水晶令嬢物語~妖精王子との平凡な日々を希う~

莉冬

プロローグ&第1話

プロローグ


 《君、アデリナっていうの?僕たちと遊ぶ?》


 成長と共に様々な遠い記憶が薄れていく日々の中で、不思議な事にあの出会いだけは昨日の事のように鮮明に思い出せる。

 裏庭での出会いから濃くも瞬く間に過ぎた月日ーーー


 「ここに永遠の愛を誓いますか?」


 斎服を纏った神官の問い掛けに、揃いの白い婚礼用衣装姿の男女が顔を見合わせる。その瞳はこの上なく幸せそうな色を湛えてゆっくりと神官に向きなおした。


 「「はい、誓います」」


 新緑の香りと快晴の空の下、家族や使用人達に門出を見守られる中で新郎新婦の声が重なる。


 思いがけない出会いは、多くの欲望を持つ人々や出来事をいくつも引き連れて来ては心に波を立て続けた。今後も予測だにしない大きな波が来ないと断言出来る者など居ないだろう。

 それでも、今日この瞬間を迎えられた今となってはーーー。


 純白のドレスに身を包む花嫁は幼き日を思い返すように唇に笑みを浮かべ、そっと目を閉じた。



 ◇ ◇ ◇ ◇



 1 始まりの日とお散歩日和




 エクターム王宮大広間 精霊祭祝祭の初日ーー


 名匠と呼ばれる職人達によって手掛けられた、無色透明のクリスタルガラスと赤い涙の形をした宝石にそれを繋ぐ金細工で彩られた巨大なシャンデリア。

 遠目にはわからないが一つ一つ微妙にデザインの異なるそれらのシャンデリアが幾つも下がるこの大広間は、数ある王宮所有建造物の中でも屈指の絢爛さと一番の大きさを誇る特別な施設である。

 そのシャンデリアの下では国内高位貴族達が、この日の為ふんだんに着飾った姿で男女対になり並び、フロアより高い場所から集まった臣下達を見下ろす形で豪奢な椅子に腰掛けている国王の次の挙動を逃さぬよう見つめていた。

 序列順の挨拶が終わった現在、本日の正午から三日後の夜に渡り続く宴の始まりの言葉を今か今かと待つ貴族達の耳に、国の頂点たる王が椅子から立ち上がり物音ひとつしない広間の隅々まで響く力強い声で高らかに告げる。


 「敬愛する精霊様への感謝と真心を捧げる素晴らしきこの日、精霊祭の宴の始まりをここに宣言する!」


 言い終えると、控えていた側使えがグラスを乗せた金のトレイを差し出し、慣習通り王がそれを手に取り軽く掲げるのを合図として宮廷楽団の雅やかな演奏がゆったりと流れ始めた。緊張感を伴う静寂からの美しい旋律への移行に人々の肩の力は少しだけ抜け、その顔には次々に笑顔が浮かんでいく。

 王宮から差程離れていない貴族街の通りや広場も、リボンや花々等で祭り仕様に装飾されており、どこからか風に乗って運ばれてきた色とりどりの紙吹雪も空高く舞い、レンガで舗装された道を煌びやかな馬車が普段より多く行き交う。

 歩道の彼方此方では春を祝うに相応しい、明るく華やかな装いの貴族らしき老若男女が従者を従えて思い思いに闊歩している。

 そんな宝石箱をひっくり返したかのように、キラキラとした王都の中心から馬車で約六日はかかる距離、この国の最南端にある所謂辺境と呼ばれる広い土地を有するルラント子爵家領地にある子爵邸の同時刻はというとーー。



 ◇ ◇ ◇ ◇



 王都と比べると少しだけ強めに感じる太陽の光、それを浴び何処までも続いている芝生の庭は、思わず深く呼吸したくなる心地良い草の香りが漂っていた。

 その上に敷かれた厚手の布に寝転びジタバタしているのは、装飾の殆どない遊び着のワンピース姿で過ごす、この家の一人娘アデリナ・ルラント四歳。

 邪魔にならないよう簡易的なポンパドール風に上げられた前髪はこれまた邪魔にならない小さな飾りピンで留められている。そのむき出しのおでこやプニプニの頬、そして幼子特有の繊細な細い髪の毛へと爽やかな風が絡み過ぎていくと……。


 「うふふふ」「きゃはは」


 ーーとアデリナが無邪気に笑い出だした。彼女が一度笑ってしまうと、それに応えるかのように再び風が吹き、その肌を掠め撫でるという不思議な光景が少し前から幾度となく繰り返されていた。

 しかし、彼女専属の侍女見習いの少女メルと本日の護衛担当の騎士は十五メートル程離れた距離で遠巻きから見守っていたからか、はたまた別の何かのせいか…。


 (何故だろう?強弱はあるものの、あの一帯だけ風がずっと吹き続けて止む気配がないわ。それにお嬢様の居る辺りから発生しているように感じるのは気のせい?危険はなさそうだけど、お風邪など召されないかしら……)


 程度の認識しか出来ていない。何故こんな状態なのかというと遡ること一時間。

 この邸宅の当主ルラント子爵のひとり娘でニヶ月前に四歳の誕生日を迎えたアデリナの体力づくりと、気晴らし等々を兼ねた【アデリナの散歩】と呼ばれる、主に広大な庭園の一部を歩く散歩がきっかけだった。


