【KAC20248】見習い魔法使い、踏み出す一歩(お題:めがね)

 同じ家で暮らすアルヴァーンの口から「縁談が来た」という言葉が飛び出したのは、夏期休暇に入ってすぐのことだった。

 実家から呼び出しを受けた彼は、帰ってくるなり「オーレリアン伯父上にやられた」と、苛立たしげに美しい銀髪を掻き乱した。オーレリアン伯父上というのは、国王の実子であるオーレリアン第二王子のことだ。アルヴァの父親は第三王子で、オーレリアン様は兄であり、おいそれと逆らうことなどできはしない。

 アルヴァの「恋人」であるわたしは、手にしていた羽ペンを取り落とし、えええ、とレディらしからぬ声をあげることしかできなかった。


 わたしたちは「王立アーリエ魔法使い養成所」の二年生で、卒業まではあと一年以上ある。在学中は身分も肩書も捨てて魔法学を学ぶことになるため、王族の一員である彼と、辺境伯の孫娘であるわたしは、正式に婚約することはかなわない。だから、幼馴染のわたしたちが恋仲にあることを、未だどちらの両親にも言わずにいたのだ。兄妹のように育ってきたわたしたちだからこそ、この同居が許されているのだろうし……なので、周囲には卒業後に伝えようと考えていた。

 おそらくだけれど、王様から先手を打たれたのだ。わたしたちが一緒に暮らしていることは、互いの両親が認めていることだけれど、良く思わない人たちがいることも承知している。ただひたすらに魔法学を追求する「魔法使い」という存在の生き方は、貴族にとって非常識以外の何物でもない。いくら研究に都合が良いからと、婚約もしていない男女が二人で暮らすなんて、本当にとんでもないことで――だから、王家はアルヴァからわたしを引き剥がしたいのだろうと、そう思った。

 アルヴァは見惚れるほどに麗しく、何事にも勤勉な努力家で、生まれてすぐに四大精霊からの祝福を受けており、血筋的には現国王の孫にあたる。どこから見ても非の打ちどころがない、完全無欠の王子様だ。そんなアルヴァが、魔法学しか取り柄のない地味なわたしを寵愛していることが、いったい王城の中ではどう思われているのか――少なくとも社交界という場所では、わたしは嘲笑と悪意に晒され続けてきた。

 そもそもアルヴァが全く完璧じゃなかったとしても、非の打ちどころだらけだったとしても、王族と連なりたい家なんて山とある。今まではご両親が縁談を全て蹴っていただけのこと。つまり、今回は蹴ることが出来なかったということだ。


「お相手は、どんな方なの……?」

「アシェンダ家の末娘。これまでにも何度か顔を合わせているけれど、あまりに馴れ馴れしすぎて、僕は嫌いだ」


 アシェンダ家は魔法商人として財を成した家系で、財政の傾いた家門に近付いて縁談を持ちかけ「上級貴族の姻族」という肩書を得ることに成功した家だ。つまりアシェンダ家から見れば、王族であるアルヴァは「最も欲しい血筋」ということになる。王家がそれを飲んだのであれば、裏では何か大きな取引が動いているのかもしれない。

 すまない、とアルヴァはわたしの頭を撫でた。


「父上からは、会うだけでいいと言われているんだ……だから、この縁談は絶対に断る。どうか僕を信じて欲しい」


 その言葉に、わたしは返事が出来なかった。アルヴァの気持ちは信じているけれど、もし本当に王様の意向ならば、逆らうことなどできるわけがない。わたしたち二人だけの問題では済まないのだ。辺境伯の地位にあるわたしのおじいさまにだって、どんな類が及ぶのかわかったものではない。

 その後のわたしは、何ひとつ言葉を出せないままだった。その意味はきっと伝わっていて、すまないともう一度だけ繰り返された。


 きちんと話をできないまま深夜になり、自室で寝ようとしていると、アルヴァが「僕の部屋においで」と誘ってくれた。

 担当教官の命令で同居しているお目付け役、魔法アウルのアウルアさんが「ワシはお邪魔かのぅ」とからかいながら、住み着いている作業室へと入っていく。だけど別にわたしたちは、やましいことをするわけじゃない。魔法使いは子を成すと決めた時以外、性的な接触を持たないものなのだ。だからアルヴァのこれは「魔力を繋げ合って眠ろう」という誘いでしかない。魔法使いにとって最大の愛情表現は、いわば精神の根を繋ぎ合うようなもので、本当に信頼し合っている人にしか許してはいけないこと。

