第7話 師弟

「つまりな,あのお嬢さんは神に愛されし悪魔の落とし子なんだ。」

 

その言葉が頭の中でぐるぐると巡る。いかにも闇市あたりの物好きどもが好きそうな響きだった。


(相反する神と悪魔の名を同時に冠するなんて。)


その小さな体で,どんな悲惨な人生を送ってきたのだろうか。


 確かに,出会った時のアイシャは異常だった。体のあちこちにある傷の上には泥がへばりつき,ひび割れるほどに乾燥していた。枝でこすっただけでは到底つかないような深さの傷もあった。なぜあの森で一人さまよっていたのだろうか。


(どんな気持ちで――)


 思わずてのひらに爪を立てると,右手から赤い雫がぽたりと流れ落ちた。だがそれには構わず,じっと拳をにらみつけていると,ギルド長がまた話し始めた。


「まあそういうこった。いったん落ち着け。」


なだめるような声だった。


「くよくよ悩んでても仕方がない。こういう時はできることから片付けていくべきだ。取り合えず現状整理だが,竜人族と悪魔の落とし子以外に,あのお嬢さんにおかしな点はあるか。」


そう言われて,先ほどの口頭でのやり取りについて聞かれているのだと察した。緋倭斗は苦々しい顔になる。


「おそらく最低でも3か国語は話せるでしょう。先程しゃべっていた共通語と聖王国語,あとまだ確認はしていませんが,母国だと言っていた東天人帝国の言語もしゃべれると思います。聖王国語はかなり片言でしたが,意思疎通ができる程度には話せます。」


自分で言っておきながら,設定がてんこ盛り過ぎるだろうと思った。ギルド長も同じことを思ったのか,少しうつむいて頭をぼりぼりと掻いて言った。


「まあそこらへんはおいおい本人に確認しよう。もしかするとどこかの物好きに芸を仕込まれたという可能性もある。ああいうやからの中には希少性が高いほど良いとか考えているやつもいるからな。」


そう言ってギルド長は本日何度目かのため息を吐いた。想定していなかったその可能性に,緋倭斗は眉間にしわが寄るのを感じた。


「それで,ほかにはあるか。」


そう言われて考えるが,それ以外には指摘すべき点は見当たらなかった。いいえと言って首を横に振ると,ギルド長は少し考えこんでから,思わずといった様子で呟いた。


「そういえばあのお嬢さんは隻角か?」


「いえ,左側にも角はありますよ。小さくて見えにくいですが。それが何か?」


そう言うと,ギルド長は,いや,何でもないと首を振った。変なことを聞くものだといぶかしく思う。左右で角の大きさが異なるのは珍しいが、だから何だというのだろうか。黙り込んでしまったギルド長に不服を示すように片眉を上げたが,ギルド長はそれ以上話そうとはしなかった。




     ***




 この部屋で待機するようにと案内された部屋は,先ほどと同じような内装の部屋だった。部屋まで案内してくれた男の人は,ここで待っているようにとだけ告げると、部屋の外へ出ていった。


 アイシャはキョロキョロとあたりを見渡して,座れるところがソファしかないことに気が付くと,肩を落としてソファに近づいた。5人以上も座れそうなその大きなソファに腰を下ろすと,深く深く沈みこむ。その感触に場違いなところに来てしまったようないたたまれなさを感じた。


 じっとそのまま待っていると,カチ,コチ,という置時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる。隣で何を話しているのか,内容が気になってそわそわした。


 先程ギルド長だと紹介された男の人は,とても寛容そうな人だった。漆黒の髪と赤い瞳を見た時も、驚きこそすれ嫌悪感を露わにすることはなく,それよりもむしろ角と尻尾に驚いているようだった。目じりや口元には小じわが目立っており、齢40~50歳程度に見えた。


(40, 50歳の冒険者だった人なら竜人族の存在も知っているだろうなぁ。なら嘘じゃないって思ってくれるかな。)


そう思って,そんな浅ましいことを考える自分に寒気が走った。それでも思考を止められなかった。


 おそらく今,隣の部屋では今後のアイシャの扱いについて話し合われている。預け先の候補としては,孤児院,ギルド,協会,貴族,王宮あたりだろう。黒髪赤眼の扱いにくさを考えると,前者2つはあり得ない。おそらく後者3つのどれかだろうが,どれになったとしても逃げるという選択しかありえなかった。何せ,アイシャは竜人族ではなく魔族だった。


 ヒイトやギルド長はアイシャの角と尻尾を見て獣人だと疑わなかった。魔族には角はあっても尻尾はないからだ。だがアイシャは稀有な竜人族と魔族の混血だった。父はれっきとした高位の魔族で,生まれも東天人帝国ではなく魔国である。教会や貴族,王族に知られればまず間違いなく殺されるだろう。


