第22話 休日の午後〈拾の姫エルナ〉
あの後、ケヴィンがボクをどこに連れていくのかと思ったら、単に姫の館だった。
「とりあえず、ご飯な。後また迎えに来る。」
迎えに来てどうしようというのか、そこを教えて欲しいよね?ほら、どんなTPOに合わせればいいのか、支度にもいろいろあるでしょ?もちろん、すぐその場で聞き返せばよかったんだけど。
ボクは、ちょっと脱力しているんだよ。何かいろいろ、どうでもよく感じるくらい。
この世界でいう箱庭の儀式は、何とかクリアできそうだし。どうしたらいいか分からないくらいこんがらがったボクの事情も、何とかなりそうだし。
そんなボクの今一番の問題は。
あーあ、ボク絶対チョロいって言われる!!もちろん、誰が言うんだって話だけどさ?
長い銀の髪を、くるくると指に巻き付ける。
なぜだろうね。この世界に来た時に、髪の色だけ変わってしまった。
あれを悪意とは、ボクは思いたくないんだ。
学校帰り、電車のホーム、並んだ列の一番前で。もうすぐ電車が来るとメロディが鳴って。そしてボクは線路に落ちた。正確に言えばその記憶はない。背中への衝撃と浮遊感、周りの叫び声、覚えているのはそれだけ。
気が付けば、この世界に来ていた。恵瑠奈だったボクは、銀の髪のエルナになった。
神殿の皆はボクに親切で、おかげでとっても助かった。初日から衣食住には困らなかったからね。それは本当に感謝してるんだ。
ボクは、もうちょっと生きてみたいから。
ボクはこの世界での毎日を、人生のオマケのようだと感じるけれど。そのオマケを、もうちょっと生きてみたいんだ。
ちなみに、ご飯が美味しいとオマケなのに何てラッキーなんだろうと、そう思う。当然でしょ。
箱庭のご飯はとても美味しかった。ボクはとってもラッキーだ。
ここの女官さんたちは皆親切で、ボクのドレスや、身の回りの世話や、ボクがお願いしたら、書庫から本を持ってきてくれたり、姫や王子の話もたくさんしてくれた。
箱庭での引きこもり生活は快適で、快適過ぎて。何でこんなに早く終わっちゃうの!?
ここで、ずーっと引きこもりたい。でも、参加者が箱庭から出ることが、完了の条件のひとつ。
ゲームを終わらせるためには、ボクは皆と一緒にここから出なければならない。
そして一度出たら、次の儀式までここには入れない。
昼ご飯をいただいて、食後の紅茶も飲み終わったころ、ケヴィンがやって来た。なんで、こんなにタイミングいいの!?
そうして連れてこられたのは、王子の館だった。ボク、ちょっと意味わかんないな。デートの場所としてはイレギュラーじゃない?
そしてさらに連れていかれたのは、館に入って廊下を進んで。王子の部屋は2階と3階だったはずから、確かビリヤード室とかカードゲーム室とか、娯楽室のような部屋の前を進んでいって、その奥。館の作りの都合上なのかそこだけちょっと引っ込んだ壁、一見何もない壁。その壁の片隅をケヴィンが触ったように見えた。その途端、開いた。壁の一部が開き、地下に降りる階段が出てきた……。
「今いったい、何したの!?」
「俺が見つけた仕掛けだな。」
……ボクの知ってるゲームにここに隠し扉はなかった、ボクの知る限り。
「で、何でキミは失踪する王子になっていないわけ?」
ケヴィンが当たり前という顔をする。
「神殿の方から、そうしてくれと言われたけどな。一室に何日もこもるとか苦手なんだよ。
だから断った。」
……。
「俺が見つけることができたんだ。ほかの誰かも見つけるだろ?」
……自由人過ぎる。それに。
「何でさっき、そのことを言わなかったの?」
「別に言っても良かったが、話がややこしくなる。
俺が断ったのも、卵が割れたのも、卵が割れるのを阻止できなかったのも。
起きたことをつべこべ言ってもしょうがねえ。そこから、どうするかだろ?」
……確かにそうかもしれないけどね!?