 同じベッドに潜り込んで、抱き合って、ゆっくりと魔力を繋げ合う。互いの心を受け入れ合って、自分にとっての相手が「唯一の人」なのだと証明していく。魔力の色は心の色と同じだから、今のアルヴァがどんな気持ちなのか、なんとなくだけどわかってしまう。いつもと同じように優しくて、あたたかくて……だけど、不安で大きく揺らいでいた。

 なんだかもどかしくて、アルヴァの胸に頭を擦り付けて、子供のように甘えてみる。すると「謝りたいことがあるんだ」と、彼のか細い声が聞こえた。


「こんなことになるのなら、エルを縛り付けるべきではなかったね……すまない、エル。このまま僕が王政の駒になってしまえば、エルはひとりぼっちになってしまう……」


 それは、確かにそうなんだろう。わたしは十六歳になっても、縁談のひとつすら来たことがない。いつだってアルヴァがそばにいて、しかも「魔法使い」を志すわたしにとって、それはあまり重要なことではなかったけれど……本来ならば、貴族の家に生まれた娘としては、極めて屈辱的な状況だ。

 だけど、それはアルヴァが謝るようなことじゃない。わたしは母親が平民の出だし、辺境の地に住むせいで「田舎者」というレッテルを貼られているし……王城の舞踏会へ招かれた時だって、わたしの相手をしてくれるのはアルヴァだけだった。彼はわたしを守り続けてくれた存在であって、縛り付ける存在だったわけではないのだ。


「そんなの、アルヴァのせいじゃないわ。わたしが、あの世界に受け入れてもらえなかっただけ」

「違うんだ、エル。そうじゃないんだ」


 アルヴァはわたしを抱きしめる腕に力を込めて、僕が、と呟いた。


「僕が……大好きなエルを、他の誰にも渡したくなかった。だから僕は周囲の男どもに対して、エルへの想いを隠さなかった。王族の恋敵になるとわかっていて、あえて手を出すような貴族はいない……ここまで言えば、エルにもわかるだろう? 僕は身勝手な男なんだ、エルをひとりじめしたかったんだ。他の男になんか目もくれず、死ぬまで僕のことだけを、ずっと見ていてほしかったんだ……!」


 悲しみの色と共に、すまない、とアルヴァが繰り返した。

 それって、つまり。わたしにアルヴァしかいなかったのは、アルヴァがそうなるように仕向けていたということだ。

 驚きはしたけれど、不快ではなかった。だってどのみち、わたしは幼い頃からアルヴァしか見ていなかった。兄のようなアルヴァへ向けていた感情は、決して単純なものではなくて――自分の恋心に気が付かないまま、ずっとずっと、慕ってきた。アルヴァが自分で言うように、彼のしたことが身勝手な感情ゆえだとしても……その勝手さを、傲慢さを、どうしても嬉しく思ってしまう。きっとわたしは馬鹿なんだけど、どうせこの感情を隠すことはできない。互いの魔力を繋いでいる今、わたしの心はアルヴァに筒抜けだ。


「エル、どうして喜んでいるの……?」

「わたし、お馬鹿さんだから。だから嬉しいの。わたしをひとりじめにしてくれて、すごく嬉しいの……お願い、もっとわたしをアルヴァに縛り付けて。うんと小さな頃からずっと、わたしはアルヴァのものなんだから……」

「……自分の言っている意味が、わかっているのかい?」

「わかって、いる、つもり……」


 はしたないことを伝えている自覚は、ある。あまりにも恥ずかしくて、それなのに、その恥ずかしさも伝わっているのだと思えば、何故だか胸が高鳴って……自分の全てを知られてしまうことが心地よくて、もっと知って、という感情に支配されていく。

 アルヴァはわたしの耳元に口を寄せ、お利口さんだね、と甘い声を投げ入れてきた。思考が蕩けてしまったわたしの魔力は、どんな風にアルヴァへ伝わっているんだろう……そんなことを考えた瞬間、耳朶をかぷっと軽く齧られてしまった。