(あぁ,ヒイトさんが拾ってくれないかな……)


 そう思って,その恐ろしさにブルリと身震いした。そんなこと一瞬でも考えてはいけなかったと自分を戒める。それは最もあってはならない選択肢だった。きっと一緒に暮らし始めれば,ヒイトはアイシャを愛してくれるだろう。そして,アイシャはヒイトを愛してしまうだろう。そうなれば,嫉妬深い悪魔の魔の手は、今度はヒイトを殺すだろう。


 その光景を想像して,全身がゾワリと総毛だった。体がガタガタと震えだし,思わず自分自身を抱きしめた。息がだんだんとうまく吸い込めなくなってきて,手足がしびれて動かなくなる。それに比例するように,人の恐怖を掻き立てる,沢山の悲鳴と叫び声が聞こえてきた。だんだんと視界が闇に飲み込まれていき,思考は深く暗い泥沼に沈み込んでいった。




     ***




 私は悪魔の落とし子で,多くの人を殺した罪人だった。初めて殺したのは自分の大切な家族だった。


 ある日突然家に知らない男たちがやってきて,私を人族の領主様に差し出しなさいと言ってきた。父様は私を守るために殺されて,母様は兄弟の助命を嘆願しながら殺された。私たちをさらった人族の男は,私をかわいいと言いながら,私を愛していると言いながら,プレゼントだと言って兄様の亡骸を持ってきた。私が男を罵ると,今度は弟が殺されて,私が殺してくれと嘆願すると,末の妹が物言わぬ躯に成り果てた。いつの間にか私が何かをする度に,見ず知らずの子供たちが殺されるようになっていて,いつしかたくさんの子供たちの屍の上に,私一人だけが立っていた。


 そうして私が少しずつ壊れていったとき,憐れんだ一人の侍女が話しかけてきた。そのお姉さんは毎日私を励ますと,ある日温かな手で私の手を握り締めて『あなたはお逃げなさい』と言って裏口から逃がしてくれた。そうして私が逃げようとしたときに,館は劫火に包まれた。私を愛した狂人の男も,私が愛したお姉さんも,私の叔父さんに焼き殺された。


 叔父さんは私が生きていてよかったと泣きながら,私が愛したお姉さんをその手にかけた。泣き叫ぶ私をその館から連れ出すと,一緒に帰ろうと言ってきた。私はなんだか怖くなって,離して嫌だと泣いていたら,魔族が子供を誘拐していると勘違いした高潔な騎士が,私の叔父さんを切り殺した。


 みんなみんな死んでしまった。私を愛してしまったばっかりに。私が愛してしまったばっかりに。もう何が善で何が悪かもわからなかった。そうして何度も何度も同じことを繰り返し,たくさんの屍を築き上げて,ようやく私は理解したのだ。


 自分が死ねばよかったのだと。私こそが悪だったのだと。


 それでも生きることを諦められなかった。死がとてつもなく怖かった。生きることも辛いのに,死にたくないとわがまま言って,必死に生にしがみついて生きてきた。助けられた命だから,簡単に死んではいけないと,みんなの恩に報いるべきだと必死に言い訳こねて生きてきた。


 それでももう,疲れてきたのだ。


 毎晩みんなの悲鳴と憎悪が頭の中に木霊こだまする。母様の悲鳴が,父様の断末魔が,私が愛した人たちの憎悪の声が。


 もういいかと諦めかけた。


 やっぱり私は死ぬべきなんだと。


 生きていてはいけない存在だったのだと。



 ヒイトさんに出会ったのは,そんな時だった。




     ***




 気がつくと,そこはギルドの応接室の中だった。なぜだか息が苦しくて,喉の奥からヒューヒューと喉笛のような呼気が漏れていた。手足がしびれて動かない。誰かがゆっくりと背中をさすってくれていた。その人は,大丈夫,大丈夫だ,としきりに言いながら,震える肩をぎゅっと抱きしめてくれていた。その陽だまりのようなてのひらに,優しい声に,思わず涙がこぼれ落ちそうになる。しばらくそうしていると,だんだんと呼吸が落ち着いてきた。




『少し落ち着いた?』


そう言ってヒイトはアイシャの顔を覗き込んだ。その瞳はほんのりと湿り気を帯び,心配とも悲しみとも哀れみともつかぬ色が浮かんでいた。アイシャがコクリと頷くと,


『じゃあ,一度宿に行こうか。』


そう言ってヒイトはおもむろに立ち上がり,手を差し出した。


 アイシャは弾かれたように顔を上げた。何かをこらえるように眉間にしわを寄せ,2度,3度と唇をわななかせる。そうじゃないというように,アイシャがフルフルと首を振ると,ヒイトは驚いたような顔をした。いま,今後についての話をしなければならない,とアイシャは思った。ヒイトはアイシャのために話を先延ばしにしようとしてくれている。本当は今ここで話をするつもりだったにも関わらず。その証拠に,見覚えのない丸められた紙を左手に持っていた。契約書か何かのようだった。


