一緒に生きよう、「」。

@ShironakaYuu

第1章 ネコ

 天気予報がはずれたせいで、雨宿りをする羽目になった。早く家に帰らないと、せっかく買ってきた花がしおれてしまう。

 「はあ......早く帰って、明日の準備をしたいのに。」

 毎日残業続きで、最近の睡眠時間は、わずか3時間。この生活が、もう5年も続いている。さすがに辛い。少しでも早く眠りにつきたい。けれど、今日も、早く寝ることはできない。花はなんとか買えたけれど、線香やライターは、まだ準備できていない。手桶やひしゃくも洗えていない。明日は、午前6時には出かけないと集合時間に間に合わないから、今夜やりしきるしかない。

 「......なんで、興味のない仕事のために、こんなに頑張ってるんだろう。」


 重たい体を無理矢理起こす。結局、なかなか雨がやまなかったせいで、帰ってきたら、午後11時30分だった。そして、なんとか準備をし終えたのが、午前1時。それから、風呂や食事、明日の服を整えて、ベッドに入ったのが午前4時。1時間くらいしか眠れなかった。

 「それでも行くしかない。」

 正直、会いたい人は誰一人としていないが、それでも、行かなければならない。1年に1回だけの、大切な時間だから。


 「あらあら、すごく顔色が悪いわよ、みちちゃん。大丈夫?ちゃんと眠れてる?」 

 「...ご心配ありがとうございます。お気になさらないでください。」

 「そう?あんまり、無理しちゃ駄目よ。若いからって。」

 もう若くない。確かに、さきおばあさまから見たら、私は若いのかもしれない。しかし、私はもう27歳だ。この年齢で、恋人ナシ&結婚願望ナシは、世間にとって、「女としてオワッテル」らしい。全く腑に落ちないけれど。

 「みちさーん、手桶に水を入れてくるので、ちょっと貸してくれませんかー?」

 「ああ、もしよかったら、私が入れてくるよ。」

 「えー、いいんですか!?実は、重たいから嫌だなぁと思ってたんです!ありがとうございます!!」

 そうだ。世間でいう、女の「若い」は、せいぜい20歳くらいだろう。少なくとも、アラサーはもう若くない。ピチピチの20歳である桜庭(さくらば)かれんを遠い目で見ながら、水を汲みに行くことにした。

 本音を言うと、墓参りは独りで行きたい。墓の前で、じっくりと2人で話したい。まあ、墓に故人は眠っていない、というけれど。

 「みちさんもかわいそうね。未だ独身なんて。」

 「仕方がないだろう、純くんに先立たれたんだから。」

 「でも、1年前よ?純くんが事故に遭ったのって。」

 「そうか、もう、1年か...。それなら、切り替えなぎゃいかん頃だろうなぁ。女の子の適齢期も、そろそろ終わりじゃろ。」

 「そうよそうよ。そろそろ、切り替えてくれないと心配だわ。あの子は、娘みたいなものだから。」

 「まあ、もう少しで、本当に娘になるところだったからなぁ。」

 瞬(しゅん)おじさま、香奈恵(かなえ)おばさま、もしよければ、花を供えさせていただけませんでしょうか」

 「あっ、みちちゃん...どうぞ。」

 「ありがとうございます」

 無事に水をくみ終え、事前に準備していた花を花立てに供える。毎年、ピンク色のガーベラを供えるのは、純の1番好きな花だからだ。まあ、あまり、お墓用としてはこのましくないかもしれないが。

 1年前の今日、純は、交通事故で死んだ。どうやら、純の信号無視が原因の事故だったらしい。「らしい」というのは、あくまでも目撃者の情報だからだ。正直、今だに、純の「バカ」がつくほど真面目な性格と、「信号無視」という事実が、あまりにも乖離しており、到底信じられない。おまけに、1週間後に迫る結婚式や、将来、自身の夢を叶えられることを願っていた純が、そんなおろかなことをするとは思えない。だからこそ、安置所へ向かう最中、これは夢なんだろう、と何度も願った。安置所に着いて、遺体を見ると、自分の知っている純の姿ではなかったから、なんだ、別人のご遺体ではないか、と傍にいた警察官に言おうとした。でも、安置所のすぐ外側にある町内放送のスピーカーから、純が亡くなったことを知らせるアナウンスが流れたとき、これは現実なのだと思い知った。その後、どうやって帰ったのかは、全く思い出せない。


 純の墓はとても遠い。山の中にあるため、家から最寄り駅まで2時間電車に乗り、そこから30分程度歩いて、やっと墓に到着する。帰りも同じくらいの時間がかかるため、今から帰路につくと、家に着くのは、おそらく午後4時頃になる。

 「純...。」 

 電車に乗りながら思い出す。顔の輪郭も、体型も、匂いも、温かさも、もうあやふやになっている。唯一覚えているのは、純の瞳が、いつもキラキラと輝いていたことだ。

 夢を持った人間や心が綺麗な人間が持つ瞳は、とても綺麗だ。ただ、10年も一緒隣にい続けた純は、もういない。そんなことは、嫌でもわかっている。女の適齢期。女としてオワッテル。女だからって、そんな風に言われる筋合いはない。ない、と思いたい。

 電車を降りて、改札を抜ける。雲1つない晴天だ。晴天すぎて嫌になる。駅から家まで徒歩7分。マンションの見た目はそこまで良くないけれど、歩いて7分なら、好条件な物件だろう。

 「に......」

 「?」

 1階にある自分の部屋に向かっていると、廊下のずっと先で、何かの鳴き声が聞こえた。

 「にゃ........」

 「......猫…?」

 丁度、自分の部屋の前で、猫が倒れていた。綺麗な黒い毛。切り込みのような傷のある、少し痛々しい耳。少し身体を触ると、その小ねこは、おもむろにこちらを見上げてきた。蛍光灯の光を反射して、ほんの少しだけ輝きを放つ大きな瞳に、すっと心を奪われる。だけど、奪われている場合ではない。どう考えても、この猫は弱っている。おそらく、ここしばらく、満足にご飯を食べられていないのだろう。

 「...とりあえず、保護すべきだよね。」

 こうして、ひょんな出逢いから、私は猫と暮らすことになった。






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