お題は「メガネ」

眞壁 暁大

第1話

これほどやる気のないカクヨムは初めてかもしれない。

投げやりさでは今までだっていい加減だったが、今までの場合は

「なんとかしたいな」という耳かき一杯分の意欲はあった。


 このKAC2024最終回はどうか。

 

 みじんもない。


 本当に。びっくりするくらい。

 これは加齢によるものだろうな、とは感じる。

 どんよりと意欲が削がれていく。

 過去に聞いていた


「疲れが取れない」


 とはこういうことだったのか、と痛感している。

 以前とおなじくらいの休養をとっても疲労が回復しない。

 ならば休養を増やせばいいのか、となるとそうでもない。

 休養を増やしたところで、自分の体と心の奥底にへばりついた疲労は抜けない。イメージとしては茶渋にかなり近い。濯ぐ回数を増やしたところで全然取れない。こすらないと取れないやつ。

 茶渋は洗剤使えば、擦ればそれでも取れるけども加齢による疲労のへばりつき、染みはとれない。そうして器の底の方に、器の内壁に疲労という名の茶渋が幾重にも幾重にも層が重なっていく。

 そうすれば元々の器の大きさは変わらねえので、疲労の層が重なることで容積が減っていく。いくら休んでも体力が元通りには回復しないのは、満タンの容量が過去とは変わってしまっているということなのだと痛感する。


 それが今年の教訓である。

 今年は何だったらいつもよりはお題に合わせて書く時間そのものは去年よりは確保できている。にもかかわらず出来ないのは能力が落ちているからに他ならないと思う。

 この調子だと来年はお題発表→回答 のスパンに間に合わせて書くことが難しいかもしれない。時間を増やしても今回くらいが精一杯なのだ。

これから劇的に時間を増やすなどというのは困難だし、来年も今年くらいの要領で行けるという保証はないというか、まず間違いなく今年よりも劣った能力しか発揮できないことは目に見えている。

 

 老いるということは、これほどまでに惨めなことであったか。


 仕事なんかだとまあいろいろと言い訳を見繕って見て見ぬふりをできたんだけど、単純な作業

「お題を与えられて書く」

 というのを通して、自分の劣化を痛感させられる。シンプルなだけに言い訳が出来ない。

 これがこの先の人生ではずっと続いていくのだと思うと、なかなかエゲつない。


 人生のパフォーマンスでの頂点が低かったにも関わらず、それでも自分の劣化を思い知らされるのだから、ハイパフォーマンスで生きてきた人にとっての老いの恐怖は俺の比じゃないだろうなぁ、と思いました。


 それに比べるとメガネは、新調するたびに「大きく衰えてはいない」方に入ってくるのかもしれない。いまのところ。

 やがては衰えて老眼に合わせた新調も必要になってくるのだろうけど、裸眼から老眼鏡デビューする人よりは、自分の劣化を受け止める準備ができてるのかもしれないな、と。


 いやしかし、そこそこ手癖でやれるもんだと思ってた駄文書きでも加齢による劣化、能力の退化をここまで実感するものだとは思ってなかった。

 

 この先転げ落ちる一方で上昇の目はみじんもない「老い」について、もうちょっと覚悟したほうがよさそう。


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お題は「メガネ」 眞壁 暁大 @afumai

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