第9話 休日~デートタイム〈参の姫クリスタ〉
“箱庭で、誰か死ぬかもしれない。”
「そう結論付けるのは、いくら何でも早計では?」
思わずこう言ってしまった。言葉の不穏さも気になったけれど、あまりに予想外過ぎて。けれど、そう言ってから、ディルク様は何か知っているのだと気づいた。
「根拠がある。コンラート王子の手記を持っているんだ。」
ディルク様のその言葉に納得した。その可能性は確かにあった。私が姫の日記を持っているくらいだもの。王子の書いたものが残されていても不思議じゃないわ。けれど、声をひそめて聞いてみる。
「そんなにはっきりと、書かれているということですか、王子が亡くなられたと。」
「そう聞かれると、違うと言うことになるが。」
ディルク様が苦笑しながら、灯りを付ける。部屋が明るくなった、それだけなのに、なぜかほっとした。
「手記というか、コンラート王子の日々の行動記録というか、箱庭を出て1年の間の手帳を持っている。それに時々アードリアン王子の名前が出てくるんだ。
箱庭を出てすぐ、コンラート王子は零国の神殿に問い合わせている。アードリアン王子の具合はどうかと。神殿からの回答は、アードリアン殿下は回復しつつあるが、しばらく零国にて様子を見ると。
まずここで、一つ推測できる。箱庭を出る前に、アードリアン王子は具合が悪かった、もしくは具合が悪いと知らされていた。
その一か月後、コンラート王子はまた神殿に問い合わせる。アードリアン王子の回復の程度と、会いたいが可能かと。神殿からの回答は、アードリアン殿下は回復されたが、神殿での修行を希望されたためしばらく会うことはできないと。
ここでも一つ推測できる。アードリアン王子と直接やり取りができていない、今回も、前回もだ。
その後コンラート王子は毎月、神殿に問い合わせている。回答は毎回、アードリアン王子は修行中というものだったが。1年後、神殿の回答はこう変わる。アードリアン殿下は修行を終えられ、神殿を出られたと。
コンラート王子はすぐに神殿に問い返している。神殿を出てどこに行ったのかと。神殿はそれに対し、あずかり知らぬことと返答している。
すぐにコンラート王子は十国に問い合わせた。しかし、四国に戻ったのでもなく、ほかの国に身を寄せているわけでもないということがわかった。
コンラート王子は走り書きでこう書いている。
“シークタイムになって以降、アードリアンに会っていない。アードリアンは本当に具合が悪かったのか。本当に神殿で修行をしたのか。アードリアンは本当に失踪したのではないのか。それとも、本当に生きているのか。いや、それは考えすぎだ。”」
ふと肌寒さを感じて、腕をさする。
「生きていないかもしれないというのは、やはり結論が早急すぎると思いますが。
失踪という可能性は十分考えられますし。」
ただ、そうするには問題があるけれど。
ここに来た時のことを思い出す。
まずは零国に入り、そこからは専用のレールカーに乗せられる。箱庭の守りと呼ばれる森のその手前に着けば、お付きの者たちが滞在する館があり、彼らはそこで降ろされる。更に私は女官とともに森の中を進み、それを抜ければ箱庭が姿を現す。
儀式の時にだけ入ることが許される“箱庭”。その外観は白い大きなドーム型。
女官が付き添うのはそこまで。箱庭に向かって続く白亜の道を、私はひとり歩く。道の先には扇状の階段。それを上り切れば大きな扉があった。
教えられたとおりに「参国の姫、クリスタ」と名乗れば、幾重もの扉が左右に音もなく開き。中へ進めば、扉はまた閉じられた――。
「失踪が難しいことは君も気づいているはずだ。そもそも箱庭は、参加者の途中入場だけでなく、途中退場もできない。ここの管理は厳重だ、参加者以外の誰かがここに入り込むことも、ここから出ることもできない。箱庭から失踪したというよりは、零国の神殿から失踪するほうがまだできるだろう。だがそうなると、零国の対応は不自然だ。零国に非がなければ、王子が失踪したと言えばいい。」
「その言い方ですと、零国に非があり、隠さなければならなかったようですが。」
「その可能性はある。ただ、零国は大神殿のみを擁する国、儀式を司る国、ある意味別格だ。王子が一人失踪するくらい、批判はかわせる。どれほどの理由があれば、隠さなければならなくなるのか。」
……その言い方だと、まるで。
「仮に亡くなられたということなら、不慮の事故ということもあります。持病をお持ちだったとか、急病ということも、まだ可能性としてはあるでしょう。しかしこれなら、必要以上に隠す必要はないように思います。
