
「いえ……がんばります」
「それで良い」
夜。
あたしと絵留を乗せた黒のワゴンは、夜の道を走る。
グループは日本を離れて、海外に遠征に来ている。
おそらく、ターゲットと依頼主は、この国の誰かだろう。
あたし達は、ターゲットの素性を知らない。
依頼主が誰かも、教えられることはない。
ただ、依頼をこなすだけだ。
このグループに入ったのは、スカウトされたからだった。
それまでアイドルなんてやった事はなかったけど、思い切って受けてみた。
研修生は全員、韓国に渡る。
そこで事務所の用意した宿泊施設に全員で寝泊まりしながら、レッスンを受ける。
歌もダンスもやった事なかったけど、毎日必死に練習して何とか出来るようになった。
夜は宿泊施設の地下にある秘密の特訓場で、射撃や格闘やその他暗殺に必要な全てを教わった。
そうしてあたし達は、アイドルデビューした。
「何で絵留がサポートなの。あたしひとりでできるのに……」
「知らねーよ」
あたし達を乗せたワゴンは、建設途中のビルの前で止まった。
あたし達は仕事の手順を確認してから、黒いマスクを被り、黒の手袋をして、黒いコートを羽織った。
座席に置いてあるボストンバッグを取り、車を降りて担ぐ。
あたし達はビルの中に入って行った。
ビルの監視カメラは、事務所の人によって、あらかじめ細工がしてある。
あたし達は階段を上がる。
「重っ……」
「
絵留は背負っていた小さめなバッグからナイフを取り出して、くるくると廻す。
「だったら、たまには持ってくれない」
「嫌」
「あっそ……」
階段を登って、ビルの屋上にたどり着いた。
担いでいたボストンバッグを下ろして、開ける。
中からスナイパーライフルを取り出して、組み立てた。
もう何度も繰り返している作業だ。
「て言うかさ絵留、その言葉遣い、何とかならないの?」
「ふんっ。ファンの前ではちゃんとしてるからいーだろ別に」
絵留はあたし達の中でも特にアイドル映えした美少女なのに、言葉遣いが悪い。
どう言う育ち方をしたのか……
「そう言う事言ってると、いつかボロが出るよ」
「お前こそ、ヘマするなよ。お前がターゲットの暗殺に失敗したら、俺が代わりに
「失敗なんて、しないわよ」
ビルの屋上。
向かいに建っているのは、高級ホテルだった。
今夜、そのホテルの一室にターゲットが現れる。
ターゲットの暗殺に失敗した時……あたし達にとって、それは卒業を意味する。
アイドルと暗殺者、どちらからも卒業して、普通の生活に戻るのだ。
でも、あたしはまだ卒業したくない。
どうしても、この手で殺したい奴がいる。
そいつを
「来た……ターゲットだ」
双眼鏡を除いていた絵留が、小声であたしに合図した。
あたしは無言で頷いて、スナイパーライフルのスコープを覗いた。
ターゲットはホテルのドアを開けて入って来た。
やたらふかふかそうなガウンを来て、葉巻を加えた、丸い眼鏡をした、太った男だ。
丸い眼鏡がきらりと反射した。
あたしは、この距離でターゲットを外した事は一度もない。
今夜だって、絶対外さない自信がある。
腕に嵌めたスマートウォッチを確認する。
心拍数は正常。
大丈夫、
「さようなら。どこの誰かは知らないめがねさん」
あたしは、引き金を引いた。
ターゲットが床に崩れる。
「
絵留が小声で囁く。
「当たり前でしょ」
あたしは絵留の方を見ずに答える。
喋りながらも手はスナイパーライフルを片付ける。
自分自身に落ち着くように言い聞かせる。
ターゲットを殺すだけがあたし達の仕事じゃない。
誰にも見つからないように戻るまでが、あたし達の仕事なのだ。
今日の手筈では、あたし達を送ってくれたワゴンは、帰りは迎えに来てくれない。
この街は警察が道路を封鎖するのが早いから、帰りは車を使えないらしい。
あたしと絵留は、被っていた黒いマスクと、コートを脱いだ。
マスクとコートを纏めて床に置く。
絵留が背負っていた小さめのバッグから、化粧水のボトルを二つ取り出す。
二つのボトルにはそれぞれ違う薬液が入っている。
絵留は二つのボトルに入っていた中身を、床に置いたコートとマスクにだばだばとかけてた。
コートとマスクはみるみるうちに溶けて無くなった。
「さ、行くよ」
絵留に頷く。
あたし達は階段を降りて、ビルから出た。
手袋を脱いで、外にあるゴミ箱に捨てる。
そしてあたし達は歩いてビルから離れる。
あたし達は、喧騒とした街中を歩いて行く。
ビルの側には、大きな川が流れている。
川に掛かる大きな橋を、あたし達は徒歩で渡る。
橋の途中で立ち止まり、少し待つ。
川を、船が登ってくるのが見える。
船が近づいてきた所で、あたしは背負っていたボストンバッグを橋の下に投げ捨てる。
ボストンバッグは船の上に落ちる。
船は何事も無かった様に、そのまま川を登って行く。
あたし達は再び歩き始めた。
途中、パトカーがサイレン鳴らして通り過ぎて行った。
少し歩くと、地下鉄の駅が見えて来た。
あれに乗って、事務所に帰る。
そうすれば、今日の任務は終わり。
事務所に帰って、絵留と二人で乾杯しよう。
あたしはまだまだ、卒業なんてしない。
あいつをこの手で殺す、その時まで。
さようなら、めがねさん。 海猫ほたる @ykohyama
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