「ほら、エルナ、地下がどうなってるか、行ってみたくならないか?」
「……行く!」
真っ暗な地下に向かう、人ひとり通れる狭い階段を降りる。途中、これも仕掛けなのか光玉が灯って助かったけどね。
ケヴィンはボクの後ろを余裕そうについてくる。ケヴィンは一度行ったようだから、ボクが楽しめるようにしてくれているのかもね。
階段を降りると、行き止まりだった。たぶん仕掛けがあるはずだけどと調べ始める前に、ケヴィンの腕が動いた。扉が開く。
「時間があんまねえからな、ほら。」
うながされて先に進めばまた階段があった。今度は上に登っていく、螺旋階段のように。
ちなみにボクは立体ってちょっと苦手なんだよね、平面ならまだ解けるんだけど。
だから今、館のどの位置にいるとか、さっぱり分からないわけ。まあ、ケヴィンもいるし、ここに閉じ込められて出られないなんてことにはならないよね?ボク、さすがにそれは勘弁だからね?
狭い螺旋階段を少しずつ少しずつ上っていく。一度足を滑らせちゃったら、実にタイミングよくケヴィンが支えてくれたけど。
どのくらい、それを繰り返しただろう。
扉があった。鍵はかかっていない。開ける。
……まぶしい。
屋根裏というには明るく広い空間がそこにあった。王子1人が滞在できるくらいの家具もそろっている。ボクの知ってるゲームはこんな部屋じゃなかった。小さい窓しかなかった。
ケヴィンがボクを手招きする。窓を大きく開け放つ。
風が流れ込む。ボクはちょっと目を細め、そして窓から身を乗り出した。
ここからは、箱庭が一望できたから。
姫の館、広場、噴水、四阿、蔓薔薇のアーチ、それから毎日のように夜明け前に歩いたガーデンの小道。
「気に入ったか?」
と隣からケヴィンの声。ボクが眺めている間、待っていてくれたのかな?
「うん、ありがと。ここに連れてきてくれて、これを見せてくれて。」
ケヴィンがふっと小さく笑う。それから、ゆっくりとこう言った。
「エルナ、もとの世界に戻りたいか?」
……まったく、不意打ち過ぎる質問だね。
でも、ボクは知ってるよ。拾国の神殿の皆は親切で、いろいろ調べてくれたんだ。異界からの来訪者が元の世界に戻ったとか、それに該当しそうな記録はないって。
「ケヴィンは知ってるかと思ったけどね。異界からの来訪者は戻れないみたいだよ?」
「それは知ってる。俺が聞きたいのはそこじゃねえ。お前の気持ちだ。」
……ストレートすぎるよ!そういうデリケートな質問は、もうちょっとオブラートに包んで聞くものだよ!?
ふと好奇心にかられて、こう聞いてみたくなった。
「帰りたいってボクが答えたら、どうするつもりなの?」
ケヴィンが何でもないように答える。
「そのままでいい。帰りたいって気持ちは、そう簡単にはなくせないだろ?
ついでに、この世界で幸せだって気分をたくさん味わったらいい。俺も、その手伝いならしてやれるしな。」
何でだろうね、ボクは泣いてしまいたいような気分になった。
ボクは別に、自分の境遇を悲観なんかしていないのに。
ただ、ボクに寄り添ってくれる人がいるような、そんな気がしてしまった、それだけで。
ケヴィンがぽんぽんとボクの背中をたたく。
「話したくなったら話せよ。いつでも聞くからな。」
……確かに、元の世界のあれこれをケヴィンに話してみるのは楽しいかもしれない。
「俺はお前に出会えてラッキーだけどな。姫でも令嬢でも、俺に付き合えそうなヤツはそういない。」
……そうかもしれないけど、ボクなら付き合えるってその基準はどこからきてるの!?
いったいボクのどこが付き合えそうなのか、詳細な説明を要求するよ!
