【新】スタート。これは新しく!

崔 梨遙(再)

1話完結:約4300字

 僕は、高校に入ってから久しぶりに自分を解放した。中学の3年間は、自分を押し殺していた。高校進学のため、成績と内申書を良くすることしか考えていなかった。だから、自分を封じ込めた。高校に入学して、久しぶりに元の自分に戻ったのだ。


 元々、僕には行動力があった。僕は、部活は応援団に入りたいと思っていた。だが、僕が進学した学校に応援団は無かった。


“無いなら、作れば良い!”


 僕は、掲示板に応援団員募集のチラシを貼った。複数クラス、5人以上で部活として認められる。


“これから始まるんだ! これがスタートだ!”


 僕はチラシを貼って帰ったその日、興奮でドキドキウキウキしていた。だが、入団希望者は1人もいなかった。だから、とりあえずテニス部に入った。


 同じ中学から入学した者がいない、入学ぼっちの僕だったが、2年になる頃には仲良くできる級友が何人もいた(友人レベルなのか知人レベルなのかわからないが)。僕達は“お笑い”が好きになり、劇場へ足を運ぶこともあった。


 チケット売場がわからず、闇雲に階段を上り下りして、階段の踊り場で缶コーヒーを飲んでいた千〇せ〇じさんの缶コーヒーを蹴り飛ばし、謝って100円渡したこともある(当時、缶ジュースは100円だった)。


 小さな劇場だったので、芸人さんとの距離が近く、お笑いを楽しめた。舞台の上の芸人さんがカッコ良く見えた。僕等は、漫才研究会を作ろうとした。1人、ノリの良い鮫島君という級友がいて、そいつのドロップキックツッコミを売りに、下級生の教室を漫才しながら回った。ドロップキックツッコミと、大袈裟に吹っ飛ぶ僕。笑いはとった。そして叫ぶ!


「漫才研究会を作ります、入部希望者は2年〇組の崔のところに来てください!」


 さあ、いよいよ“お笑い”の道、スタートだ! と思ったが、笑いはとったものの、入部希望者は現れなかった。僕は2度目の挫折を味わった。ちなみに、この時の相方の鮫島君は東〇大学へ進学することになる。



 やがて、僕は社会人になった。社会人生活がスタートした。最初は工場の製造だった。そして、転職して営業マンの道へのスタート。転職して物流業務のスタート。また転職、営業時代の元上司が会社を立ち上げていて呼んでもらえたので、新しい会社でまたスタート……。


 幾つものスタートがあった。離婚になったが結婚生活のスタートもあった。恋愛に関しては、離婚してからのリスタートもあった。


 そして、僕の内には、学生時代から“芸人さんになりたい!”という強い思いが残っていた。芸人になって、芸能界に入りたい!


 だから、某漫才コンテストに出たかった。


 しかし、ずっと相方がいなかった。誰を誘っても断られた。“お笑い”が盛んな大阪だというのに、誰も“出る!”とか“出たい!”と言ってもらえないことが不思議だった。やりたいことが出来ない。何年もモヤモヤしていた。フリーターに日給1万5千円を払うと言っても断られた。そして、毎年、テレビで決勝を見る。それは憧れのステージだった。僕も決勝のステージに立ちたい。勿論、決勝は夢のまた夢だ。とりあえず出場したい。第1歩を踏み出したい。年々、僕の“出場したい”という気持ちは膨らんでいった。今では、1万組が出ている。ということは、2万人もの人が出場しているのだ。2万人も参加者がいるのに、どうして僕は参加出来ないのだろう? 僕のストレスも膨らむ一方だった。



 ところが、数年前、ようやく出場することが出来た。元上司と一緒に出場した。


「障害者としてのメッセージ性のある内容にしよう」


と言われた。メッセージ性を維持して笑いが取れるネタは難しい。メッセージ性を強めれば強めるほど、おもしろくなくなっていく気がした。だが、それでもいい! とにかくネタは出来た。まずは出場! 第1歩、記念すべき第1歩を踏み出すのだ。さあ、いよいよ“お笑い芸人への道”、スタートだ!


 当日、控室に入ったら、“売れてないベテラン”と勘違いされたようだった。僕達が入ると、全員が立ち上がり、


「ちわっす! 今日はよろしくお願いします!」


と言われた。マズイ。どうしよう? 一瞬考えて……僕達は“売れてないベテラン”のフリをすることにした。みんな若い。僕等は40代半ばと60歳。そりゃあ、間違われても仕方が無い。


「まあまあ、我々のことは気にしないでくれ」

「みんな、リラックスしてくれたらいいから」


 控室、“ベテラン芸人”になりすましていると居心地が悪い。なんだか嘘をついているみたいだ。しかし、あそこで“いやいや、僕等、ベテランとちゃうで-!”というのもカッコ悪い。とにかく、早く控室から出たかった。参加人数が多すぎる。どれだけの人数が控室にいるんだよ! だが、思っていたよりも早く控室を出ることが出来た。呼ばれたのだ。


 10組単位で呼ばれる。僕達を含む10組も呼ばれたのだ。そして、どこにつれていかれるのか? と思ったら舞台袖だった。舞台袖で待つのだ。階段のあたりで10組が並ぶ。僕は急に緊張してきた。さっきまでのウキウキとワクワクが嘘みたいだ。恐怖心でドキドキしてきた。僕達より前のコンビがドッカンドッカンとウケている。ますます緊張する。胃が痛い。吐き気がする。胃薬を飲んでおけば良かった。この時、1人だったら緊張に耐えきれず帰っていたかもしれない。相方がいるというのはいいものだ。相方がいたから、踏みとどまることが出来た。相方は、


