第58話
彼女は再び泣き出しそうになりながらも、切実に頼んだ。 それを聞きたかったのなら、昨日、あそこで聞けばよかったのでは? あの時は彼女で合っているという確信がなかったのか?
「泣かないでください。家族の誰ですか? 俺が聞いてみてもいいけど…。」
「いいえ、大丈夫です! ぜひ直接聞きたいです。 そこにはいろいろな事情がありまして。 それでですが、今日の夕方、あの方と一緒に私の働く食堂へ来て頂けませんか? 私がご馳走しますので、お二人は、ただ来て頂くだけで良いですよ。」
難しい頼みではない。 九空と2人でご飯を食べたことはたくさんある。 十分試みることの可能な頼みだろう。特に命をかけるほどの頼みでもないため、簡単だった。 断られたら仕方ないが。 勿論、この頼みが今後の攻略に影響を及ぼす重要なポイントだとしたら、断られた際にロードをしなければならないだろうが。
「わかりました。 俺の話を聞いてくれるかどうか確信は出来ませんが、話はしてみます。」
「本当ですか?」
彩は表情が明るくなり、私に向かって叫んだ。 すぐ泣いたり、笑ったり、情緒不安定なのか。 しかし、彼女の顔は本当に嬉しそうだった。 まあ、俺はこれが攻略の手掛かりのようだったため、手を差し伸べただけだが。
「では、今日の夕方に来て頂けますか? 待っております。 もしダメでしたら、連絡ください。」
「はい、わかりました。 またメールします。」
「はい! では、すみません。 私はお店の支度をしに行かなければ…。」
「では、出ましょうか。」
俺は彼女と一緒に喫茶店から出た。 ところで、今、ようやく10時になったのに、もうバイトに行くのか? どこか急ぐように見えたため、そのまま別れて、俺は再び一人になった。
道路に立って、しばらく、彩の頼みごとについて整理をし始めた。 九空に何かを聞きたいという彼女。 家族の行方だと言っていた。 それは事実だろうか。 表情や話し方などからすると、切実さが滲み出ているので、全く嘘だとは思えなかった。 それでも、念のため、どうせこうなった以上は、彩の部屋を調べてから決めようと思った。
どのみち調査しようと思っていた。 部屋を探ってみたら、何かもっと分かるかもしれない。 今までもそうだったように。
彼女の家は住宅街にあった。 こぢんまりしたマンションだ。 部屋は203号。
目についたのは家の前のゴミの山。 ゴミの収集がまだのようだ。 階段の脇に積まれているゴミ袋に眉をひそめながら俺は2階へと上がって行った。 203号室の前で、念のため ここでセーブ。
すぐに万能キーを使って部屋の中へと入った。 キッチンとリビングが一つになった狭い空間が出てきた。 部屋が一つに浴室が全部だった。 狭い坪数に部屋と浴室、ダイニングキッチンまであるため、かなり狭い感じがした。 見渡すと、キッチンはきちんと片付いていた。 彼女の性格がそのまま表れていると言えよう。 食器はきれいに重ねられており、 洗剤や他の台所用品も見事に整理されていた。
小さな冷蔵庫にも自分で料理をしていることを証明するかのように、新鮮な野菜と卵がきれいに陳列されていた。 キッチンのきれいささることながら、部屋全体もとても整理整頓されていた。 浴室も同じだった。 シャンプーとボディソープがきれいに陳列されているだけで、特に違和感は覚えなかった。
部屋の片隅には布団が畳まれていた。 ベッドはなかった。 化粧品が置かれた小さな棚と布団、そしてタンスで全部だった。 田舎から上京してきてバイトしている彼女の状況には、まさにぴったりな部屋の状態だと言える。 しかし、タンスからも何も発見できずに失望した。 最後の砦で、化粧品が置かれている棚を探り始めた。 しかし、やはり何も発見はない。
あまりにも何も出てこないので、棚の下まで入念に探っていると、そこの片隅に紙切れが落ちているのを発見した。 紙切れか。 とりあえず棚をどかして紙を拾い上げた。 よく見ると、紙切れではなく手紙だった。 棚の後ろに落ちた手紙。
手掛かりはあるだろうか。
俺はこれ以上くしゃくしゃにならないよう、丁寧に手紙を広げて読んでみた。
