見習い魔法使い、踏み出す一歩(二)

 正午を知らせる王城の鐘がなる頃、アルヴァは無事に登城を果たし、王様へのお目通りが叶っていた。並の貴族程度ならば決してありえない対応に、彼はやはり「王の孫」なのだなあと、身分の差を感じてしまう。

 おそらく「謁見の間」らしき広間。周囲は人払いをされている様子で、王様とアルヴァは二人きりだった。心配で眼鏡の中の光景を見つめるわたしに、アウルアさんが何かを言っている気配を感じたけれど、わたしの意識のほとんどはアルヴァのところにあった。


「アルヴァーンよ、急用とは何か?」


 厳しい口調で、王様が問う。ひどく緊張しているのか、アルヴァはなかなか口火を切れずにいる。しばらく黙っていたアルヴァへ、王様は「縁談のことだろう」と水を向けてくれた。


「……はい、王様。僕、いえ、わたくしには心に決めた人が――」

「わかっておるよ、相手がファリアッソの孫娘ということもな。魔力の糸を繋いでおるな、どこかで儂等を見ておるのだろう? 王家の魔法具を勝手に持ち出しおって」

「それは……!」


 魔力の糸を繋いでいることどころか、眼鏡を使っていることまでがバレている。無断で王家の財物を持ち出し、それを使って王城の中心部に魔力干渉をしている現行犯だ。慌てて「糸」を外そうとしたわたしの耳に、そのままにせよ、と王様の声が届いた。


「エルーナ・ファリアッソよ、聞いておるのならば丁度良い。誤解無きよう伝えておくが、儂はお前たちの仲に反対などしておらぬよ。あの縁談はオーレリアンがひとりで騒いでおるだけでな」

「……は?」

「どうせ、はした金でも貰っておるのだよ。儂が止めても良かったんだが、お前たちがどのように行動するか、悪いがファリアッソと賭けをしておってな。儂の予想通り、我が孫はこうして王に文句を言いに来た。明らかに儂の勝ちであるな」


 王様が嬉しそうに目を細めた。アルヴァは怒りで震えているのか、非常にピリピリとした感情を抱えたまま、しばらく黙って俯いていたけれど……どうにか顔を上げた時には耳まで真っ赤になっていて、ふざけるな、と悪態を吐いた。王様を相手に。一瞬肝が冷えたけど、王様はカラカラと笑い飛ばした。


「笑いごとではありません!! 孫の人生を賭けに使うだなんて、王様は何を考えておられるのですか!!」

「良いではないか。どうせ断るのはわかっておったし、その手順をどうするかを予想し合っておっただけの話だからな」

「わたくしが断らなければ、いったいどうするおつもりだったのですか!?」

「いいや、お前は必ず断るとわかっていたよ。エルーナへの尋常ならぬ執着を、儂等が把握しておらぬとでも?」


 そう言われれば、把握していないはずはない。他の貴族がわたしへ縁談を申し込めなくなるほどに、アルヴァの好意は有名なものとなっていたのだから。気付いていなかったのはわたしだけ……完全に何も言えなくなったアルヴァを見て、王様はますますご満悦といった表情だ。


「いや、はは、お前は実に王族らしくない子だな。危なっかしくて見ておれん、儂もせいぜいお前を守るとしよう。まぁ、魔法使いは天職であろうよ。ほどほど自由に生きていけばいい。どうせお前が王位に就くことなどないのだ。無駄な野心を抱かぬのならば、あとは好きにするが良いよ」


 笑みを浮かべたままの王様とは裏腹に、アルヴァが表情を曇らせた。そう、わたしたちはもう魔法使いにはなれない。婚姻関係を結んだ後ならまだしも、まだ婚約すらしていない身で禁忌を破るなんて、普通ならば決してありえないことだ……養成所が何の処罰もしないとは思えない、きっとわたしたちは退学になる。

 アルヴァはひどく緊張した面持ちで、そのことですが、と辛そうな声を出した。


「王様……申し訳ございません。わたくしは昨夜、見習い魔法使いの禁忌を破りました。なのでもう、魔法使いにはなれないのです」

「そうか。それならばその記憶は、墓場まで持って行くが良い。儂は何も聞いてはおらぬ、そういうことにしておいてやろう」

「ですが!」

「お前がもし、王族の一員として模範を示したいというのなら、なおのこと一切を黙っておれ。いいか、お前はもう子供ではないのだ。正直に罪を告白して偉いねぇ、などとは誰も思ってくれぬぞ?」