『話,が,したいです。』


絞り出すようにか細い声でそう言うと,ヒイトは悲しげに顔をゆがめ,そっとアイシャのそばに腰を落として落ち着いた声で言った。


『いいんだよ,急がなくて。話は明日でも明後日でも明々後日でもいい。今は体調を回復させる方が大事だ。』


そう言って,アイシャの小さな頭に手をのせた。アイシャはその優しさに,胃がキリキリと痛む気がして,おなかに手を置いた。これ以上,この人のそばにいるわけにはいかなかった。情が移ってしまう前に立ち去らなければならない。


 アイシャは少し目を伏せると,『今じゃないとダメなんです。』と言いながら,首を振った。伺うようにそっと見上げると,ヒイトは眉を八の字に寄せてこちらを見つめていたが,納得したように一つうなずいて


『そうだね。その方が気が楽かもしれないね。』


と言って,アイシャに目線を合わせるように座り込んだ。手をそっと握り締めて,意を決したような真剣な顔をして言う。


『さっき,ギルド長とアイシャの今後について話をしてたんだ。』


予想通りの言葉だった。心臓が徐々に早鐘を打つ。この先の言葉を聞きたくないと全身が叫びだしているようだった。


『俺はアイシャの黒い髪も赤い目も素敵だと思うけどね,世の中には,嫌がる人もいるんだ。いや,そういう人の方が多いかもしれない。だから,安心して君を預けられるところはそれほど多くないだろうって,さっきギルド長と話をしてた。』


そう言って,ヒイトは反応を伺うようにこちらを見ていた。アイシャが傷つくのではないかと恐れているようだった。


(そんな今更なことで傷ついたりしないのに。)


むしろ,かなりオブラートな言い方だった。もっと明け透けな言い方をされることもよくあった。だから,『はい,心得てます。』そう言うと,ヒイトは少し悲しげな顔をした。


 静寂が部屋全体を包み込む。


 少しして,ヒイトはおもむろにまたしゃべりだした。


『でもね。それはあくまで大人の事情だ。一番大事なのは,君がどうしたいかだと思ってる。』


そう言うと,ヒイトは人差し指を手に当てて,少し笑いながら『ギルド長には内緒だよ。』と,そう言った。


その言葉に,アイシャは驚きに目を見開いた。その拍子に,目からポロリとしずくが零れ落ちる。慌てて服の袖で涙を拭っていると,ヒイトは続けていった。


『君が孤児院で似たような境遇の子供たちと過ごしたいって言うなら,それができそうな孤児院を探してみるし,冒険者になりたいって言うのなら,冒険者としてのいろはを俺は君に教えてあげられる。』


『だからね,アイシャ。君はどうしたい?』


そう言って,ヒイトは緩やかに笑みを浮かべた。



その言葉に,その笑顔に,本音がこぼれ落ちそうになる。



(あなたについていきたい。)



喉まで出かかったその言葉を,ぐっとこらえて飲み込んだ。


頭で警鐘が鳴り響く。


決して言ってはいけないと,そんなことをすればお前はまた同じことを繰り返すと,直感がそう告げていた。


だからアイシャは言ったのだ。


一人で生きていきたいと。誰にも迷惑をかけずに一人で生きていけるようになりたいと。


そう言うと,ヒイトは少し泣きそうな顔になってから,無理に作ったような明るい調子でこう言った。


『じゃあさ,少しの間だけ俺の弟子になるのはどうだろう。一緒に旅する中で少しずつ独り立ちの仕方を覚えられるし,自衛の仕方だって教えられる。俺はこう見えても実は結構強いからね。悪いやつもやっつけられるよ。ね,どうだろうか。』


そう言って,おひさまのような笑顔で笑うのだ。



もう,ダメだった。


こらえきれなかった。


その温かな光に,手を伸ばさずにはいられなかった。


たとえそれが身を滅ぼすことになろうとも。どんな結果を招くとしても。


あなたのそばにいたかった。


あなたに愛してほしかった。



本当は助けてほしかった。



だから,つい,ボロリと本音が零れ落ちた。


『お願いします,師匠。』


そう言って,アイシャは身を削るように慟哭した。


悲しさも後悔も懺悔もすべてをつめこんだかのような悲痛な叫び声が,静かな部屋の中に響き渡っていた。



そんなアイシャを,ヒイトは泣き止むまで抱きしめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る