昔日:空白を黒墨で塗り潰した少年

 どうしてこうなった。

 ぐるぐるとその9文字が頭の中を回るが、だからと言って何が変わる訳でもない。何でもいいんだ。いや実際に何でもいい訳じゃないが、とにかく普通に思いつく範囲なら大体の場合は何でもいい筈だ。最初の説明を聞いた限り、余程でなければダメだとは言われないし、その余程の範疇に大抵の発想は収まる筈だ。

 周囲に、ちら、と目を向ける。自分以外の全員が既に滑らかに手を動かしている。中にはもう筆に持ち換えている奴もいた。焦りが募る。しかし、焦れば焦る程にこの手は動かなくなっていく気すらしてくる。


(どうしてこうなった)


 声に出す訳にはいかないから、心の中で呟く。どうしてこうなった。いや、そんな事を考えた所で答えが出る訳が無いんだが。だからそんな事を考えている間に、少しでも手を動かす為に、何か、何でもいいから思いつかないと。

 武の家に生まれたからとか、絵筆なんて持ったのはこれが初めてだからとか、色々言い訳が浮かんではそれらを即座に叩き潰していく。だから、そんな事を考えている場合じゃないっていうのに。


(――分かる訳ないじゃないか)


 最後にそんな言い訳を叩き潰して、一度目を閉じた。ここに至るまでの経緯を思い出す。いつもの、子供同士の手合わせだと聞いていた。実際集まった同年代の少年少女は木剣を携帯していたし、集まる場所もいつもの鍛錬場だ。

 ところが、そこに第3姫様が飛んで……【人化】を解いた状態で文字通り「飛んで」……きて、いきなり木の枠に白い布を張った物と、絵筆のセットを配り歩いた。何事かという声を上げたのは、多分ヴァイスの家の長兄だろう。あそこは「色違い」の妹を溺愛しているから、今日も事故を起こさないように監督するという名目でついて来ていた筈だ。

 それに対する第3姫様の答えは、堂々と、たった一言。


(よりによって。よりによって「今まで見た中で一番美しいと思った物を描きなさい」だなんて……)


 しかも、自分が護衛に連れ戻されるまでに完成させろという制限時間付きだ。あのお姫様、また勉学をサボって遊びに出て来たらしい。しかも用意周到に、こんな準備まで整えて。高い能力を持っているのは間違いないが、その使い方が全力で間違っている。

 さてこれがここまでの経緯だ。閉じていた目を開く。……苛立ちすら覚える程の真っ白。少なくとも、自分では好んで見ようとはとても思えない色。全く、好きに塗りつぶせたらどれ程良いか。

 どうせなら真逆の色が良かった。あっちの「色違い」が持つそれのように。自分以外の家族が持つ色のように。そうすれば、少し輝く色を散らすだけで、それは美しい「夜空」になるだろうに――。


(……。いや? それでいいのか?)


 ふと、そこまで考えて思いついた。

 逆の色がいいのであれば、もうそれでいいんじゃないか? この好ましくない色を、欲しくて仕方ない色で塗りつぶして、その上で飾ればいいんじゃないか? だって、少なくとも「それは美しい」と感じる訳だから、「お題」にも沿っている。

 閃いた瞬間に周囲の気配を、出来るだけの範囲を探る。ばたばたと「強い」と感じる気配が街の中を動き回っている。あれが恐らくタイムリミット……第3姫様の護衛だろう。流石皇族付きというべきか、もうだいぶその範囲は狭くなっている。


(っち、悩んでる時間はないか!)


 塗りつぶす、となればそれなりに時間がかかる。この分では間に合うかどうかギリギリといったところだろう。

 手を伸ばして配られた絵筆のセットから、その色を掴む。染料の入った瓶の蓋を開けて絵筆を突っ込み、そのまま端から端まで、全面に筆を動かしていった。




 白は嫌いだ。俺が普通じゃない証拠だから。

 黒が好きだ。それは家族である証明だから。

 明けない夜は無いというが、それはつまり沈まない日は無いって事で。

 陽が沈まなければ夜にはならず、日が沈む以上夜とは黒いもの以外にはあり得ない。


「……何でこんな色に生まれたんだ、俺は」


 だから、白い夜なんて、ある訳が無いじゃないか。

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