第2話 食事と睡眠ができてりゃ、あとはなんとかなるから
中学校卒業が迫った冬の日、3年生が体育館に集まり先生から激励とお祝いの言葉を貰う機会がありました。
ほかの先生になにを言われたか全く覚えていませんが、いつもどこか抜けていて、適当で、それでいて優しくて大概笑っていた保健体育の先生から言われたことは毎日のように思い出します。正直に言って、彼は教師というよりかは先輩といった感覚の先生で、教室よりかはバイト先にいそうな感じで、威厳がある教育者というよりかは、君たちが行きたい場所に一緒に手を繋いで歩いていこうねといった感じの先生でした。授業も適当で、どことなくお調子者で、なんか適当に肩の力を抜いて生きてきたんだなあという感覚がいたるところにある先生でした。その先生を見ると、自分とは全く対照的で、あらゆることを真面目に考えすぎた結果、自分の肩にいつの間にか乗っているものの大きさを考えてしまうのです。
「食べられなくなることと、眠れなくなること。この2つは、見逃してはいけない不調のサイン。これらが現れたら、過小評価せずに適切にしっかりと休んだほうがいい。逆にどんなに落ち込んでいても、この2つがしっかりとできていたら、きっとすぐに心も晴れてくる。だから心配しなくていい。」
残念ながら、私の人生の中で、食事がとれなくなることや、食事をとってもあまり美味しいと思えなかったことはたくさんありました。落ち込んで眠れなくなること、逆に神経が高ぶってしまって眠れなくなることもありました。そんなときにいつも思い出すのがこの先生の言葉です。
あの先生は、あんなに適当に見えて、あんなに力を抜いているように見えて、それでも何年も覚えているような的確なアドバイスをくれた。そのことを思うと、実はみんな暗く狭い自分だけの部屋のベッドの中で、もがき苦しみながら悩んでいるんだなあと思うのです。自分のいのちを失うことを恐れず、果敢に世界を救い、愛するひとたちの生活を守ろうとするヒーローが映画の中にはいますよね、そんな彼が寝るときはきっと泣きながら悩み苦しんでいるだろうなあ、と思うのです。もちろん、ヒーローの夜の姿は映画には映されません。そんなプライバシーに踏み込む権利は誰にもないし、映画としても面白くないからです。
そうやって考えてみると、いくらお友達であっても、いくら家族であっても、悩みや苦しみを知ることはできないという限界に気づきます。自殺したひとたちの遺族は、みんな口を揃えて「なんで悩んでいたことを話してくれなかったの」と思うそうですが、実際に他人が抱えている苦しみを可視化する手段もないですし、想像することしか私たちには残されていませんが、その想像だって彼らが私達に話してくれることに大いに依存していると思うのです。
この言葉は、自分たちだけではなく、そんな悩んでいる誰かの様子を想像するためのひとつの手段になるのではないかと思うのです。
ことばの森を歩く ほのか @hono_ryugaku
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