[愛する或美へ
お姉ちゃんは相変わらず元気だよ。 或美も勉強、頑張っているかな? お姉ちゃんがこうやって離れてお金を稼いでる理由は、全て或美の将来のためということ、わかるよね? また給料が出たので、お金を送るね。 学費の足しにしてね。 会いたい。 そういえば、もう少しで休暇がもらえるかも知れないよ。 その時、会いに行くから、勉強頑張って待っててね。 最近はすごく忙しくて、あまり電話もできなくて、寂しいけど、もうすぐ会えるだろうから、お姉ちゃんも頑張るね。]
短めの手紙だった。 まさか、この手紙の主人が失踪したという家族だろうか。 ならば、あのように切実に行方を知りたがるのは当然理解できる。 手紙を読んだだけで、彩への愛情が感じられる。 そうなると、夢と言うのは、消息の途絶えたお姉さんの行方を追うことなのでは? 今は男の人に会ってる場合ではないと言ったもの、お姉さんを探すのにつぎ込む時間も足りなかったからだろうか。
何だか気の毒だった。 そうすると、彼女のお姉さんを探すのが今回の攻略ということ? なら、どうしたことか平凡すぎる。 その探す過程が、意外と難しいのか。
とにかく攻略の手掛かりは、この失踪にありそうだった。 彩のお姉さんが九空の家で働いていたとするなら、九空を通して、手っ取り早いだろう。 勿論、九空が使用人の名前や顔を、いちいち覚えているはずがないとは思うが。 調べてほしいと、お願いはできる。
勿論、頼まれたからと言って、聞いてくれる九空ではない、のが問題だが。 それでも、とりあえず、場を設ける必要性は感じたので、携帯電話を取り出した。 そして、彼女の直通番号に電話をかけた。 しかし、いくら呼出音が鳴っても応答がない。 そういえば、彼女はいつも自分は夜行性だと強調していた。 いつも会っていた時間もほとんどが夜中や明け方。
日が暮れたら再び連絡してみようと思い、とりあえず彩の家から出てきた。 現在の時刻は2時。 そこで、夕方までとりあえず時間を潰そうと、ふらふら歩いた。 4時間があっという間に過ぎて、ついに6時。 俺はそろそろ起きているのではと思いで通話を試みた。
「ティリリリリ」
しかし、相変わらず出ない九空。 用のない時には、電話をかけて来て困らせる女だが、俺の用のある時に限って電話に出ないなんて。 とにかく合わない女だと思いつつ、一旦電話を切った。 もう少し待たなければならなそうだ。 ため息をついたその時、携帯電話が鳴り出した。 驚いて発信人を見ると、非通知だった。
「もしもし。」
「おじちゃん…。 私、夜行性だって説明したよね? どうしてこんなに電話をかけてくるわけ? 私、寝ている時に起こされるのが、世界で一番嫌いなの。」
「もう夕方だから、起きる時間だろう?」
「それを何でおじちゃんが決めるの? いつ起きるかは私の勝手でしょ。 本当に生意気わ。」
「ああ、はい。 そうですか。 では、また後でかけなおしますので、もう少しお眠りくださいませ。」
「用件は何?」
「用件?」
「用件があって電話したんじゃないの? おじちゃん、まさかつまらないこと言い出すつもりじゃないでしょう? あの日、私がもう死ぬ危険はないと言ったけど、用もないのに、寝ている人を起こすような行動を、黙認する気はないわ?」
「何もないと電話したらだめ? 声が聞きたいというか。 あの時の歌声もすごく良かったな…。」
「………。」
受話器の向こうの方で彼女は急に黙り込んだ。 あまりに大胆すぎるたのか? 思わず飛び出た台詞だったが、とても恥ずかしくなった。 後悔しながらもどのように訂正すべきか悩んでいると、返事が聞こえてきた。
「おじちゃんの下手くそな歌声、思い出しちゃうから、できれば、あの時の話はしない方がいいんじゃない? ほら、思い出しちゃったじゃない! プッハッハッハ。」
しばらくの間沈黙しておいて言った言葉が、俺の歌の実力に対する批判だなんて。 何だか話をすり替えられた気もするが、さらに掘り下げたところで、彼女嘲笑いだけが大きくなるだけだ。 俺は首を横に振りながら、すぐに用件を切り出した。