暗殺は考えたくないですが。それに、ここは特別な場所ですからさすがに侵入者はないはずですが。王子の誰かが暗殺者、というのは可能性として……。」
「それは排除したいところだ。俺もさすがにそれはないと思う。」
ディルク様が一度、言葉を切った。
「君は気づいているのではないか、もう一つの可能性に。」
「箱庭の儀式で不具合があり、それに巻き込まれた。箱庭で、例えばやってはならないこと、禁忌に触れたため、ペナルティーが発生した。そのため、亡くなったか、あるいは人前に出ることが難しくなった、という可能性はあるかもしれません。
ですが、そもそも箱庭の儀式が危険だとか、今まで聞いたことはありません。神殿側も、姫や王子を預かっているのですから、わざわざ危険なことをさせるとも思えません。
もちろん、それを踏まえた上で、前回のみイレギュラーな事態が起こったという見方もできますが。」
ディルク様がさらに問いかける。
「ではなぜ、神殿はこうまで隠そうとする?」
「つまり、王子の死、儀式に関わるイレギュラーな、それくらいの理由がなければ、隠す理由にはならないということですか?」
そこで、二人して顔を見合わせた。
「確かに、結論にするには強引だ。情報が足りない。」
「ですよね。神殿側と、箱庭の儀に参加したほかの王子が残した情報、それくらいは知りたいところです。アードリアン王子は四国からの参加者。王子が戻らなかったことについて、四国は何も追及しなかったのでしょうか。それから、」
「残るは姫だな。」
本当は、アリーセ姫の日記について、もっと早くディルク様に話しても良かった。ただ、個人的な日記だから、どこまで話してよいものか迷っていた。
「ディルク様、手記には、なぜコンラート王子が神殿に問い合わせをしたか、という理由について書いてありましたか?もしくは、理由を推測できるような何かがありませんか?」
ディルク様が少し考える。
「いや、はっきりとした理由は書いてなかった。俺もそれは思ったが、箱庭で交流があった王子なら、気になったからだろうと。」
「私は、アリーセ姫の日記を持っています。」
ディルク様が小さく笑った。
「君が調べていた理由はそれか?」
「アリーセ姫は日記で、アードリアン王子のことを気にかけていました。それを知っていた婚約者であるコンラート王子が、調べていたのではないかと。
ただ、コンラート王子はアリーセ姫に調べたことを話していないようなんです。日記にはそのことが一言も出てきません。」
「コンラート王子は早くから疑問に思っていたのかもしれないな、アードリアン王子の件について。だから、はっきりと分かってからアリーセ姫に伝えたかったのかもしれない。」
「ええ、そうかもしれません。
ただ、アリーセ姫は問い合わせをするほど、アードリアン王子について知ろうとはしていません。
元気でいてほしいとか、幸せになってほしいとか、そんな言葉はたくさんあるのですが。
それともう一つ。
日記の中にこんな言葉が出てきます、“箱庭の鍵”。
箱庭の鍵があれば、こんなことにはならなかったのかしら、と。」
儀式の3週目が始まる。
朝、姫と王子の皆がガーデンに集まり、トークタイムの組み合わせが発表されるのかと思ったら。神殿女官がこう告げた。
「今週より、デートタイムに入ります。
希望票はもう提出する必要はございません。組み合わせをこちらで決めて、毎朝お知らせいたします。
場所はトークタイムの部屋のほか、それ以外の部屋とガーデンもお使いいただけます。
午後はこれまでと同様にお過ごしください。
では、部屋をご案内いたしますので、どうぞこちらに。」
ガーデンの小道を、神殿女官に続いて、4人の姫と5人の王子がぞろぞろとついていく。こんな童話があった気がするわ。何だったかしら?
神殿女官はまず第三館に行き、ホールの階段を上がった。そして一部屋ずつ紹介していく。順に音楽室、ダンス室、美術室、図書室、実験室。自分の得意なことを披露したり、コミュニケーションを深めるために使用するようにとのことだったけれど。そんなことより図書室が気になって、気になって。私一人だけ図書室に残る方法はないかと、真剣に考えてしまったわ。
1階に降りて書庫に行った後、神殿女官はガーデンに向かった。四阿、噴水、蔓薔薇のアーチが続く小道。それぞれの場所にテーブルと椅子が設置されたから、ここでお茶も出されるよう。
皆が蔓薔薇の小道を希望した場合、どうなるのかしら。5組の姫と王子が、蔓薔薇の下でティータイム。それも楽しいかもしれないわ?