「ねぇ、エル。僕はずっと昔から、君の存在の全てを、僕だけのものにしてしまいたかったんだ……僕がまだ知らないエルのことも、全てだ。いいね?」


 わたしが頷くのを確認してから、アルヴァが唇を重ねてくる。そこから先へ進むことは、見習い魔法使いにとっての禁忌タブーだから、本当ならこれ以上のことはできないけれど――今のわたしたちは、胸の奥にくすぶる不安を、残さず消し飛ばしてしまいたかった。

 だから、越えてはいけない一線を、二人で踏み越えることにした。

 たとえこの先に何があろうと、決して後悔などしない。魔法使いになれなくなったとしても、今のわたしの全てをかけて、この人の想いに応えてあげたい。

 だって、わたしは、アルヴァのことを愛しているから。

 この人が望むことならば、どんなことでもしてあげたいから。

 わたしたちは強く強く、繋げ合った魔力と同じくらい強く、互いの身体を抱きしめ合った。それはまるで、相手を自分に縛り付けようとしているみたいだった。

 死ぬまで離さない、とアルヴァが吠えるように言った。その声は、野生の獣みたいだった。


 気だるくも幸せな朝が来て、ベッドの中のわたしたちは顔を見合わせて、笑い合って、それからひとつの決断をした。

 それは、わたしたちの関係を、公にしてしまうことだ。

 兄妹同然の幼馴染という前提が崩れれば、もう二人では暮らせなくなるかもしれない。禁忌を破ったことが伝われば、養成所も何らかの処分を下すだろう。そもそも婚姻前に性的な関係を持ったことは、貴族社会において、死ぬまで白い目で見られ続けるような話だ。わたしは王家に疎まれる存在となるだろうし、実家へ迷惑をかけるのも間違いない。それでも、今のわたしたちには、これしか手段が残されていない。こんな話が公になれば間違いなく今回は破談になるし、お互いに二度と縁談なんて来なくなる。もしもその後、引き離されてしまうんだったら、二人でどこか遠くに逃げてしまおう――そこまでを誓い合ってから、わたしたちはようやくベッドから抜け出した。

 アルヴァはこれから登城して、王様への謁見を試みると言った。事前の約束もなく同行者を連れて行くことはできないので、わたしは家でお留守番だ。

 せめて心だけは繋がっていようと、互いに「魔力の糸」を繋げ合うことにした。相手が今どこにいるのか、どんな種類の感情を持っているのか――魔力を通して得られる情報のすべてが、遠くにいても伝わるようにする魔法だ。アルヴァは既にわたしへ「糸」を付けているから、今度はわたしの方からアルヴァへ魔法をかけていく。

 抱き合って魔力を繋げ合い、アルヴァの魔力へと意識を集中する。彼の魔力の流れを辿って、最奥を目指して潜り込んでいく。互いに全てを受け入れ合っているから、わたしの意識はスムーズに、アルヴァの奥深くまで入り込み――ひときわ強く輝く魔力のかたまりを見つけたところで、そっと「糸」を絡ませていく。まるで「拒む意思など存在しない」という証のように、わたしの「糸」とアルヴァの「塊」は、あっと言う間に同化していった。

 繋いだ糸が安定したのを確認すると、アルヴァは机の引き出しから眼鏡めがねをひとつ取り出して、わたしの手のひらにそっと乗せた。


「これは魔力の糸を伝って、相手の状況が見えるようにする魔法具なんだよ。今日はエルがこれを使って、僕の言動を見届けて欲しい」


 銀製のフレームには魔力を増幅する紋様が施されていて、非常に高価な魔法具だと一目でわかる。こんなものを急に用意できるわけがないから、きっと、アルヴァはわたしにこれを使っていたんだ……そんなにも、わたしの全てを知りたかったんだ。どうしよう、嬉しい。そんなの絶対おかしいって、頭ではちゃんとわかってるのに。

 わたしの心に気付いたアルヴァが、怒らないのかい、と困惑の色を浮かべた。


「軽蔑するどころか喜んでるって、いったいどういうことなんだい?」

「わ、わたし、アルヴァになら、何を知られても嬉しいから……」

「……僕も結構、自分の感情が重い自覚はあるんだけど、エルには勝てない気がしてきたよ」


 呆れたように笑ったアルヴァは、だけどよかった、と深く息を吐いた。



 正午を知らせる王城の鐘がなる頃、アルヴァは無事に登城を果たし、王様へのお目通りが叶っていた。並の貴族程度ならば決してありえない対応に、彼はやはり「王の孫」なのだなあと、身分の差を感じてしまう。