「これから出てこない? 一緒にご飯、食べよう。 何も聞かずに一緒にご飯を食べてくれないかな? いや、ダメでしょうか? どうか、お願いします。 お嬢さま。」
俺は初めてお嬢さまという言葉を口にしてみた。 すると、九空の声がさらにワントーン高くなる。
「え? ごはあん? 本当につまらなさ極まりない話ね。 それに、おじちゃんに似合わない、そのへりくだった態度は何? お嬢さまだなんて二度と呼ばないで。 おじちゃんが口にするような、呼び方ではないから。」
「わかった…。」
口調から判断すると、出てくる気はさらさらないように見えた。 正直に言うべきなのか? しかし、悩む必要はなかった。 すぐに続いた彼女の台詞。
「停留所に行くから、待ってて。」
何と、さっぱりとした承諾とともに電話が切れた。 小さなどんでん返しに自ずと驚いた。 罵倒されるか、殺すと言われるかと思っていたのに。 本来、女の気持ちとはわからない時が多いと言うが、この女に限っては、特に100倍以上はわからない。
携帯電話をポケットにしまって、急いで停留所へと移動した。 俺が先に呼び出しておいて遅れたら、また何を言われるか想像すらできなかったから。 しかし、今やっと起きたところなら、まだ来るはずがないか。 停留所は閑散としていた。
あくびをしつつしばらく待っていると、遠くの方から彼女のいつも乗っている中型セダンが見えてきた。 その車は停留所の前で止まり、すぐに警護員のエスコートを受けながら九空が優雅に車から降りた。 彼女は白いブラウスに黒色が漂うスカートをに身にまとっていた。 太ももまでの長さが、全体的にとても似合っていた。
そう言えば、最近の九空は、初めて会った時のようにみすぼらしい格好をしなくなっていた。 汚いパーカーをあんなにも着て歩いていたのに、服装が完全に変わった。 髪形や化粧もあの時とはレベルが違う。 おかげで、何もしなくてもきれいなのに最近はより美しい。 今考えてみると、このような服装の変化は、ストッキングをくれたあの日からだったような気がする。 理由はわからない。 もうパーカーは飽きたのだろうか。
「おじちゃん、恐れげもなく私を呼び出すなんて、大体千年は早いと思わない?」
さらに、会うや否や最初の台詞が毒舌。 何故出てきたくせに、どうしてそんなことが言えるのだろうか。 己を知れということ? もしくは、自分の行為に対する言い訳? 全く。 俺は笑えると思ったが、いつものように何気なく受け流しながら、すぐに本題に入った。
「ご飯食べよう。 夕飯まだだろ?」
俺はホテルでのあの日のように彼女の手首を握って歩いた。 彼女は今日も特に拒まなかった。 こういう時は相当おとなしい。 信じられないほどに。
「まだ食べてないけど、どれほどに美味しいものをご馳走してくれるつもり? がっかりさせない自信ある? 私をがっかりさせたら…。 おじちゃん剥製計画を進めるかもしれないから、気を付けてね。」
「ハハハ。 剥製計画…? まさか、それ、既に詳細な計画が進められているわけではないよな?」
この女なら十分に計画を立てている可能性はあると思い、恐怖に震えながら聞いてみると、彼女は手首を握り先頭に立つ俺の体を自分の方へ引き寄せた。 目の前まで近づいてきた九空の顔。 すると、急に俺の鼻を指で突っつきながらニコッと笑って見せた。
「フフフッ。 もう怖い? だから絶対服従して言っているの。 今みたいにいい加減だと、計画書を書いて見せることもできるわ。」
鼻を突き、服従を唱えながら今度は俺の頬を手でそっと撫でた。 何だか、少し身震いがした。 なめらかな手の動きのせいか、彼女が吐き出した言葉の恐怖のせいかはわからない。 おそらく両方の可能性もある。
彼女のきらきら輝く目に、むしろ負担を感じて視線を避けて再び歩き始めた。 そんな中、手首を放してしまったが、彼女は自ら俺におとなしくついてきた。 そして、俺らはすぐに食堂の前へ到着した。 やはり客で込み合っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます