別面:明日の話

 エルルリージェが、進化した。

 何か『勇者』になってたり、いきなり格好良くなってたり、確か父親である当主殿、いや今は先々代か。その当主殿とほとんど同じにしていた剣を手放していたり、そういうのが全部おまけにしか感じられないぐらい、少なくともボクにとっては衝撃の強い事だった。

 上手く喜べただろうか。笑えただろうか。息をするよりも自然に被り続けた明るくお気楽な笑顔は、ちゃんと出来ているだろうか。分からない。正直、自分が何を喋っているかも随分と遠い。


「(進化した。エルルリージェが)」


 ぐるぐると、頭の奥の方でその言葉がずっと回っている。だめだ。笑え。喜べ。だってこれは、嬉しい事だろう? これ以上ない慶事じゃないか。だったら嬉しく喜ぶ以外の感情なんていらない。浮かぶ訳がない。そうだろう。なぁ、アレクサーニャ・ダスク・ヴァイス?

 だから。笑え。喜べ。嬉しい事だろう。絶対に。過去一番ってぐらいには。



 それでも。

 ――子供の泣く声が、消えない。



 置いていかないでと泣いている。一緒にいてと叫んでいる。ボクの心の奥底の、しっかり隠して閉ざした扉の向こうで、誰にも届かない声で、力の限りにわめいている。

 あぁそうさ。隠したんだ。一番深くて暗い場所に、自分自身ですらその怯える子供の声に気付かないよう。だって格好悪いじゃないか。ボクは家族と違う色を持って生まれた。それはつまり、進化する(大人になる)条件が家族と違う、なんなら全然分からないって事なんだから。

 別に竜族(ボクら)にとってはそう珍しくもない。変異とかその時の状況とかで、どうしたっていくらかは「大人になれない子供」は生まれてくる。ボクもその1人だったってだけ。その中でも、ボクは特別恵まれている。だって家族にこれだけ愛され、家族を愛する事が出来たんだから。その家族よりずっと早い命の終わりがうっすらでも見えてきてしまうまで、こんなに元気に育つことが出来たんだから。

 それに。それにだ。ボクは、1人じゃなかった。同じように家族と違う色をもって生まれて、同じように命の終わりが早くて。先に生まれた分だけ少し早いだろうけど、同じように大人になれない幼馴染が、


「(……進化、した)」


 小さい子供の泣き声が消えない。どれだけ押さえ込んでも。皆が喜んでいる声が遠くて、その泣き声ばかりが近くて。近くにいる筈なのに絶望的な距離を感じる。温かな喜びに沸く仲間の輪が、とても遠い。

 分かってる。これはボクの声だ。自分の色が不思議でしょうがなくて。こっそり図書館でいっぱい本を読んで。そして「大人になれない」事を知った時の、未来がない事が怖くて怖くてしょうがなかった時のボクが泣いているんだ。

 だって。一緒だと思ってたんだ。1人じゃないから大丈夫だって、同じ子がいるなら怖くないって。無理やり思い込んで、怖い気持ちに蓋をして。固めて沈めて見ないようにして、楽しい事だけを考えるようにして。そうすればきっと、その時が来てもきっと怖くないって――



 ――――置いていかないで!!



 黙ってくれ。今は、喜ぶところなんだ。嬉しい場面なんだ。だってそうだろう。幼馴染が、ボクと同じく「大人になれない子供」だった筈の大事な幼馴染が、「大人になった」んだから。

 震えるな。この程度の寒さはもう平気になった筈じゃないか。笑え。喜べ。今は絶対にどうしたって嬉しい筈だろう!




「じゃあ、次はサーニャですね」




 ……………………へ?


「え?」

「何を他人事みたいな顔をしてるんですか。次はサーニャですよ」

「えーっと。ごめん姫さん。何の事か分かんないんだけど……」

「進化に決まってるじゃないですか」


 当たり前のように、こっちを見た。その銀色の目に、一切の迷いはない。本当に当たり前って顔で、何でもないような声で……ごめん、何て? うまく聞き取れなかった。


「白い夜がこうしてあったんですから、黒い昼もあるに決まってます。ていうかあります」

「えぇー?」

「なんですかその声は。そもそもサーニャは、直接霧竜族の人に話を聞いたじゃないですか」

「いやまぁ、それは確かに聞いたしびっくりしたけどね?」

「雲竜族の人から聞いた話がこうして真実だった以上、霧竜族の人から聞いた話も真実でしょう。だから次はサーニャですよ。流石にちょっと間は空くと思いますけど」


 何を。……姫さんは、何を言ってるんだろう。

 だってボクは、昼の竜なのに真っ黒で。だから進化するには黒い昼が必要なはずで。でも、どれだけ調べても、お爺様に話を聞いても、そんなものは話の欠片だって見つからなくて。だから、仕方ない、ん、だよね?

 白い筈の家系に、黒く生まれてしまったから。仕方ないんだよね? 「大人になれない」のも、時間が短いのも、未来を、明日を、家族や友達と迎えられないのは、どうしたって変えられなくて、曲げられなくて、仕方ない事で……。



 あれ?

 もしかして、違うの?



「んー、まぁのんびり待ってるよ。のんびりどころか、忙しくて忘れそうな気もするけど」

「忘れてたら首根っこひっつかんで連れて行くので大丈夫です」

「姫さんがそれやると、ボクは半分以上引きずられない?」

「じゃあ頑張って覚えててください」

「えー」


 姫さんはケロッとしてる。普通だ。すごく普通だ。カバーって人と喋ってる時とか、果樹園で採取してる時と同じ。おかしいな。さっきまで結構厳しい戦いをしてた筈なんだけど。これ、単に切り替えが早いって事でいいの? 何か違う気がする。

 でも、進化。ボクも、出来るの? あれだけ調べても、探しても、その方法や条件の欠片だって、全然、これっぽっちも分からなかったのに。あれ? そういう話だったよね? 自分が何を喋ったのかもほとんど覚えてないけど。

 え。出来るの? ボクも、進化が? いやうん。同じように全然分からなかったエルルリージェが進化できてるんだから、それならボクの進化の方法も分かってる、って事なの、かな? そういう話だった筈?


「(……いいの?)」


 早い終わりに怯えなくても。皆と同じ時間を歩いても。

 家族と。友達と。仲間と。幼馴染と。皆の輪の中に居ても。

 そのまま、明日がまだまだ続いていっても。何てことのない次の日を、思い描いても。


「(いいのかな)」


 分からない。だって、想像もつかない。黒い昼って、どんなものだろう。太陽が欠けたり、消えてしまったりする昼は知ってるけど、あれじゃなかったし。

 あぁでも、きっとそれは楽しいだろう。明日を疑う事が無ければ、ずっとずっと今日は楽しくなる。無理に目をそらすこともないなら、たぶん、ずっと怯えて泣いているこの小さな子供だって、笑える筈だ。何にも知らなかった、それよりずっと小さい時みたいに。


「(分からない。――けど)」


 うん。だから。もし、そんな明日をくれるのなら。

 姫さんの前に立ちふさがったり、足を掴んで引っ張るような奴は、全部ボクがぶっ飛ばすよ。

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