第28話
出会って三日も経たない頃から、感性豊かな人だとは思っていた。
歌いながら感じたことを愛を込めて語ったり、自身の思いを歌に乗せて歌ったり。
先日の一件で、幽霊の男子生徒が弾いた伴奏を聞いた時には「どう思っているかは、音に出るものだよ」とも言っていた。
そんな永海を見て、音から色んなものを感じ取っているのだろう、とは思っていたのだ。聞こえてくる音に人一倍心を動かされるから、曲が描き出す情景や、演奏者の心が想像出来るのだろう、と。
だが、今日の永海の姿を思い返してみれば。
どこか様子がおかしかった永海。心ここにあらずな様子は、練習室から聞こえてくる音に耳を
絃一郎には、それがまるで音によって盗難を知ったかのように思えて仕方ないのだ。
あの時、永海は犯人の音を聞き、そこに込められた「盗難してやったぞ」という思いを感じ取っていて――というように。
つまり、永海が音から感じ取っていたものは、感性や想像の話ではなく、本当に「心の声」だったのでは?
そこまで考えて、ふと思い出す。
冬休みのあの日、友達思いの幽霊がいた公園で、永海が言ってくれた言葉。
『僕の目では誰もいなかった。でも、君の目もそうだとは限らない』
そんな温かな言葉をかけてくれたのは、永海自身も「そうだとは限らない」からだったのでは?
絃一郎の目がそうであったように、永海の耳にも、他の誰にも聞こえないものが――「心の声」が聞こえているのでは?
そう思ったら、知りたくなってしまった。
永海は、絃一郎の目に幽霊が見えることを知っても、それを利用して千尋と会うために伴奏を始めたことを知っても、全て受け入れてくれた。全部知った上で、「伴奏者でいてほしい」と、愛してやまない音楽を一緒にやろうと言ってくれた。
ならば絃一郎も、永海のことが知りたい。そうして、全部知った上で、永海の伴奏がしたいと思ったのだ。
「……まぁ、流石に心の声までは聞こえないけど」
そう言いながら、小さな苦笑いを浮かべる永海。
「じゃ、じゃあやっぱり……」
「うん。僕の耳は、演奏してる人の心の内が、音色になって聞こえるんだ」
うなずいた永海が、こちらに向けた視線を逸らすことなく、淡々と言う。
そうして、永海は自分の耳について教えてくれた。
歌声でも楽器の音色でも、演奏を聞けば、その人の心の内も一緒に聞こえてしまう耳。それは、永海が生まれ持ったものだった。
心の内といっても、声として聞こえてくる訳ではない。感情が直接心に響いてくる感覚に近く、永海が言うには「ドラマとか映画とか見てると、共感して胸がギュッてする時あるでしょ。あれが強烈になった感じ」らしい。
盗難が起きる前、絃一郎が音楽棟へ駆けつけた時。
あの時、練習室から聞こえてくる音に耳を澄ませていた永海には、怒りや悔しさのあまり誰かを恨むような
絃一郎の考えは、当たらずも遠からずだったらしい。
「ちょっと前から、それこそ盗難が起きるようになった頃から、そういう音が聞こえてはいたんだよ。でもさ……あんまり気持ちの良いものじゃないでしょ?」
「それは、そうですね……」
絃一郎はゾワリと鳥肌が立つのを感じた。
音を聞いただけで、心の塞がるような感情が直接心に響いてくる、なんて。そんなの、勝手に感情を書き換えられるようなものではないか。想像しただけでもゾッとする。
「じゃあ、以前から音が聞こえてたってことは、永海先輩は盗難の犯人を――『物取り幽霊』の正体を知ってたんですか?」
「いいや。そこまでは知らなかった。あんな音、じっくり聞いてみようなんて思わなかったからね」
そこに込められた感情を思い出したのか、永海の眉間にギュッと皺が寄った。
「聞こうと思ったのは、寺方くんの箏爪が盗まれたからだよ」
「……」
言われて、絃一郎はグッと奥歯を噛む。
永海が箏爪を探すために動いてくれていることは分かっていた。だが、こんなにも身を挺してくれていたとは思わなかった。
話す永海の口調は落ち着いているものの、ひそめられた眉を見れば、いかに嫌な音にさらされていたのか察してしまう。
