【KAC20248】見習い魔法使い、踏み出す一歩

水城しほ

見習い魔法使い、踏み出す一歩(一)

 同じ家で暮らすアルヴァーンの口から「縁談が来た」という言葉が飛び出したのは、夏期休暇に入ってすぐのことだった。

 実家から呼び出しを受けた彼は、帰ってくるなり「オーレリアン伯父上にやられた」と、苛立たしげに美しい銀髪を掻き乱した。オーレリアン伯父上というのは、国王の実子であるオーレリアン第二王子のことだ。アルヴァの父親は第三王子で、オーレリアン様は兄であり、おいそれと逆らうことなどできはしない。

 アルヴァの「恋人」であるわたしは、手にしていた羽ペンを取り落とし、えええ、とレディらしからぬ声をあげることしかできなかった。


 わたしたちは「王立アーリエ魔法使い養成所」の二年生で、卒業まではあと一年以上ある。在学中は身分も肩書も捨てて魔法学を学ぶことになるため、王族の一員である彼と、辺境伯の孫娘であるわたしは、正式に婚約することはかなわない。だから、幼馴染のわたしたちが恋仲にあることを、未だどちらの両親にも言わずにいたのだ。兄妹のように育ってきたわたしたちだからこそ、この同居が許されているのだろうし……なので、周囲には卒業後に伝えようと考えていた。

 おそらくだけれど、王様から先手を打たれたのだ。わたしたちが一緒に暮らしていることは、互いの両親が認めていることだけれど、良く思わない人たちがいることも承知している。ただひたすらに魔法学を追求する「魔法使い」という存在の生き方は、貴族にとって非常識以外の何物でもない。いくら研究に都合が良いからと、婚約もしていない男女が二人で暮らすなんて、本当にとんでもないことで――だから、王家はアルヴァからわたしを引き剥がしたいのだろうと、そう思った。

 アルヴァは見惚れるほどに麗しく、何事にも勤勉な努力家で、生まれてすぐに四大精霊からの祝福を受けており、血筋的には現国王の孫にあたる。どこから見ても非の打ちどころがない、完全無欠の王子様だ。そんなアルヴァが、魔法学しか取り柄のない地味なわたしを寵愛していることが、いったい王城の中ではどう思われているのか――少なくとも社交界という場所では、わたしは嘲笑と悪意に晒され続けてきた。

 そもそもアルヴァが全く完璧じゃなかったとしても、非の打ちどころだらけだったとしても、王族と連なりたい家なんて山とある。今まではご両親が縁談を全て蹴っていただけのこと。つまり、今回は蹴ることが出来なかったということだ。


「お相手は、どんな方なの……?」

「アシェンダ家の末娘。これまでにも何度か顔を合わせているけれど、あまりに馴れ馴れしすぎて、僕は嫌いだ」


 アシェンダ家は魔法商人として財を成した家系で、財政の傾いた家門に近付いて縁談を持ちかけ「上級貴族の姻族」という肩書を得ることに成功した家だ。つまりアシェンダ家から見れば、王族であるアルヴァは「最も欲しい血筋」ということになる。王家がそれを飲んだのであれば、裏では何か大きな取引が動いているのかもしれない。

 すまない、とアルヴァはわたしの頭を撫でた。


「父上からは、会うだけでいいと言われているんだ……だから、この縁談は絶対に断る。どうか僕を信じて欲しい」


 その言葉に、わたしは返事が出来なかった。アルヴァの気持ちは信じているけれど、もし本当に王様の意向ならば、逆らうことなどできるわけがない。わたしたち二人だけの問題では済まないのだ。辺境伯の地位にあるわたしのおじいさまにだって、どんな類が及ぶのかわかったものではない。

 その後のわたしは、何ひとつ言葉を出せないままだった。その意味はきっと伝わっていて、すまないともう一度だけ繰り返された。


 きちんと話をできないまま深夜になり、自室で寝ようとしていると、アルヴァが「僕の部屋においで」と誘ってくれた。

 担当教官の命令で同居しているお目付け役、魔法アウルのアウルアさんが「ワシはお邪魔かのぅ」とからかいながら、住み着いている作業室へと入っていく。だけど別にわたしたちは、やましいことをするわけじゃない。魔法使いは子を成すと決めた時以外、性的な接触を持たないものなのだ。だからアルヴァのこれは「魔力を繋げ合って眠ろう」という誘いでしかない。魔法使いにとって最大の愛情表現は、いわば精神の根を繋ぎ合うようなもので、本当に信頼し合っている人にしか許してはいけないこと。

