失われた記憶
今村広樹
本編
こんなことがあった。
ある日、自転車で遠出したぼくは、気がつくと家に帰っていた。でも帰る道筋の記憶がない。
いきなり、家族でごはんを食べている。
「あれ?」
「なに、どうかしたの?」
母がぼくの様子を見て怪訝に思って聞く。
「いや、いつのまにか飯食ってたからさ……」
話を聞いた母は笑いながら言う。
「何言ってるの、あんた普通に帰ってきたわよ」
そう言われてぼくは、こんな妄想をしてみた。
たとえば、記憶自体が自我を支える仕組みになっていたとしてだ。
最初の自我で時空間図が作られ、それぞれ時空存在が働くことで世界が形成される。けれどなにかのバグが発生して、なにかを取りこぼしたとする。本来稼働する世界の在り方が変わったところを想像してみてほしい。それは進化し、退化とも呼べる変化を繰り替えすことで、徐々に前にいた世界と地続きになっていく。記憶を文字化するだけ文化があればそんなバグも減るだろうけれど、その可能性もない未来を思うことは難しく、そううまく世界は調整されるようになっていると仮定したとしよう。
ぼくの場合、壁に書いた2次元の地図を懐中電灯で照らして隠し忘れた○○のようにだ。
それが妄想の果ての出来事だとしたら、ぼくはそうそうと家から近い住宅地の大通りを歩いていたことになる。しかしそれでは記憶がない説明がつかない。
そこでぼくは考えた。もしかすると、とうの昔に書かれていた時空間の地図。だけど消え行く世界に抗うかのように少しずつしか時間をさかのぼることのないそれもまた時空間といえる世界への変化は些細な切っ掛けで一気に移り変わり、予知することなど不可能なのかもしれないと思った。こうした理由の成り立たない思考がある限界に達したとき、ぼくは一番最後の予知が色恋沙汰へと及んでくれないことを無念に思う。
『この恋は実るだろうか』
『いや実らないだろう』
『いや、実る』
とまあ、そんな具合だ。あまりに予言としての確実性がない。「当たる」を願いにした恋だとしたら、人の言葉は意味を失うだろう。そう思う。ただ、さかのぼる時間感覚をもったあるひとが2度同じことを聞くと、世界はそうとう変わるんじゃないかとも思った。そこで似たような同音異義の言葉を使った時空間ができあがる。まず階段式の物語を仮定しておくことにする。それも段を重ねてきた同じ物語と仮定しておこう。そうでないと混同して生きることができない……。
と、ここまで脳内時間一分で思い描いたあとに、急に記憶が蘇ってしまった。
単に段差に足を引っ掛けて、頭からアスファルトに激突したことを。
「どうしたの、あんた?」
「い、いや」
ぼくは母の質問に冷や汗をかきながら、そう返した。
失われた記憶 今村広樹 @yono
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