ビリビリビート 番外掌編

海の字

第1話 一般介護士目線

 踊りだしたくなるくらい、とびきりなアイデアを思いついたんだ!

 世界中にはびこる社会問題を、まとめてぶっとばすほどとびきりの。

 たとえば地球温暖化、食料問題、経済不振なんかを。


 いつ以来だろう、未来にワクワクしたのは。


 水底のおぼろ気な発想はボン!

 浮力が増す。

 みるみるうちに。


 夢、広がる!


 開拓に伴う生態系の破壊、種の絶滅。

 貴重資源を巡る政治的な干渉、果ての戦争。

 世界的マクロな問題から。


 日本の抱える懸念。

 要介護者を若年層が看るヤングケアラー問題。あるいは逆、老々介護。

 過酷な長時間労働。ひいては留学生や技能実習生ら外国人の酷使。

 人材不足は廃業を誘い、後継者不足は伝統を駆逐する。

 大小ありふれる社会問題を総じて。


 あぁすごい……。


 この方法なら、『地球を救う』ことだって可能だ。


 かつ、何よりも重大であり、可及的速やかに解決しなければいけない事案。

『三十七才で彼女もできたことのない僕』

 という、超個人的な悩みすら。

 たった一つのファンタジでもって──。


「ウメさんの清拭、お願いできますか?」

「あ、わかりました」


 同僚に声をかけられ、はっとする。すこしぼーっとしすぎた。


 働かせてもらっているのはここ、特別養護老人ホーム。介護度が高い高齢者のための施設だ。


 清掃の行き届いたピカピカなフロアで、ぐっと伸びをする。やる気のスイッチを入れる。

 次の業務は──。


 四肢の拘縮などが理由で、自分で洗身できない利用者のため。僕たち介護職員がお伺いして、お体を清める。

 一言に清拭といっても利用者の安楽には欠かせない、大切な業務のひとつ。

 道具をカートに詰め。ウメさんの居室、ドアをノック。


「はぁい」


 か細い返事をうけ、訪室。ベッド上のウメさんは今起きたとばかりに、身体をのっそりと起してくれた。


 表情は笑顔。穏やかな時の流れの中にあって、小さな幸せにも満足できる素敵な人だ。

 挨拶と、清拭の説明、了承を得たのち。僕はウメさんのお背中を蒸しタオルで拭っていく。


「肩はてんでいうこときかんし。最近腰が痛くてかなんのう~。あいてて」

 歴史を感じる背は細く。一世紀ものの肌を傷つけてしまわぬよう慎重に撫でていく。


「でも、車椅子があれば自走できるじゃないですか。本当にすごいことです」

「ひひ。棺桶へ、自分で入れるくらいしか取り柄もないが。わしゃこうみえて、昔はとびきりめんこかったんやで」

 また始まったぞと笑む。ウメさん恒例の昔話、戦前はそうとうおモテになられたらしい。


「もどりたいもんやのう~」

「僕も見てみたいです」


 いつもの言葉に、いつもの返事。安らかなひとときをうけ、ふと思い出す。

 先のアイデアがあれば、ウメさんの望みだって叶えられるんじゃないかと。 

 僕の抱いたアイデアこそ──。


『全地球を、若返らせる』

 ことなのだから。


 たとえばの話、人類が十七才に若返ったらどうなる?

 少子高齢化なんて即解決。産めよ増やせよの時代にあったシルバ世代の精力が、大ベビーブームを呼ぶだろう。


 働き手と知恵者が一気に増えることで、科学技術は飛躍的に隆盛し。

 しわくちゃな顔色を窺わなくてすむようになった政治家たちは、高度経済成長時の活力を取り戻すかもしれない。

 人類はもれなく躍進をとげる。


 たとえばの話、地球が全盛に若返ったらどうなる?

 恐竜の王朝、ジュラ紀や白亜紀からなる中生代か。現地球の原生、哺乳類大国新生代か。はたまた、カンブリア爆発ののち、超大陸パンゲアの誕生すら成った古生代か。

 豊かな海、失われた土壌、大自然が帰ってくる。

 温暖化は解決し。潤沢な資源調達も可能となり。瀕死の生態系は息吹く。


『若返り』という、たった一つのファンタジが。


 地球を救い、ウメさんを救い、ついでに僕も救ってくれる。

 

 おっと。

 いけないいけない。

 空想世界に入りかけていた。

 仕事に集中しろ。

 と、ウメさんへ視線を戻した。

 

 すると──。

 

 一瞬のことだった。ピカリと、世界が光り輝いたように見えたんだ。

「は?」


 目を疑った。次に正気を。

 先まであったはずの、樹木のような背が。


「ぴちぴちのころはの~、それはそれは──」

 キメ細かな、麗しやかな。


「めんこかったんやから」

 美しいくびれに転じていた。


「は?」

「ほれ、ちょうど、あんな感じに」


 ウメさんの指さすほう、反射的に視線を向ける。

 立て鏡に切り取られた二人の姿は──。

 さぞおモテになるだろう美女と、見覚えある青年に、様変わっていた。


 ──ビリビリ。鼓動。


「ねぇ!? みんなが──」

 慌てふためいて入ってきた、《少女の同僚》の目には、何が映っただろう。

 美女の裸体に手を伸ばす男──。


「こ、こんの軟派モンがぁ!」

 頬に強烈な一撃。

 白光する視界の中で。

 僕はようやく今の現状を知れた。


「え、まじ?」

 僕たちは。

 人類は。


 ──若返ったみたいだ。


 80号室にいらした、よわい百をこえる、『八尾やんま』氏がその日姿をけした。

 部屋には『世話になった』という書き置きだけが残されていた。

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