物語の中の眼鏡:存在の是非とその利用

谷橋 ウナギ

物語の中の眼鏡:存在の是非とその利用


 目次


 1.はじめに

 2.眼鏡の発明と歴史

 3.ファンタジーの世界と眼鏡

 4.SFの世界と眼鏡

 5.現代の世界と眼鏡

 6.ファッションとしての眼鏡

 7.その他の眼鏡の用法

 8.最後に




 1.はじめに


 「ファンタジー世界で眼鏡かけるなよ!」──と、思った事は無いだろうか?

 私はある。

 と、言うワケで、このエッセイでは“眼鏡がいつ頃生まれたのか?”、“眼鏡はどのような扱いを受けるべきなのか?”を考察していこうと思う。



 2.眼鏡の発明と歴史


 眼鏡が発明されたのは十三世紀イタリアと言われている。

 また、レンズで物体を拡大して見る行為自体は既に一世紀の時点で皇帝ネロが行ったとの記録がある。

 日本に眼鏡が伝来したのは十六世紀。所謂戦国時代である。


 ここでわかり安く歴史的な戦いと重ね合わせてみると、“カエサルの暗殺が紀元前一世紀”。“三国志は二〜三世紀頃”。“聖ゲオルギウスのドラゴン退治は三世紀頃”。“百年戦争は十四世紀〜十五世紀”。“フランス革命は十八世紀後半”。


 つまり、三国志には眼鏡をかけた人物は登場しえない。百年戦争頃には眼鏡は存在していたが、普及していたかどうかは不明。フランス革命時には眼鏡は普及していただろう。と言う事である。


 アーサー王物語が五世紀から六世紀頃の話であることも加味すると、伝説の剣でドラゴンを退治するような話で眼鏡がでてくるのはやはり“おかしい”と言う事になる。ただしファンタジー世界の眼鏡を全否定する物ではない。



 3.ファンタジーの世界と眼鏡


 前項目でも指摘したとおりファンタジックな世界に眼鏡があるのは基本的に不自然である。

 歴史的に考えて開発されているはずがない。眼鏡はそれこそ銃と同レベルの高度な発明である。実際、銃が開発されたのは十三世紀頃の中国だとされているのでほぼ同時期だと言える。


 また、ファンタジー世界には魔法の存在もある。魔法で身体能力を強化できるのなら、目だって良く出来ることは想像に難くない。


 無論“なんちゃってファンタジー”でなら眼鏡が存在しても良い。そもそも異世界なのだからなんだってあり得ると言えばあり得るだろう。しかし、私は“なんちゃってファンタジー”否定派だと断言しておく。



 4.SFの世界と眼鏡


 SFとはサイエンスフィクションの略である。ここでは近未来以降の技術力を有する世界だと仮定して考察する。


 現代の時点で既に眼鏡がある以上、未来の世界に眼鏡が存在するのは至極自然な事である。ただし、視力の矯正技術や肉体改造などによって眼鏡が廃れている可能性は否定出来ない。

 とは言えそれは“眼鏡が存在しない可能性がある”だけであり、“眼鏡が確実に無い”とは言えない。ただ、宇宙が舞台の作品であれば眼鏡を固定する機能が必要になるかもしれない。


 何にしても眼鏡があることに特に違和感は無い。



 5.現代の世界と眼鏡


 我々が暮らす現代の世界に於いて、眼鏡はなくてはならない存在になりつつある。

 と言うのも、スマホの普及などにより現代人の視力の低下が叫ばれているためである。


 また、人間の長寿命化によって老眼になる人間も増えている。老眼の場合は特に状況に応じて視力を補正する必要が有るため眼鏡は必須の存在である。


 現代人にはコンタクトレンズという選択肢もあるので全ての目の悪い人間が眼鏡をかけているわけでは無い。尚、コンタクトレンズが普及しはじめたのは二十世紀頃である。


 6.ファッションとしての眼鏡


 眼鏡は男を三分上げる(男が眼鏡をかけると三割増しで格好良くなる)という言葉もあるように、ファッションアイテムとしても普及している。

 度が無い眼鏡である伊達眼鏡が存在していることからもわかるように、目が良い人間が眼鏡をかけてはいけないという事は無い。


 学校でもヘアゴムやらスマホは禁止できても眼鏡は禁止できないであろう。


 また、色つきのサングラスもファッションアイテムとして普及している。



 7.その他の眼鏡の用法。


 視力矯正、ファッションアイテム意外にも眼鏡には様々な利用法がある。

 目に悪いブルーライトや太陽光の遮断。変装。眼鏡に画像が表示されるスマート眼鏡などで有る。


 軍事利用されている画像表示機能のあるゴーグルも眼鏡の近縁種と言えないこともない。



 8.最後に


 たかが眼鏡。されど眼鏡。

 眼鏡のような備品の扱いであっても世界観には大きな影響を与える。メガネっ娘が好きだからと言って安易に眼鏡を利用するのはいかがな物かと私は思う。


 しかし一方でメガネっ娘が可愛いのもまた事実。問題は何も考えずに眼鏡を登場させてしまうと言う短絡的思考である。


 “考え抜いた末に眼鏡を登場させているのであれば良い”──と、私は考える。

 以上の言葉を持ってこのエッセイを閉じることとする。

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