あのくちばしは赤かった

@ihcikuYoK

あのくちばしは赤かった

***


「うーん……。そういうのよく聞くけど、私たちはなかったかなぁ」

 彼女には双子の姉がいる。ずっと頭の片隅にあった疑問が、口をついて出て、

「やっぱりそれぞれ使う色が決まってたりするの? 見分けのため~みたいな」

と、訊いたらこの返答である。


「もしかしたら赤ちゃんの頃はあったのかもしれないけど、私もミサちゃんも好みが似てたから、喧嘩になってやめたとかなのかも」

「チサちゃんも喧嘩とかするんだね?」

するよぉ、と対面のソファに腰かけ彼女は破顔一笑した。

「ずっと一緒にいたし今も仲はいいけど、そのぶん喧嘩するときはけっこう激しかったよー。ビンタしあってどっちもほっぺた真っ赤になったりとかして」

その優しい笑顔には似つかわしくない単語が出てきてびっくりした。


「、ビンタとかするんだ??」

「本当に小さい頃だよ? 3歳とかそのくらい。でも力でもなんでも私たちずっと同じくらいだったから、そんなことしてもほとんど決着つかなくて」

痛いだけだからもうやめようってなって、そのうち喧嘩もしなくなったの、と彼女は横に引っ付く犬を撫ぜながら紅茶のカップに口を付けた。

「なんか意外だね」

「そうかなぁ?」


 ほとんど喧嘩をしたことがないがない俺には、手が出るほどの争いだなんて聞くとちょっとビビってしまう。見た目こそデカくて強そうだと言われるが、その実、争いごとは大の苦手でなんなら口喧嘩も弱い方だ。

 父や祖父母は『気は優しくて力持ちっていうのは、きっとユウのことを言うんだろうな』と褒めてくれるが、母や姉には『優柔不断もそこそこにしないと危ないぞー』と、たまに言われる。

 自分でも自覚はあるので、気を付けたいところだ。


 卓上に用意されていたクッキーをつまむと、期待に満ちた目で別の犬がすかさず寄ってきて、尻尾を振りつつこちらを見つめた。ちょっと食べづらいなと思った瞬間に、チサちゃんが珍しく鋭い声を出した。

「こら飛雄馬、それは食べちゃいけないって知ってるでしょう。ユウくんにねだってもダメ」

お客さんが来るといつもこうなの、気にしないで食べてねと笑顔で促され、できるだけ早く犬の視界から消してやりたい一心で、一口で口の中に収めた。


 叱られた犬は見るからにシュンとし、諦めたのか大きな体を小さくして俯いた。

 なんだか自分が叱られた気分である。なぜだかわからないが、この犬には初対面の折からどこかシンパシーを感じているのだ。

 愛想の良い一匹で、遊びに来るとだいたい近くに座ってくれる。客好きな犬なのだそうで、初対面のときも頭を撫ぜるとすぐに腹を見せて転がってくれた。

 自分も人見知りをしない質で、わりと誰とでも仲良くなりたい方なので、余計親近感を覚えているのかもしれなかった。


 今回、長期休みに入り彼女と俺は一人暮らしをしている隣の県から、地元へと帰省してきた。

 彼女の日程に合わせ向こうに戻る予定なのだが、彼女は早々にお父さんから、

『ギリギリまでいたらどうだ。犬も喜んでいるし、ミサも来るかもしれないだろう』

と、なかなかの圧で言われたそうで、

『あんまり長くなるようなら連絡するね、先に戻ってもらってもいいから』

と、困ったような顔をして言われてしまった。


 俺としては別に、実家なら食事も出るしラクが出来てありがたいのだが、地元で遊ぶ予定なんてそんなに毎日はないし、確かに暇は暇であった。

 どうしようかなーと思っていたら、『せっかくだから遊びに来る?』と、久方ぶりに彼女の家にお呼ばれすることになったのだ。

 相変わらず大きな家で、何匹もいる大型洋犬も尻尾を振って迎えてくれた(ここにいる二匹を除いた残りの犬たちは、俺に挨拶をすますと義理は果たしたとばかりにどこかへ去ってしまった)。


「あ、でもね。私たちにはなかったけど、小次郎たちにはそれぞれ色が決まってるよ」

つけている首輪の色がそうだと彼女は言った。

「ご飯の器の色も、お散歩のリードの色もこの色なの。飛雄馬なら赤だね」

 自分の名が上がり、呼ばれたと思ったのか顔を上げ尻尾を振った。ボルゾイの逆サイドに寄っていき、チサちゃんの膝に頭を乗せた。

 彼女ももはや無意識なのか、話しながらもノールックで撫でまくっていた。


 面白いねと俺が述べると、悩ましげに首を捻った。

「でもね、犬ってそんなに色がわからないらしいから、気にしてるの私たちだけなのかも。ついた匂いとかで判断してるのかもしれないなーって思ってるのだけど」

 彼女の横で、今度は小次郎が尻尾を振った。なぜられ続ける飛雄馬が羨ましかったのかもしれない。

 このボルゾイはチサちゃんに一番懐いているそうで、家にいるときは傍から離れないのだそうだ。今回はしばらくぶりの帰省だったから、余計にベッタリみたい、と彼女は嬉しそうに言った。