今日の午前中はこれで終了。では解散となる前に、イザベル姫からお誘いがあった。午後のティータイムを一緒にいかがと、せっかくだから蔓薔薇の下でと。
昼餐の後、国からの手紙を仕方なく読んでいたら、時間に少し遅れてしまった。
「申し訳ありません。ここは薔薇に囲まれているようですね。」と私。
「お誘いありがとうございます、イザベル様。」とシャルロッテ姫。
「私も、見事なアーチだと思います。」と控えめにテレーゼ姫。
そこで、イザベル姫から提案があった。
「今日は、お聞きしたいことがあって、お誘いさせていただいたのです。」
「まあ、何でしょう?」
シャルロッテ姫がにこやかに応じる。
イザベル姫が獲物を狙うようにすっと目を細めた。
「王子方について、皆さまがどのように思われているか、お聞きしてみたいのですわ。
ああ、勘違いなさらないで、好きかどうかではありませんの。それはお話にならなくてけっこうです。誰を狙われているかなど、それもお話になる必要はなくてよ。
わたくしが知りたいのは、人柄や性格、または能力について。
打ち明けますが、わたくしこういう経験が乏しく、自分一人の判断では心もとないため、皆さまの意見を参考にさせていただきたいのです。」
シャルロッテ姫が思案気にうなずく。
「それは有意義ですね。こういう場合、悪意や嫉妬をお持ちの方がいらっしゃると、判断がねじ曲がる場合がありますけれど、今この場では、そういうことは起こりにくいと思います。」
私もそれに同意する。
「そういうのって、ありますよね。」
テレーゼ姫は目を白黒させている。
「イザベル様よりもっと経験の乏しい私ですが、それでもよろしければ。」
イザベル姫がにこりと笑う。
「感謝いたしますわ。さっそく、ケヴィン様はどのように思われまして?」
……場に沈黙が落ちた。ひとことで言い表せるような、そうでもないような。
おずおずとテレーゼ姫が小さく手を挙げる。
「押しの強い方ですが、トークタイムに戸惑っていた私には、とても親切にしてくださいました。
きちんとするのが苦手で、お話が上手な方です。」
イザベル姫が大げさに肩をすくめる。
「まあ驚きですわ、親切という言葉が出てくるとは。私などは、話しても意味ないで終わりそうでしたのに。
でもあの方、辺境で魔獣退治やら人助けやらしているとのことでしたから、親切にしたいと思う人には親切にできますのね。」
それはたぶん、テレーゼ姫の立場が弱いからではないかしら、イザベル姫ははっきりと言われなかったけれど。だから、立場がしっかりしている姫にはケヴィン王子は遠慮されないのでしょう。
私から何か言うとすれば。
「はっきりした話し方を好まれるようですね。決断力も早い。」
シャルロッテ姫が苦笑する。
「私も、話しても意味がないと言われましたが。そのわりに、トークタイムの部屋までは一緒に来られましたから。ケヴィン様にとっては、十分気をつかっていらっしゃるのかもしれません。
ご自身の道を進まれる方ですね。」
イザベル姫が話を進める。
「では皆様、ランベルト様はどう思われまして?」
「礼儀正しい方だと思います。」
とテレーゼ姫。
「それに誠実な方ですね。」
と私。
「ストイックな雰囲気もありますわね。けれど、それだけではないようにも感じますわ。
あとは見た目に威圧感がありますけれど、騎士ならば困らないでしょう。」
とイザベル姫。
待って、それについてはちょっと意見があるわ。
「威圧感については、服装の色も原因ではないかしら?」
イザベル姫が首をかしげる。
「確かに、いつも黒い色をお召しになっているから、威圧感や重厚感が増している可能性は高いですわね。けれど、目つきに鋭さがあるというか、もともとの雰囲気の問題にも思いますのよ。
白や、紺色を着せたら、あれが何とかなるかしら?」
「何色を着ていらっしゃっても、あまりにじーっと見つめられたら、見られる方は困りますよね?」
テレーゼ姫がぽろりとこぼす。
「分かりやすくて、いいんじゃないでしょうか?」
これは私。
「意中の姫をほかの王子に取られたくなかったら、ある程度の自己主張は必須ではなくて?