 たしなめるように言葉を選んでいく王様へ、アルヴァは明らかに反発を覚えていた。しかし反論することはできず、ただ唇をかみしめて、荒れ気味の魔力を制御するように肩を震わせている。


「アルヴァーンよ、正直が美徳とは限らぬのだ。大切なものを守るためならば、どこまでも狡猾になって良いのだよ」

「それは……さすが、王となる方のお言葉だとは、思います」

「素直には飲み込めぬか、では問おう。お前にとって何より大切なのは、エルーナの幸福を守ることではないのか? お前の言うように事実を明るみにして、その幸福は守られるのか?」


 その言葉が放たれた途端、アルヴァは目を見開いて王様を見つめ、そうだ、と小さく呟いた。


「そうだ……そう、僕は。僕はただ、エルに幸せでいて欲しかった。おじいさまの言うとおりだ……」


 相手が王であるということも忘れてしまったように、まるで平民の祖父と孫であるかのように、アルヴァの口からは素直な言葉が漏れていく。その一方で、アルヴァの魔力に何かが干渉している気配があった。おそらく王様が何か魔法を使ったのだ。王族は普通の魔法使いとは違う術式を操るから、まだ一介の見習いでしかないわたしには、それを正確に解析することなどできない。

 だけど、それでも少しだけ、わたしにもわかることがあった。

 干渉してくる魔力が、とても慈愛に満ちたものであるということ。そしておそらく、思考に直接干渉しているわけではないということ。

 おそらく王様は、強力な魔力と特殊な術式をもって、アルヴァの「本音」を吐き出させているのだ。


「アルヴァ。お前は誰よりも、何よりも、エルの幸せを望んでおるのだな」

「うん……だから、僕が、いつでもそばにいなくちゃって……思ったんだ……」

「知っておるよ。そして儂もファリアッソも、孫たちの幸福を夢見ておる。お前たちが共に歩んでくれれば、儂等にとってこれ以上の希望はないのだよ。どうだろう、今はただ、自分たちの穏やかな幸福を守ってはくれぬか?」

「それが……エルの幸せ……?」

「そうだとも。そもそもな、秘め事はやたらと言い触らすものではないよ。おそらく縁談を確実に破談にするため、己が罪を告白したのであろうが――そんな小細工を弄する前に、はじめから儂を頼れば良かったのだよ。いいかいアルヴァ、これからはそうしなさい。良いかな?」

「わかりました、おじいさま……」


 幼子のような言葉を呟くアルヴァへ、王様は優しい眼差しを向け、そしてパチンと指を鳴らした。顔つきが普段通りに戻ったアルヴァの口からは、王様、と焦りの混ざった声が出た。王様が魔法を解いたのだ。魔力に干渉していた優しい感触もさらりと消えてしまい、そしてアルヴァは完全に正気に戻っていた。


「王様、わ、わたくしに何をなさったのです……?」

「お前が素直になる魔法を少々な。さて、今日はこれで帰るがよい。オーレリアンやアシェンタ家には、儂から話をしておくこととしよう」


 その王様の申し出に、アルヴァは明るい笑みを見せた。だけどそれはほんの一瞬で、すぐに険しい顔へと戻ってしまう。


「本当に、頼ってもよろしいのですか?」

「そう言うておろうが。儂はお前の『おじいさま』であるぞ?」

「おじい……た、戯れはおやめください!!」

「ははははは、まあ、また近いうちに来るが良い。今は養成所も休暇であろう、今度はエルーナも連れて遊びに……ああ、こっそり拝借した物は、早目に返した方が良いぞ?」


 最後に眼鏡のことを指摘され、アルヴァが気まずそうに頭を下げて、それを見た王様はたいへん愉快そうに笑って――まるでわたしの視線に気付いているかのように、こちらに向けてウインクをした。


 眼鏡を外して意識を室内に向けると、真正面の机の上に、アウルアさんが陣取っていた。わたしの意識がしっかりと覚醒しないうちから、人間の言語とフクロウ語が混ざり合った状態で、何かをまくし立てている。


