カフェオレとリンゴジュースと

コル・レオ

イレギュラーな二日間

 もし世界に法が無ければ、人はどれだけ暴れるのだろうか。


 人も動物だ。縄張り意識や他人を威嚇したり、傷つけたりもする。だがそれは法の中で制限されている。もしもこの法が無かったら、人はどれだけ暴力的になるのか。秩序の欠片も無い世界になったら、どれだけ非道な事をするのか。

 

「だからいつまで待たせんだよ! 子供が腹空かしてるって言ってんだろうが!」

「申し訳ございません。ただ今お作りしていますので」

 

 オッサン客からの怒声に平謝りする。母親と思われる人はのんきにスマホを弄り、子供は駄々をこねている。法が無ければ、とりあえずこの腐った家族は殴り飛ばしているだろう。

 しかし、法が自分たちを守っているのも事実。でなければ、俺のような弱者は真っ先に始末されているだろう。


「なんだその目は? 人を睨みつけやがって……なんか文句でもあんのか!」

「申し訳ございません」


 口答えをするべきなんだろうか。それともこうして平謝りするのが正解なのか。

 きっとどっちも違う。殴ってファミレスから追い出すのが正解だと思ってしまう。


「もういいからさっさと作ってこいよ! 使えねぇなぁ」


 こんな事を言われても結局何も出来ない自分は、やっぱり弱者なんだろうと思いつつ、別のテーブルに足を運ぶのだった。


 ◇◇◇


 高校生にもなれば嫌でも現実が押し寄せてくる。心の豊かな人はのびのびと勉強やスポーツ、オマケに恋愛にも手を出して青春を謳歌している。

 それに対する妬みは無い。それは本人の素質や両親がちゃんと子育てをした成果なのだから。

 

 俺自身はどうなのか。両親は至って普通に仲が良い。さすがにラブラブとまではいかないが、リビングで喋るし一緒に映画も見たりする。妹が間に挟まっている時もあるが。


 唯一他所と違うのは、全員が義理の関係なことくらいだろう。本当の両親は幼い頃に事故で亡くなった。そこをどうこう言うつもりはない。義理の父も母も、本当の息子のように育ててくれたのだから。


 そういうわけで、子育て面はクリアしている。問題は俺自身の元々の性格だった。

 弱い心は余計な考え事が多い。感情のままに動く事が出来ない。ああすればいいのか、こうすればいいのかと迷い続ける。だからイレギュラーな事が起きれば、何も出来ずに固まってしまう。


――たとえばそう、夕暮れの放課後の教室で、机に突っ伏して泣いている女子が居たら。どうすれば正解なんだろうか。


 課題の提出物を忘れた事が原因で、図書室で居残りをさせられた。それがようやく終わったので、鞄を取りにクラスへ戻ってきたらこの状況である。

 彼女はこのクラスで淑女と呼ばれるくらいの素晴らしい人格者だった気がする。

 長い黒髪を好き勝手に机に広げて「うっ、うぅ」と辛そうな声をあげていた。時折鼻水をすする音も聞こえてくる。


 しかしこっちの感情は絶賛置いてけぼりをくらっている。どうするべきか。


 一つは放っておく。さすがに薄情すぎる。


 二つめは声をかける。しかし泣いている女子に「どうしたの?」と聞いていいのは仲の良い友人だけだろう。「俺でよければ話聞くよ」なんて言えば、泣きながら喋れと言っているようなもの。顔しか知らないような相手にそんな事を強制されては、たまったものではない。


 なら三つめ。声をかけずに近くの席に座る。


……いや彼氏面かよ。つうか怖いわ。守護霊か何か?


 自問自答を繰り返してようやく答えを導いた。

 四つめの選択。とりあえず当初の予定通り鞄を取り、去り際に彼女の席に立ち寄る。


「……ん」


 ポケットに入れていたホットのカフェオレを彼女の机に置いた。彼女がピクリと反応するが、顔を上げたりはしない。泣いている姿を他人に見られるのは、かなり恥ずかしい事だ。高校生なら尚更だろう。

