ピリオド2 ・ 1983年 プラス20 〜 始まりから二十年後  2 消え失せた智子

昭和三十八年、児玉亭の長男、稔は中学校の三年生。卒業式の前日に、幼なじみの霧島智子とのデートの誘いに失敗し、どうにも気持ちが収まらない。

一方、智子の方は一条八重のことが気になりつつも、卵を求めて小雨の中を……。



  2 消え失せた智子 


「だから……だから違うんです。暗くて、周りなんて、よく見えなかったし……」

「そりゃおかしいじゃないか? お前さんは霧島智子を尾けてたんだろ? なのに、家に帰ったと思ったって? おかしいねえ……辺りが急に暗くなって、霧島智子も消えちまってだ……一緒だった男の方は死んじまう。それで犯人は自分じゃない? だったらさ、別に犯人がいるってことだよな? でだ、そうならよ、そいつはどこに消えたんだって、ハナシになるよな?」

 そんなことを言いつつも、きっとこいつが犯人だ……そんな視線を向けながら、老年の刑事はシワだらけの顔を近付けてくる。

「あの大男を殺したそいつは、お前さんの頭をカチ割ろうとしてから、幼なじみと一緒に消えちまったか……うむ、確かにな、そうだって可能性はゼロじゃない。しかしなあ、こうも考えられないか? お前さんの頭はさ、仏さんとやり合った時にできたもので、幼なじみの行方を知っているのは……ねえ、児玉稔くん、実は君、なんじゃないかね〜」

 刑事はそう声にして、椅子に深々と座り直してニヤッと笑った。

 ところがそんな笑顔もいっときで、いきなり険しい顔付きとなる。

「なあ、ナイフをどこに捨てたんだ!? 明日にはあの辺り一帯の捜索が始まる。そうなればだ……どうせすぐに見つかるぞ! そうなる前に、正直に言っちまえって!」

 刑事は突然声を荒げて、そんなことを言ってくるのだ。

 稔とて、どこだと言ってやりたかった。しかし何から何まで分からないってのは本当だから、「知らない」「やってない」を繰り返す以外に道はない。

 ――もう、助けてくれよ……。

 ただただ釈放だけを願っていたが、それでもまだこの頃は、夕方くらいには帰れるだろうくらいに思っていたのだ。

 しかし考えている以上に、彼の立場は危うい状況に追い込まれていた。

 智子を探し歩いたあの日、鈍器のようなもので殴られ、しばらく気を失っていたってことに稔は気付いていなかった。

 彼が再び立ち上がった時には一時間近くが過ぎ去っていて、すでに殺人事件は起きてしまった後だった……。

 

 ――あれ?

 彼が再び立ち上がり、茂みの中を進み始めてからすぐだった。立ち塞がる草木のずっと先、遠くの方で何かがいきなり光を放ち、ほんの数秒で消え失せる。

 さしたる根拠もなかったが、そんな光に稔はしっかり思うのだ。

 ――あっちだ! あっちに絶対、智子がいる!!

 それから光った方をひたすら目指し、絡みつく雑草をかき分け進んでいった。

 そうして辿り着いたのが小さな広場のような場所。家二軒分くらいの広さがあって、なぜかそこだけ雑草一本生えてない。

 そんな空間を守ろうとするかのように、その周りを草木がびっしり取り囲んでいる。

 ――なんだよ、ここ……?

 どう考えたって自然にできたって感じじゃなかった。

 ならば誰が? どんな理由でこんな空間を作ったのか?

 そんなことをほんのいっとき考えたが、大事なことはそこじゃない。

 ――智子……。

 慌てて辺りを見まわし、そこで数メートル先に何かがあるのに気が付いた。

 ――まさか! 智子か!?

 ドキドキしながら二、三歩足を踏み出すが、智子にしてはどう考えたって大き過ぎる。

 さらにゆっくり近付くと、こっちを向いて横たわっているのはなんとも大きい男性らしい。左の肩を地面に付けて、まるで布団に包まるように手足を小さく折り曲げている。

 ――まさか……さっきの大男? 

 内心相当ビビっていたが、それでも必死に語気を強めて声にした。

「ちょっとアンタ! そんなところで何してるんですか!?」

 それからふた呼吸ほど反応を待つが、返事どころか男は身動きひとつしないまま。

 だから横たわる男のそばに立ち、男の肩を人差し指で突っついたのだ。

 すると身体がゆっくり動き、そのままゴロンと上向きになる。

 そうして初めて、その姿が暗いながらもやっとしっかり見えたのだった。

 顔が醜く腫れ上がり、口元辺りは黒く固まった血液で覆われている。地面がぬかるんで見えるのは、きっと腹から吹き出している体液のせいだ……右脇腹に刺されたような傷口があり、そこから黒っぽい体液が滲み出ているのがはっきり分かった。

 さっき見掛けた男がコイツであれば……。

 ――じゃあ、智子はどこに行ったんだ?

 大変なことが起きている……そんな恐怖を痛烈に感じ、稔は再度声を掛けようとする。

 ところが男がその寸前、いきなり絞り出すように咳き込んだのだ。

 稔は慌てて男の傍にしゃがみ込み、彼の耳元で大声を上げた。

「何があったんですか!? 智子は? 霧島智子と一緒でしたよね? 彼女はどこに行ったんですか!?」

 そんな声に覚醒し、男はきっと何かを言いかけた。

 男の右瞼がヒクヒクと動き、その口元が半開きになる。

 しかし口からの息は声とはならず、ドロッとした血の塊を吐き出させただけ。続いて辛そうに咳をして、そこでようやくうっすらとだが目を開けた。

見れば唇が微かに動き、口元についた血の塊が吐き出す息に震えて見える。

 ――何か、言ってる!?

 そう思うや否や、稔は慌てて男の口元に耳を寄せ、一字一句聞き逃すまいと呼吸を止めて目を閉じた。

 すると男は不可解な言葉を繰り返し、最後の最後だけ妙にしっかり声にする。

「頼む、約束……した、ぞ……」

 それが男の最後の言葉で、その後は何を言っても息遣いしか返ってこない。

 そうなってやっと、彼は警察に連絡しようと決めるのだ。

 知らぬ間に雨は止んでいたが、突き刺すような寒さは変わらない。

 こんな中、ずっと外になんか居られないし、だからきっと智子は無事で、今頃はとっくに家に帰っているはずだ。そんな想像を必死に思い、林から一番近い一軒家に彼は慌てて飛び込んだのだ。

 やがてパトカーがサイレンを響かせながら現れて、稔は警察官二人を従えあの広場まで舞い戻る。

 その夜、彼が解放されたのは、それからさらに二時間近くが経っていた。

 そして次の日、日曜日の朝っぱらから地元の警察署に呼び出しを食らう。

 最初はあくまで、第一発見者として話を聞きたいということだった。

 それが段々おかしくなって、昼も過ぎた頃には刑事の態度も大きく変わった。

「霧島智子をどうしたんだ? ずっと尾けていたんだろう? 神隠しにでも遭ったってことか?」

 いくら記憶通りに説明しようと、相手はぜんぜん納得しない。それでもおんなじことを言い続ければ、老刑事の口調はますますキツくなっていく。

 結局、大男を刺し殺したナイフは見つからず、二日目の夜を迎えても、智子は行方不明のままだった。

 なんの進展もなく三日目を迎え、両親との面会さえ許されない。

 そうして誰もが長引きそうだと思い始めた頃、あまりに突然、予想外の展開が待っていた。

 匿名で、警察に一枚の写真が送られてきたのだ。

 それは紛れもなくあの現場で撮られたもので、しっかり犯人らしき姿が映り込んでいる。

 横たわる大男目がけて、やはり長身の男がナイフを振り下ろそうとする瞬間なのだ。

 智子と一緒だった男は、一メートル九十センチくらいはあったろう。さらに写真に写るもう一人の方も、背景から同じくらいの大男だと分かった。

 加えてヒョロッとした痩せ形というところまで、写真の二人は酷似している。

 それからすぐに写真鑑定が行われ、ありがたいことに加工の痕跡は出なかった。

 となれば写真が示す通りに、第三の男が大男を殺し、さらに智子をどこかへ連れ去った……そう考えれば辻褄は合うが、それでも多くの疑問は残されたままだ。

 そもそもこの写真は、誰がなんの為に送り付けてきたのか?

 さらに警察がどう調べても、あの大男がどこの誰だかが分からない。写真に 写っていたもう一人についても、どこからも目撃情報さえ出てこなかった。

 昭和三十八年の日本なのだ。

 二メートル近い大男なんて滅多にいない。

 だから、もし見かければ、普通は記憶にだって残るだろう。

 なのに目撃者は見つからず、まるで降って湧いたように現れ、さらにもう一人の男は忽然と……どこかへ消え失せていた。

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