外斜視

@maybepeace

人生のひとつの節目を迎えようとしている歳になった。幼少期から何気ない生活を送るなかで、私は涙を流すことをいつからかしなくなっていた。相手がいようがいなかろうが、自分のことを弱いと思いたくないからという端的かつ幼稚な理由からなる。一見、気の強い風に思われても仕方がない。まあでも、もし私の涙で誰かの心を動かすことができていたとしたら、とっくに実力派の俳優にでもなっている。と、こんなふうに日頃から卑屈なことだけを考えている私はこれまで、あらゆる場面で涙とは無縁であった。部活動での最後の大会の日、卒業式の日、玉ねぎを切った日。ドキュメンタリー番組を見た時。涙を零した経験のある人は少なくないだろう。しかし私は、目の奥から込み上げる何かは感じられなかった。喜怒哀楽のどこか抜けているのではないか、と時には自分を疑った。

長く時間をともにした恋人に振られた日があった。その日のことは、友人に話を掘り起こされてふたたび私の記憶の中で蘇る。だから、何回も言ってるでしょ。私は振られたけど、それから涙一滴も出てこなかったって。逆に、振ってきた向こうが泣いてたってば。と、笑い話にできるくらいにはどうでも良くなっている。

しかし、最近の私といえばどうだろうか。生活は何一つ不自由ないのに、ひとりの夜に考え事をしては涙が出る。私が涙を零すメリットがないことは私自信、いちばん分かっているはずだ。今は友達にも恋人にも恵まれているように思えるし、最近犬を飼い始めたこと、大好きなバンドが新曲を出したこと、バイト先の店長におすすめされて探していたお菓子を見つけたことなど、生活のなかの些細な悦びを大切にできるほどには、精神は保たれている。しかしなぜか、その瞬間は不意に訪れる。


ああ、今日もこんな時間になってしまった。布団に入って、眠るまでの長い旅の支度をしなければ。横になり、毛布をかぶる。もう3月になるが、頬にわずかな寒さを感じながら目を閉じる。頭のなかはすでに、全て私の空想だけの世界が広がっている。頭のなかで造り上げられた世界で、私は訴える。でも、誰も私に手を差し伸べてはくれない。私が脳内で造り上げている虚像は、私を苦しめるだけの世界。

なんだか苦しくなったことに気づいて目を開け、1点を見つめる。徐々に、両目のピントが合わなくなっていく。目の先にある本棚の文字が二重になって見えてきた。途端、目の奥から涙がこみ上げてきて、視界がぼやけていく。私は、まばたきをする。粒になった涙が目から零れる。零れた涙は重力に逆らう素振りも見せず、枕に落ちていく。

枕は、重みを増していく。


翌朝、心做しか腫れた目を擦りながら、昨夜の虚像を拭うように欠伸をして、起き上がった。枕を触ると少し湿った感じがした。まだ少し眠たくて、両目のピントはなかなか合わなかった。

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