第7話 帚木4 方違え(下)

 「曇らせキャラ?」

 「この話初めて聞いたの?

 有名よ、藤式部の曇らせ好き。」

 「他にももっと凄いのあるけど、ネタバレになるからね。」

 「でも、いきなりここに来たね。」

 「女をじわじわと曇らせて行く展開、これは癖になるな。」

 「誰?」

 「もしかして、左大臣みちなが。」

 「光る源氏のモデル説、草萌ゆる。」


 藤式部

 「はい、それでは方違いの続き。」



 鶏が鳴きました。


 みんな起きてきて、

 「マジ、すっかり寝込んじゃったな。」

 「車の用意をしろ。」

などと声がします。


 紀伊の守ツナカネも出てきて、

 「方違えで来た女連中には、夜も明けぬうちに急いで帰ってもらいなさい。」

などと言います。


 源氏の君ミツアキラは、またこのようなついでにここを訪れることもありそうにもないし、わざわざ行くのもいかなるものか、理由もないのに手紙を送ったりするわけにもいかないし、と思うと胸が締め付けられるようです。


 奥からあの中将の君も出てきて、どうにも心の痛みに耐えかねない様子で女を迎えに来たので、一度は女の退出を許したもののまた引き留めて、あえて何もなかったかのように中将の君に聞こえるように言いました。


 「何と言えばいいのか。

 いまだかつてないようなあなたの冷たい仕打ちや、悲しみを深く刻み込んだ一夜の思い出は、お互いにまったく思いもよらなかったことだった。」

と言って涙までこぼす様子は、何かを仕切に仄めかそうとしているようでもありました。


 鶏が盛んに鳴き立てて、心もあわただしく、


 「つれなさの恨みも尽きず夜も白み

     とりもなおさず目を覚ますのか」


 キギコは自分の立場を思っては、どうにもなすすべもなく目も背けたい気分で、源氏の君のなかなかのうまい嘘をついてくれたことも何の感慨もなく、いつもは糞真面目で嫌な感じなのでバカにしていた伊予の介カネミチのことが気がかりで、夢に出てくるのではないかと空恐ろしくて気が咎めるのでした。


 「身を嘆けば飽きることなく明ける夜は

     とりかさなるように声あげて泣く」


 すっかり明るくなったので、源氏の君はキギコを障子口まで送って行きました。


 部屋の内も外も人の声が騒がしいので、障子を閉めて別れることほど心細いこともなく、まるで関所のようでした。


 直衣のうしを着て部屋を出ると、寝殿の南側の階段の欄干のところに佇み、しばしその女の出て行くのを眺めてました。


 西側のひさしの間の格子の所にざわざわと人が集っては格子を引き上げ、覗いてます。


 簀子すのこの中ほどに立てられた小型の衝立ついたての上にほのかに見える源氏の君の姿を、好奇の目でしみじみと見つめているのでしょう。


 有明の月の光も薄くなり、辺りの景色がはっきりと見えて、なかなかいい感じの明け方です。


 何でもない空の景色も、見る人によっては美しくもなれば荒涼としたものにもなるものです。


 源氏の君の人の知らない心中は、それこそ胸が張り裂けるようで、手紙を託すような縁者もなく、何度も後ろを振り返ってはこの屋敷を退出なされました。


 左大臣イエカネの家に戻っても、すっかり目が冴えてしまって眠れません。


 もう一度会う方法も思いつかず、ましてあの女が心の中で思っていることを、どんなだろうかと切なくて狂いそうな気持ちで妄想をめぐらしてました。


 「たいした女ではないのだけど、安心してお世話を任せられそうな中品の女なのかな。

 やっぱ隅々まで知り尽くした人の言うことは本当だな。」

左馬の頭トモナリの言ってたことを思い出しては一人で納得してました。


   *


 しばらくは左大臣イエカネの家にいて、外出はしませんでした。

 あれ以来音信不通で、あの人が何を思っているのか、あんな爺さんの女になっていることが気の毒で気になってしょうがなく、悩む気力もなくなるほど悩みに悩んで、ついには紀伊の守ツナカネを招待しました。


 「あの、今はなき中納言兼衛門のかみの子をこちらにくれないか?

