中華街にて
水鏡さんの運転で横浜中華街の最寄りまで行き、ダンジョンのある探索者協会の支部を目指す。
「すごく賑やかですね~」
「雪姫様、このあたりに来たことは?」
「実は初めてです」
朱色に塗られた柱、見慣れない漢字の並ぶ看板。
頭上には薄赤色の華やかな提灯がいくつも吊り下げられている。
夏休みということもあってか人が多いな。
豚まんやゴマ団子なんかのいい匂いが絶えず漂ってくるせいで小腹が空いてくる。
「せっかくですから何か食べていきますか?」
「い、いいんですか?」
「ええ。そのくらいの時間はありますから」
ということで、目についた角煮まんの店に並んで俺と水鏡さんで一つずつ買うことに。
「美味しそう……! でも、食べる場所がないですね」
「雪姫様、あそこのベンチが空いていますよ」
「でもあのスペースじゃ二人は座れませんよ」
水鏡さんが視線を向けているのはせいぜい女性一人が座れるくらいのスペースだ。いくら俺が小柄でも二人は座れない。
「私は立ちますが」
「水鏡さんだけ立たせるのは罪悪感が……それならむしろ私が立ちます」
「いえ、雪姫様が座ってください」
お互い譲り合って話が進まない。うーん、やっぱり二人分のスペースを探すしかないか。
「仕方ありません。では、こうしましょう。まず私が座ります」
「?」
「そして雪姫様をこうして私の膝に上に乗せます」
「ちょっ!?」
座った状態の水鏡さんに持ち上げられて強制的に膝の上に乗せられた。嘘だろ!? ここ外だぞ!?
「み、水鏡さん。さすがにこれはちょっと恥ずかしいんですが」
「他にもこうしている方はいますし、問題ないでしょう」
「膝に乗っているのはみんな子どもですけど!?」
「今の雪姫様も似たような年に見えますので大丈夫です。それに二人分のスペースがいつになったら空くのかもわかりません。雪姫様はこれから配信なのですから、席を探して体力を消費するのはよくないのでは?」
「う……」
言われてみればそうだ。この席は木陰なうえ、近くにミスト装置もあって涼しい。この席なら配信のための体力を無駄に消費することもないだろう。
「わかりました……」
「はい。では食べましょう」
「……いただきます」
角煮まんにかぶりつく。
……うお、美味い。甘辛いタレは味が濃くインパクトがあり、豚肉はほろほろと口の中で崩れるほど柔らかい。
こんな時期に熱々の角煮まんはどうかという話もあるが、こんなに美味いと気にならないな。
「これは美味しいですね。茜お嬢様にもお土産として買って帰りたいですが……」
水鏡さんも感心したような声を上げている。
「角煮まんは冷めたら味が落ちてしまうような。甘栗とかどうですか?」
「いいですね。月音様のぶんも用意しましょう。雪姫様が配信を行っている間に買っておきます」
「すみません、お願いします」
茜もそうだが、俺がTSして以降月音にはずっと苦労をかけている。お土産くらいは買って帰ってあげたいところだ。
「雪姫様、口元が汚れていますよ」
「え? どこですか?」
「ぬぐってあげますから大人しくしてください」
「はい」
水鏡さんに任せてハンカチで口元をぬぐってもらう。
……きょ、距離が近いせいでいい匂いがする! 首の後ろあたりにも何だか柔らかい感触がするし……水鏡さん、俺が本当は男だってことを忘れてないか?
って、いかん。こんなふうに取り乱していたら怪しまれる。
ここは緊張から意識を逸らすために周囲の喧騒に耳を傾けてみることにしよう。
中華街はこの周辺きっての観光名所だし、きっと心を浮き立たせるようなざわめきが――
『見て、あの子』
『銀髪でお人形さんみたいに可愛い……』
『黒髪の方はお姉さんかしら? あんなふうにお世話をしてもらうなんて、甘えたがりなのね』
「……」
やっぱりやめよう。よく考えたら俺は騒がしいのが苦手なんだった。
心を無心にして水鏡さんにお世話されていると、不意に視線の先で何かが地面に落ちた。
あれ……財布か?
落とし主は気付かずにそのまま歩いていこうとする。
「待ってください!」
俺は慌てて水鏡さんの膝から飛び降りて財布を拾いにいく。
「これ、落としましたよ」
「え? わ、本当だ!」
落とし主は俺と同い年くらいの女の子だった。明るい色のショートヘアで、活発な印象だ。アイドルの卵と言われても納得してしまうくらいに可愛らしい顔立ちをしている。
「全然気づかなかったなあ……拾ってくれてありがとう!」
「いえいえ、気にしないでください」
女の子は俺の腕に視線を向け、目を見開く。
「って、すごい! お揃いだよあたしたち!」
「え? お揃い?」
「ほらこれ! 腕輪が二つとも一緒!」
女の子は腕に二つ腕輪を着けていいた。一つはコンバートリング……探索者なのか、この子。そしてもう一つは銀色の腕輪だ。
「本当だ……すごい偶然ですね」
「だよねだよねっ。ねえねえ、君はなんて名前なの?」
「えっと、私は――」
「――
少し先では三十代くらいの男性が女の子を呼んでいた。父親だろうか?
「あー……ごめん、あたし行かなきゃ。今度会ったら名前教えて! その時に財布を拾ってもらったお礼もするからね! じゃあね!」
女の子は俺の手を握ってぶんぶん振り、走り去っていった。
元気のいい子だったな。
その後俺は水鏡さんの元に戻り、角煮まんを堪能してから協会に向かった。
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