 同じベッドに潜り込んで、抱き合って、ゆっくりと魔力を繋げ合う。互いの心を受け入れ合って、自分にとっての相手が「唯一の人」なのだと証明していく。魔力の色は心の色と同じだから、今のアルヴァがどんな気持ちなのか、なんとなくだけどわかってしまう。いつもと同じように優しくて、あたたかくて……だけど、不安で大きく揺らいでいた。

 なんだかもどかしくて、アルヴァの胸に頭を擦り付けて、子供のように甘えてみる。すると「謝りたいことがあるんだ」と、彼のか細い声が聞こえた。


「こんなことになるのなら、エルを縛り付けるべきではなかったね……すまない、エル。このまま僕が王政の駒になってしまえば、エルはひとりぼっちになってしまう……」


 それは、確かにそうなんだろう。わたしは十六歳になっても、縁談のひとつすら来たことがない。いつだってアルヴァがそばにいて、しかも「魔法使い」を志すわたしにとって、それはあまり重要なことではなかったけれど……本来ならば、貴族の家に生まれた娘としては、極めて屈辱的な状況だ。

 だけど、それはアルヴァが謝るようなことじゃない。わたしは母親が平民の出だし、辺境の地に住むせいで「田舎者」というレッテルを貼られているし……王城の舞踏会へ招かれた時だって、わたしの相手をしてくれるのはアルヴァだけだった。彼はわたしを守り続けてくれた存在であって、縛り付ける存在だったわけではないのだ。


「そんなの、アルヴァのせいじゃないわ。わたしが、あの世界に受け入れてもらえなかっただけ」

「違うんだ、エル。そうじゃないんだ」


 アルヴァはわたしを抱きしめる腕に力を込めて、僕が、と呟いた。


「僕が……大好きなエルを、他の誰にも渡したくなかった。だから僕は周囲の男どもに対して、エルへの想いを隠さなかった。王族の恋敵になるとわかっていて、あえて手を出すような貴族はいない……ここまで言えば、エルにもわかるだろう? 僕は身勝手な男なんだ、エルをひとりじめしたかったんだ。他の男になんか目もくれず、死ぬまで僕のことだけを、ずっと見ていてほしかったんだ……!」


 悲しみの色と共に、すまない、とアルヴァが繰り返した。

 それって、つまり。わたしにアルヴァしかいなかったのは、アルヴァがそうなるように仕向けていたということだ。

 驚きはしたけれど、不快ではなかった。だってどのみち、わたしは幼い頃からアルヴァしか見ていなかった。兄のようなアルヴァへ向けていた感情は、決して単純なものではなくて――自分の恋心に気が付かないまま、ずっとずっと、慕ってきた。アルヴァが自分で言うように、彼のしたことが身勝手な感情ゆえだとしても……その勝手さを、傲慢さを、どうしても嬉しく思ってしまう。きっとわたしは馬鹿なんだけど、どうせこの感情を隠すことはできない。互いの魔力を繋いでいる今、わたしの心はアルヴァに筒抜けだ。


「エル、どうして喜んでいるの……?」

「わたし、お馬鹿さんだから。だから嬉しいの。わたしをひとりじめにしてくれて、すごく嬉しいの……お願い、もっとわたしをアルヴァに縛り付けて。うんと小さな頃からずっと、わたしはアルヴァのものなんだから……」

「……自分の言っている意味が、わかっているのかい?」

「わかって、いる、つもり……」


 はしたないことを伝えている自覚は、ある。あまりにも恥ずかしくて、それなのに、その恥ずかしさも伝わっているのだと思えば、何故だか胸が高鳴って……自分の全てを知られてしまうことが心地よくて、もっと知って、という感情に支配されていく。

 アルヴァはわたしの耳元に口を寄せ、お利口さんだね、と甘い声を投げ入れてきた。思考が蕩けてしまったわたしの魔力は、どんな風にアルヴァへ伝わっているんだろう……そんなことを考えた瞬間、耳朶をかぷっと軽く齧られてしまった。