 俺は見て見ぬふりをして、ただ黙って立ち去った。


 これが正解かどうかはわからない。

 ただのクラスメイトから、関わりたくない男子ナンバーワンに降格したかもしれない。そうなったらどうしようか。


――結論、もうどうしようもない。現実は非情である。


 足取りは重く、トボトボとバイト先のファミレスへ向かう。夕暮れの空は、腹立たしいくらい明るかった。


 ◇◇◇


 バイト帰りに考えるのはクソ客を抹殺する方法と相場が決まっていた。

 今日は老人が配膳ロボットに喧嘩を売っていた。

「ワシの邪魔をするな」という事らしい。バイト先を変えるか真剣に悩んでいいかもしれない。


 道中、いつも使うコンビニに寄って炭酸飲料を購入する。仕事終わりの一杯、高校生バージョンである。

 コンビニの入り口でボーッと立ちながらコーラを飲み、時々通る自動車のエンジン音が耳の中を通り過ぎていく。


「あれ、キミ――」

 そうしていると声をかけられた。

 見ればパジャマ同然の恰好にサンダル姿の金髪ギャルが、小さいお子ちゃまの手を引いてやってきた。同じクラスの元気な白ギャルだった。


「バイト帰り?」

「そんなとこ」

「ふーん……」


 それだけ言って彼女はコンビニに入っていった。普段話さない相手との会話なんてこんなもんだろう。


 ふと、スマホが震えた。通知には義理の妹の名前があり『アイス』の三文字だけが書いてあった。続けざまに『いつもの』の文字が降ってくる。つまり買って帰ってこいということらしい。