 チサちゃん曰く、彼らにはそれぞれ好きな家族がおり、彼女の双子の姉を推していた犬・和也はチサちゃんの姉が出て行ったあとそれはそれは落ち込んで、周りが見ていられないほど悲壮感を漂わせていたそうである。

 和也は色素の薄い目をした大型犬で、勝手にクールな印象を持っていたので口から変な感嘆の声が出た。

『春にね、4年ぶりにミサちゃんがうちに帰ってきたの。

 そうしたらもう嬉しすぎたみたいで、尻尾を捻挫したの。振りすぎちゃって』

和也はそういうとこある、との可哀想&可愛いエピソードまで披露してくれた。


 暇なのか、飛雄馬が俺とチサちゃんの間を行ったり来たりしだした。

「動物はわりとなんでも好きだけど、犬もいいよねー。うちはずっと前に文鳥飼って以来、動物いなくてさー」

「そうなの? うちは犬以外飼ったことないなぁ。文鳥もきっと可愛いんだろうねー」

可愛かったよ、すごく懐いてくれて、と言いつつ懐かしさをかみしめた。


 小学生のころ、文鳥を二羽飼っていた。

 家族の肩を飛び回り、話しかけるみたいにピチチと囀るさまはなんとも愛らしかった。我が家はピー助とピヨ子に癒され、二羽を中心に回っていた。

 一羽めが亡くなったときすっかりお通夜状態になり、あとを追うようにしてすぐに二羽めも亡くなったあの時の衝撃は今も忘れられない。立て続けに訪れた別れに、立ち直る間もなくやってきた別れに俺たちは呆然とした。

 以来、動物を飼うのはやめることになった。満場一致で、あんな思いは二度としたくない、となったのだ。

 我が家の動物は、ピー助とピヨ子でおしまい。


「小鳥も素敵だけど犬も素敵だよ。特に大きい犬は、強くて格好いいし優しいし」

「チサちゃんて大きい犬好きだよね」

 デートでペットショップを通りがかっても、骨太で将来大きくなりそうな犬ばかりを眺め、『この子ぜったい大きくなるよー』と目を輝かせるのだった。

「もちろん、小さい犬も好きだよ?

 でもうちは子供のころからうちは大型犬ばっかりだったから、どうしても目が行っちゃうっていうのかな」

うちの子たちが子犬だったころのこと思い出してグッときちゃうの、と力強く述べた。


 わかるなぁー、と思う。

 俺も、今でも文鳥を見かけるとキュンとする。語りかけるような、二羽のあの優しい囀りを思い出す。あれがもう二度と聴けないのだと思うと、いまでも新鮮に驚き、そして悲しくなる。

 だが当時と違い、その悲しさからは新鮮さが徐々に薄れていた。羽数枚分のふわっとした白いヴェールに包まれて、なんとなく楽しく過ごしたころのことしか、いまは思い出せなくなっていた。


 ボルゾイと目が合い、ふと思った。なんだか不思議な心地がした。

「そっか。このワンコたちにも子犬の頃があったんだもんね? 想像つかないなー」

「? もうね、すーっごく可愛かったよ」

いまも可愛いけどねー、とボルゾイの頭を撫ぜ立ち上がった。

 ちょっと待っててねと述べると、彼女は居間を出てどこかへ行ってしまった。当たり前の顔をしてついて行く、どこか楽しげに振られるボルゾイの尻尾を見送った。

 手持無沙汰になり、改めて傍に寄ってきた飛雄馬を撫ぜる。外国の寒い地域で生まれた犬種だそうで、どこか毛が密に感じられ暖かかった。

「……なんか親近感湧くんだよなぁ。人も犬もぜんぶが好きでしょ? 違う?」

飛雄馬は答えず、楽しそうにじゃれついてくるばかりだった。


「お待たせー」

「、あ。持つ持つ」

なにやら大きなものを抱え、すぐに戻ってきた。慌てて寄っていくと、重厚感のあるアルバムであった。

 なんの躊躇いもなくソファに並んで座る形になり、ちょっとドキドキする。

 彼女の家に招かれたときと同じ並びなのに、なぜその実家だとビビってしまうのかは考えるまでもなかった。『今日はお父さんお仕事でいないんだよね』と訊いている。いたとしても、なにもやましいことはないのだが。


「ね、これ見て」

「!? ひゃあ、カワイイ……! なにこれ!」

 4匹の子犬が、子犬というかコロコロとした4つの毛玉たちが、先ほどチサちゃんが述べたそれぞれの色布にくるまったり絡まったりしながら、写真の枠の中に納まっていた。

「でしょう! そうでしょう??」

可愛いでしょう?? と、頬を赤く上気させたチサちゃんまで可愛くてまた変な声が出そうになった。


 可愛いは世界を救うのだ。

 状況をなにもわかってない犬たちが、大喜びの飼い主を見て改めて大きく尻尾を振りだした。


Fin.

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