「ホホーウ、ホッホウ! お、おぬしは! 何というものを使っておるのじゃ! ホーウ!」

「え、あ、この眼鏡……ですか?」

「そうじゃそうじゃ! こいつをどこで手に入れおった!? これは王城の宝物庫にしか存在せぬはずの――あ、まさか!?」

「ええ、アルヴァの持ち物なんです……たったいま王様に叱られてしまったので、近いうちに返却することになるはずです」


 あやつ盗みおったのか、とアウルアさんが両翼で頭を抱えた。もしかしてこれ、養成所に報告されちゃうんだろうか……やっぱりこれって犯罪? 窃盗? それとも王城の宝物庫だから、もっと重罪になる感じ? 焦るわたしを見ていたアウルアさんは、少し落ち着けと言いながら飛びあがり、わたしの頭を軽く蹴飛ばした。


「痛い! ひどいです!」

「おぬしが余計なことばかり考えよるからじゃ」

「だ、だってアルヴァ、罪に問われちゃうんですか? まさか退学!?」

「そりゃ普通の学生ならば、ただでは済まぬよ。だがアルヴァの場合は王の孫であるしな、いわば家の中のことじゃろう? 王城の方で不問にするのならば、さすがにワシも黙っておくわい……というか、こんなもの恐ろしくて報告できぬわ。下手をすればハースの首が飛びかねんのじゃよ、おぬしは事の重大さがわかっておるのか?」

「そ、そうですよね……な、なんか、ごめんなさい」


 担当教官の心配をするアウルアさんに、わたしは謝ることしかできなかった。しかしアウルアさんは机の上の眼鏡を見つめて、ホッホゥ、とフクロウ語で鳴いた。


「しかし美しいのぅ、見事な術式じゃ……二度と拝む機会などなかろうし、ちょっとだけ、じっくり見せて貰っても……よかろうか……?」


 さすがのアウルアさんもよほど気になるのか、眼鏡をひたすらに見つめている。その様子があまりに可愛くて、いいんじゃないですか、とわたしは無責任に言った。


「わたしなんかこれを使って王城の内部に魔力干渉しましたし、しかも王様にバレましたし、それに比べれば全然平気じゃないですか?」

「おぬし……黙っておれば良いものを、そうペラペラと……」

「あっ」


 さっきの王様の言葉を思い出し、なんとも言えない気持ちになる。確かに「正直が美徳とは限らない」けれど、わたしみたいなタイプはそもそも黙っていられないのだ。自分の思慮のなさが酷すぎて、さすがに落ち込んでしまう。


「うぅ……わたしのお馬鹿さん加減、どうにかする魔法とかありませんか……」


 わたしが泣き言を口にしたところで、アルヴァが王城から帰ってきた。彼は帰宅に使った「転移魔法の指輪」を戸棚にしまうと、笑顔で私の頭を撫でた。


「アウルアさん、エルは何があったんです?」

「何もかもを素直に喋る自分に落ち込んでおるのじゃよ」

「あぁ……成程……」


 うっすらと何が起こったのかを察したらしいアルヴァは、大丈夫だよと言いながら、わたしの額にキスをした。その様子を見たアウルアさんが、ワシはお邪魔じゃのぅ、と言いながら急いで作業室へと飛び去って行く。その勢いがおかしくて、アルヴァもわたしも声をあげて笑った。


「……エルはね、そのままでいいんだよ。嘘やずるさが必要な時は、全て僕が引き受けてあげる」


 アルヴァの言葉は優しくて、いつだってわたしを受け止めてくれる。だけど、わたしだって、いつまでもアルヴァに守られてばかりではいたくない。

 わたしもアルヴァを守りたいから。

 ひとりの魔法使いとして、対等な存在になりたいから。


「じゃあ、アルヴァが辛い時は、わたしが守ってあげるからね!」

「エルが?」

「そうよ、任せてくれる?」


 アルヴァは少し考えてから、お願いするよと微笑んだ。


「じゃあ、眼鏡を返しに行く時は、一緒に付いて来てくれるかな?」

「もちろんよ!」

「ありがとう、助かるよ……実は、少しだけ怖かったんだよね」


 弱音を晒して笑うアルヴァは、完全無欠の王子様なんかじゃない。だけどそれで良いのだと思う。弱いところがあるのは当たり前だし、互いに支え合っていけばいいのだ――そう、わたしたちはこれからずっと、同じ時間を生きていくのだから。

 机の上の眼鏡を手に取り、王様の愛に溢れた導きを思う。

 わたしはそっと、心の奥で感謝を述べた。


(了)

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【KAC20248】見習い魔法使い、踏み出す一歩 水城しほ @mizukishiho

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