「崔、あのコンビ、ごっつウケてるぞ」


などと言いながら笑っていた。“相方の頼もしさ”を知った。


 僕だって、小学生の頃から中学まで生徒会の役をやっていた。毎週、全校生徒の前で話していた。成人式の成人代表スピーチもした。舞台、壇上に上がるのは慣れていたはずだ。だが、違うのだ。この時の緊張感は、今までとは違う種類のものだった。僕は、芸人として立つ舞台がこんなにも緊張するとは思わなかった。汗をかいた。


 遂に、僕等の出番が来た。センターマイクまで走る。出囃子は、聞いたことの無い出囃子だったが、始まった。こうなったら飛び出すしかない。壇上へ飛び出した。嗚呼、憧れのセンターマイク。観客に見つめられる舞台。


“なんて気持ちがいいんだ!”


 僕は宙に浮いているかのような感覚を味わった。めちゃくちゃ楽しい! だが、僕等のネタは結構スベっていた。だが、僕はスベることさえもおかしくて、ずっと笑っていた。“おいおい、僕達スベってるやんか!”と思うと笑いがこみ上げる。ウケようがスベろうが笑ってしまう。


 僕は、笑っていたら途中で1回ネタが飛んだ。ネタが飛んでいるうちに時間が経ち、まさかのタイムオーバーでネタを強制終了させられた。元々、2分ジャストのネタ、ネタを飛ばすだけの時間は無かったのだ。結果は勿論、1回戦敗退。だが、僕はそれで良かった。まずは、舞台に立ちたかったのだ。最初は舞台に立つのが目標だった。目標達成、舞台には立てた。スタートは出来たのだ。持ち時間は2分間、2分30秒でタイムオーバー。たったの2分30秒! だけど、最高に幸せな2分30秒だった。この舞い上がるような気分をまた味わいたい。さあ、来年からはいよいよ2回戦、3回戦進出を狙おう。


 と、思ったら、相方から、


「もう某漫才コンテストには出ない」


と言われた。ようやくスタートしたと思ったら、スグに芸人への道が閉ざされてしまった。僕は絶望した。あの舞台の心地よさを知ってしまったので、余計に出場出来ないことがツラかった。でも、もう、他の相方を探すしかない。


 

 それから数年、また相方不在で某漫才コンテストに出れていない。でも、僕は舞台の上という感動と快感と興奮を忘れられないのだ。以前よりも、出れないことが苦痛だ。この数年、フリーターを集めて日給2万円で(5千円アップ)“相方になってくれないか?”と誘ったが、誰も協力してくれなかった。これ以上は払えないぞ。それとも、思い切って日給2万5千円にするべきなのだろうか? 写真を撮ってネタ合わせもしないといけないし、本番があるから、最低でも2日。5万を払わなければならなくなる。いや、5万も出せば、誰か協力してくれるだろうか? 試してみようか?


 そこまでしてでも、僕は芸人になりたい。そして、芸能界に入りたい。画面の向こうの存在になりたい。画面の向こう、芸能界には、キレイな女性もいるし裕福な生活もあるのだ。僕の欲しいものが全て画面の向こうにある。僕はアラフィフになってしまったけれど、素敵な女性と結婚出来るかもしれないのだ。ああ、夢だけが膨らむ。


 “無理だよ、芸人になんかなれないよ!”、“やってもムダやで!”、そんなことばかり言われる。“無理? だからどうした? 無理でもいいじゃないか! 僕は、“どうせダメだろうからやらない!”、そんな人生を過ごしたことは無い。“やってもムダ、無理!”だとしてもやるのだ。やってきたのだ。やれば、可能性は限りなくゼロに近くてもゼロではなくなる。やらなければ可能性は完全にゼロだ。死ぬ時、“ああ、あれをやっておけばよかった、これをやっておけばよかった”、と思うような、そんな人生はごめんだ。僕は、やりたい時に、やりたいことを、やりたいだけやってきた。



 だが、もう我慢が出来ない! 漫才がしたくて某漫才コンテスト出場を目標にしていたが、もう某漫才コンテストにはこだわらない! 某ピン芸人の大会に出場してやる! 年齢なんか関係無い、今度こそ、お笑い芸人への道、スタートだ! でも、本当は某漫才コンテストがいいのだけれど。




 と言いながら、今年は失業していたので何も出来なかった。仕事が決まらないと、芸人を目指すことも出来ない。足元を固めないと動けない。結果、極めて不完全燃焼な1年間を過ごすことになってしまった。何も出来なかった。夢の入口に立つことも、夢の入口に立とうとすることも出来なかった。就活だけで終わってしまった(小説は書いていたけれど)。そして12月下旬現在、ようやく仕事が決まった。1月6日が初出勤の予定だ。ようやくだ。これで来年はまた夢を追いかけることが出来る。仕事が決まって嬉しい。今年は空白の1年間だったが、来年はまた夢を追いかける!


 そして、某音楽サイトに登録したので、これからは作詞という分野に力を入れることも出来るようになった。今、24曲を投稿していて、1曲、メロディを付けてもらうことが出来た。動画も作ってもらえた。“作詞家になる”という新しい夢が増えた。これは嬉しいことだ。



 やりたいことは沢山ある。こうなったら、やりたいことは全てやってやる!







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