でもね、ケヴィンはもしかしたら、ボクのことを誤解しているかもね。
ボクは、この世界に行きたいと願ったわけじゃない。
でもね、違うんだよ。だからといってボクは、元の世界に帰りたいなんて思っていないのだから。
たぶん、ボクには執着するものがないんだ。元の世界に戻りたいと思うほどの執着がね。とても大切な物も、とても大切な事も、とても大切な人も、ボクにはないから。
だから、どっちでもいい。この世界でも、元の世界でも、どっちでも。死んじゃうのはちょっとイヤだけどね。
元の世界はそれなりに楽しかったよ。酷い目にあったわけでもない。
それなのに、元の世界に戻りたいと思わないボクは、きっとヘンなのだろうね?何でボクは、こんふうに拗らせているんだろうね?
一番の問題は家族関係かも。でも、どこにでもありそうな話だと思うんだけどね?
父さんは男の子が欲しかったんだ、医者である父の跡継ぎになるような男の子が。
だからボクにやたらと勉強をさせようとした。それはいいんだ。ボク、勉強とか学ぶことは好きだし。
でも、そのためにせっかく習っていたピアノをやめさせられてしまった。ボク、ピアノだって好きだったのに。勉強もちゃんとするから、ピアノも続けさせてってあれほどお願いしたのに。
それから、新しいお母さんができて、弟ができて。新しい母はボクに気をつかってくれる人で。弟は見てると複雑な気分にはなるけど、素直ないい子で。
そうしたら、父さんはボクが勉強するのをやめさせようとした。何でだろうね、本当に。ボクはイヤイヤやってたわけじゃないのに。それすらも父さんには伝わってなかったのかと、ちょっと悲しかった。父にとってボクの価値はそれだけだったんだって、ボクが何を思って何を考えてるかなんて父にはどうでもいいことなんだって、気づいちゃったから。
ボクは父の愛情が欲しかった。でもね、気づいてないわけじゃないんだ。良いと考えたことを子どもに押し付けるのが、父の愛情かもしれないって。それはボクが欲しい愛情の形ではなかったけどね。
もっとも、こっちの世界に来てからは、そんなことを思い出す暇もなかった。最初はボクが驚きすぎたし、その次はボクに聖魔法の力があるって神殿の皆が驚いて。王都に行ったら、養女にするだの箱庭に行かせろだの王様が大騒ぎするし、それに巻き込まれて神殿も大騒動になって。
窓からガーデンを眺める。ここは箱庭。ここは閉じられた世界。ボクにとって、ここは静かで安全。
でも、ボクはここから出て行く。……やっぱり、ちょっと残念。ボクはもうちょっとここで過ごしたかった。窓枠に頬杖をついて、ボクは飽きずに眺め続ける。
「そんなに気に入ったなら、もうちょっと見ていくか?」
と隣からケヴィンの声。ボクが満足するまで待ってくれるのかな?
だから、やっぱり好奇心にかられて聞いてみたくなった。
「ねえケヴィン、元の世界に帰りたいとは思わないよってボクが答えたら、どうするつもりなの?」
一瞬ケヴィンの表情が変わったようにも見えたけど、やっぱりケヴィンは何でもないように答えた。
「元の世界は嫌いか?」
「嫌いじゃないよ、なかなか楽しかったよ。」
「なら、この世界でも楽しいって気分をたくさん味わったらいい。俺がその手伝いをしてやるよ。
まずは温泉に行くか?」
「行く。」
ボクはこの世界での毎日を、人生のオマケだとそう思う。
でもね、オマケでもそうでなくても、この世界でも元の世界でも、ボクはずっと独りだろうと思ってたんだ。ひとりで生きて、ひとりで死んでいくような、そんな気がしていたんだ。
それなのに、ボクと一緒にいたいって人が現れるなんて、びっくりじゃない?この世界に来た時も、ボク、すっごく驚いたけどね。それよりも、もっと驚くことがあるなんて。
世界は不思議に満ちているね?
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