 なんとも素っ気ないメッセージだが、妹ならばそんなもんである。後で払った分の金額を返却してくるあたり、ウチの妹はマシなんじゃないかとは思うが。


 再度コンビニに入り、カップ状の抹茶とバニラ味のアイスを手に取る。

 こうして一つ買おうとすると、自分の分も買ってしまうのは何なのだろうか。

 頭の中で金の無駄遣いと誰かに言われるが、それは聞かないことにした。


 コンビニを出ると、さっきまで俺が居た場所でギャルとおチビちゃんがアイスを分け合いっこして震えていた。冬の寒い時期に何をやっているんだ、コイツら。


「お、おねぇちゃん~、寒い!」

「だから家帰ってから食べなよって言ったんだよ~! ――くしゅんっ!」


 なるほど。妹が駄々をこねて食べることになったようだ。

……いや、なんでお前も食ってんだよ。

 そんなツッコミを心の中で言っていると彼女と目が合う。髪と同じアンバー色の瞳が俺のビニール袋に目移りすると、にまっと笑った。


「ねぇ、その中、温かいの持ってる? 持ってるよね! こんな寒いんだもん!」

「あ、おい」


 ビニールを覗かれるが、当然アイスしか入っていない。


「えー……こんな寒いのにアイス~? しかも二つも」


 お前が今手に持ってるモノはなんだと声を大にして言いたい。


「……妹に頼まれたんだよ」

「え? ――あぁ、そういうこと~! なんだ、アタシと一緒じゃん」


 振り向いた先にあるのは愛おしい妹ちゃん。寒い~と言いながらアイスを食べる少女を見て、彼女はにへらと笑った。


「お互い大変だな」

「まぁね~。でも可愛いから許す!」


 彼女を見れば頬も指先も、耳まで赤くなっている。よほど寒さを我慢しているのだろう。そういう面を見てしまうと、どうしても身体が動いてしまう。


 彼女に「ちょっと待ってろ」と言い残し、再度コンビニへ。店員がまた来たよコイツみたいな顔をしているが、この際仕方ない。

 レジで商品を買い、再び二人の元へ。


「……ん」

「へっ?」


 袋を彼女に手渡す。買ってきたのは温かい肉まんだった。彼女はキョトンとした表情をするが、やがて察したのか慌てて手をパタパタと振った。


「い、いいよいいよ!?」

「寒いんだから貰っとけって。妹さんと仲良く食ってくれ」

「で、でも……じゃあせめてお金!」

「それも俺が勝手にやったんだから、気にするな」

「ダメ! お金は後が怖いんだから、こういうことはちゃんとするの!」

「…………じゃあ折半で」

「よろしい!」


 変なところで真面目だが、彼女の言い分もわかる。ここらが落としどころだろう。

 お金を受け取って肉まんを渡す。彼女は指先を温めるようにギュッと掴むと、そのまま妹に手渡した。


「わぁ~! おにいちゃん、ありがとうっ!」

 ひまわりのような笑顔を浮かべる少女に、俺は膝を曲げて視線を合わせた。


「アイスを食べたい気持ちもわかるが、あんまりお姉ちゃんを困らせないようにな」

「はーい!」

 返事だけは一丁前である。ホントにわかってんのかねぇ……。


 そんな感じで用事は済んだわけだが、なんとなく彼女たちの隣でコーラを飲んでいる。そもそも休憩を邪魔されたので、何かを言われる筋合いも無いのだが。

 妹ちゃんが半分食べ終えた。すると残った半分を姉が受け取り、それを更に割った。


「はいっ」

 そして四分の一となった肉まんを、俺に向けて渡してきたのだった。


「……」

 特に断る理由も無いので貰ってしまった。性格良いギャルかよ。実在すんのかよ。


 二人で肉まんを食べ終え、俺たちはそれぞれの帰り道へ。

「またね!」なんて彼女が言うものだから、俺も軽く手を上げて家に帰るのだった。友達なんて言うつもりは無い。ただ、ほんの少しだけ喋るクラスメイトの笑顔は、とても眩しく見えた。


 ◇◇◇


 教室の自分の机に花瓶を置かれるという嫌がらせがある。いわゆるイジメであって、胸糞悪い話である。

 ではリンゴジュースの紙パックの場合はなんだろうか。

 今朝学校に来たら、俺の机のど真ん中に置かれていた。お歳暮ですか。時期が早いと思うんですが。

 早めに来ていたクラスメイトに聞いてもハテナ顔をされる。曰く、来たらもう置いてあったと。


……え、なに。普通に怖いんだけど。


 幸いというべき点は、未開封であること。どうしたものか。

 可能性として挙げられるのは、誰かの忘れ物。ただこの可能性はかなり低い。なぜなら、昨日の放課後立ち寄った時には無かったからだ。あの時居たのは謎の号泣少女ただ一人。


――いや、まさか彼女が犯人か? 昨日のお礼として置いたというオチなら辻褄が合う。顔は見られていないと思うが。

 というか、それ以外のパターンだったら怖すぎる。俺へのイジメの序章になりかねない。


 当の本人は既に登校していて女友達とお喋りしている。しかし、こちらが視線を送っていても、一向に見てこない。彼女が置いたとしたら、多少はリアクションを確認すると思うが、そういう雰囲気も無い。


――彼女じゃない可能性が浮上してきた。というか、勝手にお礼されると思っていたのが今更恥ずかしくなってきた。もうお歳暮ということにしよう。


 雑念を振り払って口にしたリンゴジュースは甘く、寒い時期にしては、やけにぬるかった。


 ◇◇◇


 慣れないことをするべきじゃなかったと思う。カフェオレも肉まんも。

 だからこれは、神様が調子に乗るなと釘を刺したのだろう。

 物体がぶつかった鈍い音が体育館に響き渡り、バタンと人が倒れる音がした。


「おい、大丈夫か!」


 体育の先生がそんな声を上げながら、倒れた俺の上半身を起こす。

 バスケットボールが俺の鼻を潰しにかかってきたのだ。かなり痛いし、鼻血がジャージに垂れまくっている。


 ぶつけた男子があわあわしていた。無論、これがわざとならここでコイツの鼻をへし折っているだろう。でも、

「お前のせいじゃないから」

 偶然ならば許すしかない。めちゃくちゃ痛いけど。涙出てるけど。


「保健委員!」

「はい、すぐ連れていきます!」


 そう言って出てきたのは、例の黒髪の淑女だった。正直ふらつくので、肩を貸してくれるのは助かった。

 彼女に引きつられて保健室へと到着する。ひとまず保健の先生は居たので、あとは治療なり病院へ行くことになるだろう。


「ありがと」

 お礼を伝えれば彼女は立ち去る――そう思っていたが、彼女は動かなかった。


「……? 授業、戻っていいぞ?」

 彼女は首をふるふると振った。


「その……お、お礼をさせてほしいわ」

「お礼?」

「……あの時、君が飲み物をくれたから。そのお礼がしたいの」


 どうやら、あの時の男は俺だという事を彼女は知っていたらしい。顔は見られなかったはずなんだが。まぁそれはさておき――、


「リンゴジュースくれただろ」

「……? それ、私じゃないわよ?」

「…………え」


 急に悪寒がした。じゃあ誰だよ。俺のイジメ序章スタートするのかよ。

 その時、保健室のドアが勢いよく開かれた。そこに立っていたのは――、


「大丈夫!? 飲み物買ってきたけど飲む?!」


 昨日の白ギャルだった。見覚えのあるリンゴジュースを手に持って。

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