そこまでしてくれたのは、何より絃一郎のためなのだろう。そう思うと、申し訳なさで胸がいっぱいになる。
肩をすぼめる絃一郎を尻目に、永海は気にした様子も無く続ける。
「ちゃんと聞いてみて分かったよ。犯人は幽霊なんかじゃない。犯人は……生徒の誰かだ。だから、寺方くんが見た『物取り幽霊』は、その人の強い思いの残りものというか……まぁ、言ってしまえば、生き霊みたいなものだったんじゃないかな」
「生き霊……」
ぼんやりと返した絃一郎をピンとこなかったせいと思ったのか、永海が付け加えるように言う。
「うん。生きている人の魂が本人の体から抜け出して、無意識のうちに恨む相手を呪ってしまうってやつ。……呪いっていうと、ちょっと大袈裟だけどね」
だが、それも絃一郎の耳にはあまり入ってこなくて。
「あ、あの、永海先輩」
「うん?」
「すみませんでした。箏爪探すために、そこまでさせてしまって」
頭を下げた絃一郎に、永海が目をパチクリとさせた。
それから「あぁ」と納得した顔でうなずくと、否定するように小さく両手を振ってみせる。
「気にしないで、いつものことだから。そういう音を聞きすぎると気持ち悪くなってきて……最後には倒れちゃうんだよね。今日みたいに。だから、普段はなるべく聞かないように意識してるんだけど」
そこで絃一郎は、まさか、と思い至る。
「永海先輩が誰かと一緒に歌うことを嫌がってるのって、それが理由で?」
「そう」
永海が目を伏せ、膝の上で手を組む。
「……駄目なんだよ、どうしても。誰の声を聞いても、誰の音を聞いても、その人の思ってることが響いてくるんだ」
独唱を専門とする永海は、伴奏者と共に歌うことがほとんどだ。
すると、どんなに永海が自らの思いを歌に込めようとしても、心には容赦なく伴奏者の思っていることが響いてくる。
それが嫌な思いなら、永海も嫌な気持ちになって歌いたくなくなってしまう。
それが羨望や怒り、あるいは後悔のような強い思いだと、胸を殴られた心地がして涙が出る時もある。逃げ出したくなる時さえある。
「そうなると、もう、まともに歌なんか歌えない。僕はただ、歌っていたいだけなのに。誰かと一緒に歌いたいだけ……誰かに伴奏してもらって、一緒に一つの曲を演奏したいだけなのに……」
組んでいた手が解かれ、永海が背中を丸めながら両手で顔を覆った。深く息を吸う音がして、その背中が大きく膨らむ。
それから長く息を吐き、顔を上げた永海は、静かな
「……どうやら、音楽は僕を愛してくれなかったらしい」
その顔には柔らかな表情が浮かべられていたが、どこか寂しそうにも見える。
絃一郎はハッとした。
見覚えのある顔だった。
そうだ。いつか、愛を込めて『Caro mio ben』を歌っていた時に見た顔だ。
あの時、永海は言っていた。
『……そうだね。ぴったりかも』
そういうことだったのか。
『Caro mio ben』。ずっと永海と共に練習してきたこの曲は、好きな人からの愛を求める、切実な願いを歌っている。
永海もまた、願っていたのだ。誰かと歌いたい、一つの曲を演奏したい――音楽に愛されたい、と。
だから永海は、この曲を「ぴったり」だと言ったのだ。
ずっと胸の奥底にあった疑問の真相を知り、絃一郎は思わず手で口を覆ってしまう。
だが同時に、唇を震わせるほどの不安が込み上げてきた。
「そ、そんな……それじゃあ、俺の伴奏も……?」
最後まで言い切ることも出来ないまま、恐る恐る尋ねる。
すると、どういう訳か、永海の顔がパッと明るくなった。ニンマリと満足そうに上がった口角。キラキラと輝く目。そんな声楽オバケの顔をした永海が、こちらに身を乗り出してくる。
あ、あれ。伴奏者の思いが聞こえてくるせいで、歌えなくなってしまうという話だったのでは。
そう思っていたら。
「寺方くんの音、聞こえないんだよね」
永海が声を弾ませながら言った。
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