 なかなか可愛らしいし、付き人にでもしようかと思う。

 御門にも私のほうから頼んでみようと思う。」

とおっしゃれば、

 「何とも勿体ないお言葉と存じます。

 姉にあたる人にも申し上げておきます。」

と言ったので、胸がズキュンとするような気分になったのですが、そこは抑えて、


 「そのお姉さんというのは、あなた様の弟に当たるお子さんをもうけてるのか?」

 「そんなことはありません。

 この二年ばかり、このような状態になってますが、今はなき衛門の督の意向に背いたと思い悩んでまして、その気にはならないのだとお聞きしております。」

 「気の毒なことだ。

 なかなかの美人だと聞いているぞ。

 本当なのか?」

と尋ねれば、

 「悪くはありませんよ。

 年が離れていて話も合わないので、世間でもよくあるとおり、ほとんど一緒になることはありませんが。」

という答が返ってきました。


   *


 さて、五、六日たってからその少年がやってきました。

 線の細い美少年というわけではないけど、そこはかとなく高貴な血筋が感じられます。


 迎え入れて、やけにぴたっと密着して話しかけたりします。

 そこは子供なので、すっかり喜んで嬉しそうです。

 もちろん姉さんのこともあれこれ詳しく聞きだします。


 だが、そういったことは適当な返事をして、恥ずかしそうに言葉を濁すので、なかなか本題を切り出すことができません。

 それでも何とか言い聞かせて手紙を持たせました。


 こういうことも多少はわかっている年頃ではあっても、まさかとは思って幼心に深く考えもせず手紙を持ち帰ったので、姉君キギコは恐怖の記憶が蘇り涙がこぼれ出てきました。

 弟が何て思うかと思うとみっともない所も見せられず、やっとのことで顔を隠すようにして手紙をひろげました。


 結構長い手紙で、



 《あの日見た夢よもう一度と思う間に

    め合わせもなく時は過ぎ行く


君のことを思わずに寝る夜もなければ‥。》



などという「目を合わす」と「妻合めあわせ」を掛けたご立派な歌や筆跡も、すっかり涙の霧に目が霞み、何とも不条理な自分の人生に思い悩み、寝込んでしまいました。


 次に弟君が源氏に召されたとき、行ってくるから持ってく返事はあるかと聞くから、

 「あんな手紙は読む人もいません、と言っておいて。」

と言えば、にっこり笑って、

 「人違いだなんて聞いてないよ。どうやってそう言えばいいの。」


と言うので、そんなことを頼むのも無理かと気が咎めるのですが、源氏の君がみんな喋っちゃったと思うと、ひどい仕打ちに堪えることができません。


 「ならば、大人の話はしない方がいいね。

 そうね、それなら、源氏の所へは行ってはいけません。」

と不機嫌に言い放ちました。


 「招かれてるのに、しょうがないよ。」

と言って、弟君は源氏の所へと出かけていきました。


 紀伊の守ツナカネはこの若い継母に興味があるのか、立派な振る舞いだと賞賛し、ご機嫌を取っては気を引こうとしては、そばに引き連れてお世話をしています。


 源氏の君は弟君を招いて、

 「昨日は一日中待ってたというのに、その気持ちをわかってくれなかったのか。」

と不満そうに言うので、弟君は顔をパッと赤くしました。


 「で、どうだ?」

と言われて、いろいろ説明するのですが、

 「言ってもしょうがないか。

 ったく使えねー。」

と言って、またも手紙を預けました。


 「君は知らないんだな。

 伊予の爺さんよりも俺の方が先に付き合ってたんだ。

 だけど、貧相で頼りないからなんて言って、でっぷりとした後見を選んで、こんなふうに俺のことをバカにしてるようなんだ。

 それでも、君は俺の弟でいてくれ。

 姉さんが頼りにしている人は、先行き短かそうだし。」

と適当なことを言えば、「そんな触れてはいけない過去があったのか」と思うのを源氏の君は「やったっ!」とひそかにほくそ笑みました。


 この弟君を従えて内裏にも連れて登ったりしました。

 御匣殿みくしげどのに頼んで装束なども調えさせました。

 まったく親代わりであるかのようでした。


 手紙はしょっちゅう託されてました。

 それでもキギコにしてみれば、弟はまだ子供で、他のことに気が散って、手紙を落としたりどこかでぽろっと喋っちゃったりしたら、すぐにでも噂になって叩かれかねない自分の立場を思うと、こんな所で遊ぶわけにもいきません。


 幸せもまず背丈に合ったものでなければと思うと、そうそう気軽に返事をするわけにもいきません。


 微かに思い出す源氏の匂いや容貌も、いつもの源氏の君らしくなかったと思えばわからないでもないけど、今の愛情あふれる様子を見たところで一体どうなることもないと思いなおすのでした。