 おそらく「謁見の間」らしき広間。周囲は人払いをされている様子で、王様とアルヴァは二人きりだった。心配で眼鏡の中の光景を見つめるわたしに、アウルアさんが何かを言っている気配を感じたけれど、わたしの意識のほとんどはアルヴァのところにあった。


「アルヴァーンよ、急用とは何か?」


 厳しい口調で、王様が問う。ひどく緊張しているのか、アルヴァはなかなか口火を切れずにいる。しばらく黙っていたアルヴァへ、王様は「縁談のことだろう」と水を向けてくれた。


「……はい、王様。僕、いえ、わたくしには心に決めた人が――」

「わかっておるよ、相手がファリアッソの孫娘ということもな。魔力の糸を繋いでおるな、どこかで儂等を見ておるのだろう? 王家の魔法具を勝手に持ち出しおって」

「それは……!」


 魔力の糸を繋いでいることどころか、眼鏡を使っていることまでがバレている。無断で王家の財物を持ち出し、それを使って王城の中心部に魔力干渉をしている現行犯だ。慌てて「糸」を外そうとしたわたしの耳に、そのままにせよ、と王様の声が届いた。


「エルーナ・ファリアッソよ、聞いておるのならば丁度良い。誤解無きよう伝えておくが、儂はお前たちの仲に反対などしておらぬよ。あの縁談はオーレリアンがひとりで騒いでおるだけでな」

「……は?」

「どうせ、はした金でも貰っておるのだよ。儂が止めても良かったんだが、お前たちがどのように行動するか、悪いがファリアッソと賭けをしておってな。儂の予想通り、我が孫はこうして王に文句を言いに来た。明らかに儂の勝ちであるな」


 王様が嬉しそうに目を細めた。アルヴァは怒りで震えているのか、非常にピリピリとした感情を抱えたまま、しばらく黙って俯いていたけれど……どうにか顔を上げた時には耳まで真っ赤になっていて、ふざけるな、と悪態を吐いた。王様を相手に。一瞬肝が冷えたけど、王様はカラカラと笑い飛ばした。


「笑いごとではありません!! 孫の人生を賭けに使うだなんて、王様は何を考えておられるのですか!!」

「良いではないか。どうせ断るのはわかっておったし、その手順をどうするかを予想し合っておっただけの話だからな」

「わたくしが断らなければ、いったいどうするおつもりだったのですか!?」

「いいや、お前は必ず断るとわかっていたよ。エルーナへの尋常ならぬ執着を、儂等が把握しておらぬとでも?」


 そう言われれば、把握していないはずはない。他の貴族がわたしへ縁談を申し込めなくなるほどに、アルヴァの好意は有名なものとなっていたのだから。気付いていなかったのはわたしだけ……完全に何も言えなくなったアルヴァを見て、王様はますますご満悦といった表情だ。


「いや、はは、お前は実に王族らしくない子だな。危なっかしくて見ておれん、儂もせいぜいお前を守るとしよう。まぁ、魔法使いは天職であろうよ。ほどほど自由に生きていけばいい。どうせお前が王位に就くことなどないのだ。無駄な野心を抱かぬのならば、あとは好きにするが良いよ」


 笑みを浮かべたままの王様とは裏腹に、アルヴァが表情を曇らせた。そう、わたしたちはもう魔法使いにはなれない。婚姻関係を結んだ後ならまだしも、まだ婚約すらしていない身で禁忌を破るなんて、普通ならば決してありえないことだ……養成所が何の処罰もしないとは思えない、きっとわたしたちは退学になる。

 アルヴァはひどく緊張した面持ちで、そのことですが、と辛そうな声を出した。


「王様……申し訳ございません。わたくしは昨夜、見習い魔法使いの禁忌を破りました。なのでもう、魔法使いにはなれないのです」

「そうか。それならばその記憶は、墓場まで持って行くが良い。儂は何も聞いてはおらぬ、そういうことにしておいてやろう」

「ですが!」

「お前がもし、王族の一員として模範を示したいというのなら、なおのこと一切を黙っておれ。いいか、お前はもう子供ではないのだ。正直に罪を告白して偉いねぇ、などとは誰も思ってくれぬぞ?」