「ねぇ、エル。僕はずっと昔から、君の存在の全てを、僕だけのものにしてしまいたかったんだ……僕がまだ知らないエルのことも、全てだ。いいね?」


 わたしが頷くのを確認してから、アルヴァが唇を重ねてくる。そこから先へ進むことは、見習い魔法使いにとっての禁忌タブーだから、本当ならこれ以上のことはできないけれど――今のわたしたちは、胸の奥にくすぶる不安を、残さず消し飛ばしてしまいたかった。

 だから、越えてはいけない一線を、二人で踏み越えることにした。

 たとえこの先に何があろうと、決して後悔などしない。魔法使いになれなくなったとしても、今のわたしの全てをかけて、この人の想いに応えてあげたい。

 だって、わたしは、アルヴァのことを愛しているから。

 この人が望むことならば、どんなことでもしてあげたいから。

 わたしたちは強く強く、繋げ合った魔力と同じくらい強く、互いの身体を抱きしめ合った。それはまるで、相手を自分に縛り付けようとしているみたいだった。

 死ぬまで離さない、とアルヴァが吠えるように言った。その声は、野生の獣みたいだった。


 気だるくも幸せな朝が来て、ベッドの中のわたしたちは顔を見合わせて、笑い合って、それからひとつの決断をした。

 それは、わたしたちの関係を、公にしてしまうことだ。

 兄妹同然の幼馴染という前提が崩れれば、もう二人では暮らせなくなるかもしれない。禁忌を破ったことが伝われば、養成所も何らかの処分を下すだろう。そもそも婚姻前に性的な関係を持ったことは、貴族社会において、死ぬまで白い目で見られ続けるような話だ。わたしは王家に疎まれる存在となるだろうし、実家へ迷惑をかけるのも間違いない。それでも、今のわたしたちには、これしか手段が残されていない。こんな話が公になれば間違いなく今回は破談になるし、お互いに二度と縁談なんて来なくなる。もしもその後、引き離されてしまうんだったら、二人でどこか遠くに逃げてしまおう――そこまでを誓い合ってから、わたしたちはようやくベッドから抜け出した。

 アルヴァはこれから登城して、王様への謁見を試みると言った。事前の約束もなく同行者を連れて行くことはできないので、わたしは家でお留守番だ。

 せめて心だけは繋がっていようと、互いに「魔力の糸」を繋げ合うことにした。相手が今どこにいるのか、どんな種類の感情を持っているのか――魔力を通して得られる情報のすべてが、遠くにいても伝わるようにする魔法だ。アルヴァは既にわたしへ「糸」を付けているから、今度はわたしの方からアルヴァへ魔法をかけていく。

 抱き合って魔力を繋げ合い、アルヴァの魔力へと意識を集中する。彼の魔力の流れを辿って、最奥を目指して潜り込んでいく。互いに全てを受け入れ合っているから、わたしの意識はスムーズに、アルヴァの奥深くまで入り込み――ひときわ強く輝く魔力のかたまりを見つけたところで、そっと「糸」を絡ませていく。まるで「拒む意思など存在しない」という証のように、わたしの「糸」とアルヴァの「塊」は、あっと言う間に同化していった。

 繋いだ糸が安定したのを確認すると、アルヴァは机の引き出しから眼鏡めがねをひとつ取り出して、わたしの手のひらにそっと乗せた。


「これは魔力の糸を伝って、相手の状況が見えるようにする魔法具なんだよ。今日はエルがこれを使って、僕の言動を見届けて欲しい」


 銀製のフレームには魔力を増幅する紋様が施されていて、非常に高価な魔法具だと一目でわかる。こんなものを急に用意できるわけがないから、きっと、アルヴァはわたしにこれを使っていたんだ……そんなにも、わたしの全てを知りたかったんだ。どうしよう、嬉しい。そんなの絶対おかしいって、頭ではちゃんとわかってるのに。

 わたしの心に気付いたアルヴァが、怒らないのかい、と困惑の色を浮かべた。


「軽蔑するどころか喜んでるって、いったいどういうことなんだい?」

「わ、わたし、アルヴァになら、何を知られても嬉しいから……」

「……僕も結構、自分の感情が重い自覚はあるんだけど、エルには勝てない気がしてきたよ」


 呆れたように笑ったアルヴァは、だけどよかった、と深く息を吐いた。


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