 源氏の君は一時も休むことなく、切なく苦しくそれでも恋しく思うばかりでした。


 「今夜のことはなかったことにしてください」と言った時の思い悩む様子など思い出しては、気持ちを晴らす方法もないまま悶々日々を過ごすのでした。

 軽々しく、こっそりと隠れるようにして立ち寄るようなことをしても、人目の多い所では挙動不審に見られるし、あの人にも迷惑がかかると思い煩うのです。

 源氏の君は、例によって内裏で何日も過ごしながらも、同じような天一神が左大臣イエカネ邸や二条院の方角になる時を待ってました。


 あの時を真似て、急に方違えに気付いたふりをして、左大臣イエカネ邸へと向う道の途中から紀伊の守ツナカネの家に向かいました。

 弟君には昼のうちにこの計画のことを話し、約束しました。


 日頃から朝に夕にお供させ、すっかり手なずけたので、今夜も真っ先にお呼びになったのでした。


 キギコも今日の訪問のことを弟君を介して伝えられていて、さすがに急に来て騙そうとしないあたりはそんなに軽い気持ちで来るのではないとは思っても、だからといって歓迎して見苦しい様を見せるのも不愉快だし、悪い夢だと思ってこれまで過ごしてきた苦しみをまた味わうのかと思うと気も狂いそうで、だからといってこの機会に何とか説明するのも気がひけるとなれば、弟君が内裏へ行ってていないときに、


 「弟は源氏にあまりに親しくしすぎているので、はたから見ても心苦しい。

 気分がすぐれないので、密かに肩や腰などを叩いてもらいたいので、ちょっと離れた所を用意して。」

と言って、渡殿わたどの(南の釣殿に向う渡り廊下)に中将の君が建具で囲ってこしらえてくれた隠れ場所に移りました。


 源氏の君は例の女の所へ行こうとして、みんなを早く寝静まらせて、弟君に伝言を託すのですが、見つかりません。


 あちこち片っ端から調べて歩き、渡殿もくまなく探しやっとのことでたどり着きました。


 ひどい自己嫌悪に陥って情けないと思っているのか、

 「これじゃあ、とことん使えないやつだと思われちゃうよ」

と泣きそうな顔で言うので、

 「こんなまともでない言い付けに従っては駄目でしょ!

 まだ子供なのに大人の関係の仲立ちをさせようなんて、忌むべき上にも忌むべきことです。」

と叱りつけて、

 「『気分がすぐれないので、女房達を下がらせずに指圧などをさせてます』とでも

言っておいて。

 誰も怪しいなんて思わないはずよ。」

 と言い放って、心の中では、

 「まったく、こんな伊予の介カネミチなんてジジイの所に囲われている身分でなくて、死んだ親の面影の残ってる実家にいて思いがけない出会いを待っていたなら、大歓迎するところなのだが。

 こうやって無理にでも知らん顔して無視していると、いかにも身の程知らずと思われるだろうな。」


と思うと胸は痛み、さすがに心も乱れてきます。


 そして、

 「何がどうなろうとも、今は何を言ってもしょうがないこういう運命なんだから、そのうち頭の悪い食えない女だと思ってあきらめてくれるだろう。」

と結論付けました。


 源氏の君は、どうやって姉君キギコを説得してくれるのかと思ってはみるものの、弟君はまだ幼いので気が気でなくじっと寝転がって待っていたところ、うまくいかなかったということを聞いて、すっかりあきれて、思いもよらないような女の心のほどに、自分もその程度だったのかと恥ずかしく思い、困り果てた様子でした。


 しばらく何も言わず深くうめき声を上げて、すっかり嫌気が刺したようでした。


 「帚木ははきぎの心見えずに原っぱを

     ただ分けもなく迷うばかりだ


 わかってくれるとは思いませんが。」

と歌を贈りました。


 キギコもさすがに眠れなくて、


 「私など生まれ貧しく帚木ははきぎ

    名前も嫌で消えるだけです」


という返事でした。


 弟君はとても困ったように、目を爛々とさせてうろうろしているのを、人が見たら怪しいやつだと思うと、とても心配そうでした。


 例によって他の人たちは爆睡状態で、一箇所だけ源氏の君が起きていて、放心したように漫然と物思いに耽って、まして他にないようなあの女のキャラクターが未だに忘れようとしても浮かんでくるのが癪で、こういうところがまたいいのだと一方では思いながらも、馬鹿にされたようでむかついてくるので、なるようになれと思ってはみるもののそうも思い切れず、

 「その隠れている部屋に案内しろ」

と命じてみるものの、

 「閉じこもって外からの人を寄せ付けないようにしているし、中にはお付きの人がたくさんいて、近寄りがたいですよ。」

と答えるのですが、困ったことになったと思ってます。


 「そうか、だがおまえだけは俺を見捨てないでくれよ。」

と言っては、弟君の横に添い寝しました。


 若くて自分にべったりくっついてくる源氏の君がうれしくてしょうがない様子で、あのつれない女よりもかえって可愛いらしくお思いになりました。



 「きゃー、美少年も趣味なの?」

 「ヒカルの君は二刀流。」

 「二本の太刀。」

 「帚木ははきぎタイトル回収。」

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