 たしなめるように言葉を選んでいく王様へ、アルヴァは明らかに反発を覚えていた。しかし反論することはできず、ただ唇をかみしめて、荒れ気味の魔力を制御するように肩を震わせている。


「アルヴァーンよ、正直が美徳とは限らぬのだ。大切なものを守るためならば、どこまでも狡猾になって良いのだよ」

「それは……さすが、王となる方のお言葉だとは、思います」

「素直には飲み込めぬか、では問おう。お前にとって何より大切なのは、エルーナの幸福を守ることではないのか? お前の言うように事実を明るみにして、その幸福は守られるのか?」


 その言葉が放たれた途端、アルヴァは目を見開いて王様を見つめ、そうだ、と小さく呟いた。


「そうだ……そう、僕は。僕はただ、エルに幸せでいて欲しかった。おじいさまの言うとおりだ……」


 相手が王であるということも忘れてしまったように、まるで平民の祖父と孫であるかのように、アルヴァの口からは素直な言葉が漏れていく。その一方で、アルヴァの魔力に何かが干渉している気配があった。おそらく王様が何か魔法を使ったのだ。王族は普通の魔法使いとは違う術式を操るから、まだ一介の見習いでしかないわたしには、それを正確に解析することなどできない。

 だけど、それでも少しだけ、わたしにもわかることがあった。

 干渉してくる魔力が、とても慈愛に満ちたものであるということ。そしておそらく、思考に直接干渉しているわけではないということ。

 おそらく王様は、強力な魔力と特殊な術式をもって、アルヴァの「本音」を吐き出させているのだ。


「アルヴァ。お前は誰よりも、何よりも、エルの幸せを望んでおるのだな」

「うん……だから、僕が、いつでもそばにいなくちゃって……思ったんだ……」

「知っておるよ。そして儂もファリアッソも、孫たちの幸福を夢見ておる。お前たちが共に歩んでくれれば、儂等にとってこれ以上の希望はないのだよ。どうだろう、今はただ、自分たちの穏やかな幸福を守ってはくれぬか?」

「それが……エルの幸せ……?」

「そうだとも。そもそもな、秘め事はやたらと言い触らすものではないよ。おそらく縁談を確実に破談にするため、己が罪を告白したのであろうが――そんな小細工を弄する前に、はじめから儂を頼れば良かったのだよ。いいかいアルヴァ、これからはそうしなさい。良いかな?」

「わかりました、おじいさま……」


 幼子のような言葉を呟くアルヴァへ、王様は優しい眼差しを向け、そしてパチンと指を鳴らした。顔つきが普段通りに戻ったアルヴァの口からは、王様、と焦りの混ざった声が出た。王様が魔法を解いたのだ。魔力に干渉していた優しい感触もさらりと消えてしまい、そしてアルヴァは完全に正気に戻っていた。


「王様、わ、わたくしに何をなさったのです……?」

「お前が素直になる魔法を少々な。さて、今日はこれで帰るがよい。オーレリアンやアシェンタ家には、儂から話をしておくこととしよう」


 その王様の申し出に、アルヴァは明るい笑みを見せた。だけどそれはほんの一瞬で、すぐに険しい顔へと戻ってしまう。


「本当に、頼ってもよろしいのですか?」

「そう言うておろうが。儂はお前の『おじいさま』であるぞ?」

「おじい……た、戯れはおやめください!!」

「ははははは、まあ、また近いうちに来るが良い。今は養成所も休暇であろう、今度はエルーナも連れて遊びに……ああ、こっそり拝借した物は、早目に返した方が良いぞ?」


 最後に眼鏡のことを指摘され、アルヴァが気まずそうに頭を下げて、それを見た王様はたいへん愉快そうに笑って――まるでわたしの視線に気付いているかのように、こちらに向けてウインクをした。


 眼鏡を外して意識を室内に向けると、真正面の机の上に、アウルアさんが陣取っていた。わたしの意識がしっかりと覚醒しないうちから、人間の言語とフクロウ語が混ざり合った状態で、何かをまくし立てている。