 誕生日の当日から護衛騎士を伴っての邸宅敷地のひとり歩きが解禁された小さな令嬢と、同じ日に『半年後から正式にアデリナの専属侍女になってもらう』との言葉を当主夫妻から貰った、十四歳の侍女見習いのメル。

 夏の終わりに卒業を控えてはいるが現在学生のメルが朝から出勤しているのは週三日で、その他の日は授業を終え午後からの勤務というのもあり、自ずと朝から出勤している日に限定して散歩に付き添う事が決まって、メルが不在の時は乳母であるベルタがその役目をする。

 範囲は雨天は屋敷内、それ以外は裏庭だけという言葉だけを聞くと、範囲も狭く護衛騎士が伴うのも大袈裟にも思えるだろう。その上散歩ルートである庭の要所要所は、警備用魔道具で守られている安全に特化されたものでもある。

 しかし実際【裏庭】と一言で表現していても、温室等の建物を含む手入れの行き届いた範囲を【裏庭】と呼んでいるだけで、更に続く奥には人の手の一切入っていない深い森や湖、その先には頂きに雪が積もって見える程に高い岩山がそびえ立っている。

 それらを含めた全てが子爵邸の敷地なので、予期せぬ野生動物の侵入による怪我や思わぬ事故、長らく国内外で発生している未解決事件に巻き込まれぬよう大切に見守られているのだ。


 散歩は前週に受けた散歩報告や普段の親子の交流よって、感じ取れるアデリナの体調と好奇心の方向や、日々変わる成長の変化を加味し子爵夫人によって決められる。

 距離も最初の一ヶ月は短い時間を邸宅周辺を歩き過ごす程度だったが、二ヶ月が経過した現在は邸宅から大人の足で五分強アデリナの足だと何倍も掛かりはするが、もちろん手入れが施されている裏庭の中程の距離へと範囲を広げるまでなった。


 そもそも【本日のお散歩コース】と命名された場所を巡るのだが、子爵本邸近くだと窓から夫人の執務室や他の作業をしている多くの使用人の視界に入りやすいよう上手く考えられており、本邸から離れた場所への散歩が中心の日は庭師達の目に留まるよう工夫がされていた。


 侍女は当然にしても仮にも使用人もいる自宅敷地内。実際は邸宅内も護衛騎士を伴うことがある時点で相当な過保護に見えるが、ルラント家ではなくとも幼い子供に対する息の詰まるような厳重な護衛は十年近く前からこの国や周辺国の王公貴族では常識になっている光景だったりもする。


 心の成長と体力の向上目的以外にも、勤務中の使用人達の目に触れ時に交流することで目の前の働き手の大まかな仕事内容や、邸内で仕えてくれる者への労いの心や興味が自然と身につくようにとの願いも薄っすらだが込められていた。

 これに関してはアデリナが次期当主になる可能性があるからだが、そんな様々な意味を持つ【お散歩コース】本日の最終目的地は、本邸から四歳児ではそれなりにかかる裏庭の中程の木。

 大きく枝葉を広げる巨木の下に到着すると、侍女(仮)のメルは護衛騎士の男性から幾つかの荷を受け取り準備に取り掛かる。

 いつもと同じ様に敷き布を広げ、昼食に響かない程度のおやつと飲み物が入ったバスケットや小さめのクッションを二つ並べながら、何と無しにアデリナの様子を窺おうと振り返ったタイミングで一陣の強烈な風が吹き抜けた。

 思わず顔を顰め目を閉じてしまったメルだったが、慌てて目を開きアデリナの方へ視線を戻すと、かなりの突風だったのに反し護衛騎士の側で何事もなかったかのように佇むアデリナの姿には、府不思議と髪の毛以外大きな衣類の乱れも見当たらず、先程と変わらず晴れた空を見上げ明るい表情のままでいる。

 ホッとしたメルは止まっていた作業の手を先程より少し早め、一通りの準備を素早く済ませると小さな主に向かい合う形でしゃがみ乱れた髪を整えながら話しかけた。


 「アデリナお嬢様、お飲み物はリンゴとオレンジどちらになさいますか?」

 「………」


 いつもは上機嫌な笑みで即答するアデリナからの応答はない。


 「…アデリナお嬢様?」

 「……」


 アデリナは身体の向きこそメルに向いているが、その顔は無言でメルの後方上の空を仰いでいる。


 (鳥か虫でもいるのかしら?)


 そう思いながらメルも同じ方向に顔だけを向けるが、気持ち良く晴れた春の空と新緑の枝葉が広がるだけだ。

 小首を傾げながらアデリナに向き直ると、再び先程とよく似た強めの風がビュービュー二度三度と吹きつけ、そこに居る者たちの髪の毛や身に纏う物、細かい芝生の破片、丁寧にセッティングしたばかりの敷き布の端を捲りあげてバタバタと大きな音を立て煽っていく。

 大人でも立っているのが困難で倒れないよう思わず身を低くくしてしまう程で、強風が過ぎるのをひたすら耐えながら風からアデリナを守ろうと抱き締めるメル、更に二人の少女と荷物が飛ばされないよう必死に押さえていた護衛は気付くことはなかったが、強風の中でも目を開いたまま、何も無いと思われる空の一点を見つめるアデリナの目がいっそう大きく見開き、まるでプレゼントの箱を開け素敵な何かを見つけた時のように、この上なく嬉しそうな無邪気な顔で微笑み深くコクリと頷いていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る