「ホホーウ、ホッホウ! お、おぬしは! 何というものを使っておるのじゃ! ホーウ!」

「え、あ、この眼鏡……ですか?」

「そうじゃそうじゃ! こいつをどこで手に入れおった!? これは王城の宝物庫にしか存在せぬはずの――あ、まさか!?」

「ええ、アルヴァの持ち物なんです……たったいま王様に叱られてしまったので、近いうちに返却することになるはずです」


 あやつ盗みおったのか、とアウルアさんが両翼で頭を抱えた。もしかしてこれ、養成所に報告されちゃうんだろうか……やっぱりこれって犯罪? 窃盗? それとも王城の宝物庫だから、もっと重罪になる感じ? 焦るわたしを見ていたアウルアさんは、少し落ち着けと言いながら飛びあがり、わたしの頭を軽く蹴飛ばした。


「痛い! ひどいです!」

「おぬしが余計なことばかり考えよるからじゃ」

「だ、だってアルヴァ、罪に問われちゃうんですか? まさか退学!?」

「そりゃ普通の学生ならば、ただでは済まぬよ。だがアルヴァの場合は王の孫であるしな、いわば家の中のことじゃろう? 王城の方で不問にするのならば、さすがにワシも黙っておくわい……というか、こんなもの恐ろしくて報告できぬわ。下手をすればハースの首が飛びかねんのじゃよ、おぬしは事の重大さがわかっておるのか?」

「そ、そうですよね……な、なんか、ごめんなさい」


 担当教官の心配をするアウルアさんに、わたしは謝ることしかできなかった。しかしアウルアさんは机の上の眼鏡を見つめて、ホッホゥ、とフクロウ語で鳴いた。


「しかし美しいのぅ、見事な術式じゃ……二度と拝む機会などなかろうし、ちょっとだけ、じっくり見せて貰っても……よかろうか……?」


 さすがのアウルアさんもよほど気になるのか、眼鏡をひたすらに見つめている。その様子があまりに可愛くて、いいんじゃないですか、とわたしは無責任に言った。


「わたしなんかこれを使って王城の内部に魔力干渉しましたし、しかも王様にバレましたし、それに比べれば全然平気じゃないですか?」

「おぬし……黙っておれば良いものを、そうペラペラと……」

「あっ」


 さっきの王様の言葉を思い出し、なんとも言えない気持ちになる。確かに「正直が美徳とは限らない」けれど、わたしみたいなタイプはそもそも黙っていられないのだ。自分の思慮のなさが酷すぎて、さすがに落ち込んでしまう。


「うぅ……わたしのお馬鹿さん加減、どうにかする魔法とかありませんか……」


 わたしが泣き言を口にしたところで、アルヴァが王城から帰ってきた。彼は帰宅に使った「転移魔法の指輪」を戸棚にしまうと、笑顔で私の頭を撫でた。


「アウルアさん、エルは何があったんです?」

「何もかもを素直に喋る自分に落ち込んでおるのじゃよ」

「あぁ……成程……」


 うっすらと何が起こったのかを察したらしいアルヴァは、大丈夫だよと言いながら、わたしの額にキスをした。その様子を見たアウルアさんが、ワシはお邪魔じゃのぅ、と言いながら急いで作業室へと飛び去って行く。その勢いがおかしくて、アルヴァもわたしも声をあげて笑った。


「……エルはね、そのままでいいんだよ。嘘やずるさが必要な時は、全て僕が引き受けてあげる」


 アルヴァの言葉は優しくて、いつだってわたしを受け止めてくれる。だけど、わたしだって、いつまでもアルヴァに守られてばかりではいたくない。

 わたしもアルヴァを守りたいから。

 ひとりの魔法使いとして、対等な存在になりたいから。


「じゃあ、アルヴァが辛い時は、わたしが守ってあげるからね!」

「エルが?」

「そうよ、任せてくれる?」


 アルヴァは少し考えてから、お願いするよと微笑んだ。


「じゃあ、眼鏡を返しに行く時は、一緒に付いて来てくれるかな?」

「もちろんよ!」

「ありがとう、助かるよ……実は、少しだけ怖かったんだよね」


 弱音を晒して笑うアルヴァは、完全無欠の王子様なんかじゃない。だけどそれで良いのだと思う。弱いところがあるのは当たり前だし、互いに支え合っていけばいいのだ――そう、わたしたちはこれからずっと、同じ時間を生きていくのだから。

 机の上の眼鏡を手に取り、王様の愛に溢れた導きを思う。

 わたしはそっと、心の奥で感謝を述べた。


(了)

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