ただし、何事にも限度はありますわね。結局のところは、当事者どうしの問題になりますけれど。
わたくしはむしろ、あれが演技や嘘には見えないことに驚きますわ。」
発言していなかったシャルロッテ姫に、私たち3人の視線が向かう。
皆の視線を受けて、シャルロッテ姫が言葉につまり、そして小さく息をついた。
「そうかもしれませんが……、変わった方だと思います。」
イザベル姫が仕切り直す。
「リーンハルト様の印象はいかが?」
まずテレーゼ姫が遠慮がちに、けれどはっきりと言った。
「とても素晴らしい方だと思います。」
次いでシャルロッテ姫が答える。
「王子としての役割を、わきまえられている方でしょうか。」
さらに私が続ける。
「大学園でも、ちゃんと勉強なさっている方ですね。」
そこへイザベル姫。
「立ち居振る舞い、能力は申し分ない方だと思いますが、あまりにも皆が理想とする王子様らしすぎると、わたくし感じるのですが。」
「リーンハルト様の性格といいますと、やんわりとして意外に押しが強い、とか。」
とシャルロッテ姫。
「常に客観的に、物事やご自身を見られているようなところがあると思いました。」
と私。
「つかみどころがない、ですわ。」
とイザベル姫。
「確かに、常に王子としての役割を意識されていて、スキがないというか。」
「そうだとすれば、疲れません?」
「ふつう、疲れますわ。」
私たちのやり取りを見ていたテレーゼ姫は、何かを言いかけて結局、話されなかった。
イザベル姫が話を進める。
「次はディルク様でいきましょう。」
「一見、失礼ながらそっけない方ですが、お話してみればそんなことはありませんでした。」
とテレーゼ姫。
「確かにそういうところがおありですね。一見、冷たい感じがしてしまうというか。お話してみればそんなことはないのですが。あとは論理的に話される方でしょうか。」
とシャルロッテ姫。
「余計なお世話でしょうが、一見不機嫌そうに見えるのは直した方がよろしいですわ。令嬢には怖がられましてよ。話し方も筋道が通ることを重視されるから、令嬢には味気なく感じられるでしょうね。まあ、令嬢以外と話す分には何の問題もないでしょうけれど。」
とイザベル姫。
え、あれ、そんなにだったかしら?
「皆様から見たディルク様って、そんな感じですか?けっこう笑われますよ?」
シャルロッテ姫が少し首をかしげる。
「あの、クリスタ様とお話になるときは、やわらかい表情をなさってますね?」
テレーゼ姫もこくこくとうなずく。
「私も気づきました。クリスタ様と一緒の時は楽しそうにしていらっしゃるなと。」
イザベル姫があきれた声で続ける。
「もうとっくに気づいていると思ってましたけれど、そうでもありませんでしたのね。あなた以外の姫と挨拶や会話しているところを、観察なさったらよろしいわ。すぐに分かりましてよ。
やはり余計なお世話でしたわね。そっけないことが気にならない姫がいれば、何の問題もありませんもの。」
……ちょっと混乱。そんなにかしら?
そんな私にかまうことなく、イザベル姫が最後の名前を口に出した。
「ユリウス様は、どう、思われて?」
どうしたわけか、なぜか言いにくそうで面倒そうなイザベル姫の様子に、私とシャルロッテ姫とテレーゼ姫は何となく顔を見合わせる。
「のんびりとした雰囲気をお持ちの方です。」
とテレーゼ姫。
「楽なことがお好きなように見えて、つかみどころのない方だと思いましたわ。」
とシャルロッテ姫。
「良い質問を立てられる方です。探究心をお持ちのようですね。」
と私。
「……まったく参考になりませんわ。」
とイザベル姫。
テレーゼ姫とシャルロッテ姫と私は、もう一度顔を見合わせる。
「箱庭について興味をお持ちのようです。」
「箱庭の卵についても。」
「実は、卵を食べてみたいのでしょうか?」
「アヒルの卵は美味しいと聞きます。箱庭の卵も、そのくらいの大きさですよね?」
「ではゆで卵、目玉焼、スクランブルエッグ、それとも別の調理法で?」
「私は温泉卵が好きですけれど、卵を食べてしまったら、孵せなくなりますね!」
「……あのお気楽王子が卵を!?」
とあきれた顔をしたイザベル姫が、深くため息をついた。
「まったく、参考になりませんわ。」
今日も夜は書庫に行く。ただ。
お茶会で話題になったことが気になって、すでに来られていたディルク様を、何というか意識してしまった。
確かに、そっけなく見えたり、冷たく見えたり、不機嫌そうに見える表情の時もあるけれど。それはたぶん何かを考えている時、もしくは興味がないことを隠すための無表情。小さく口の端を上げたり、声を出して笑うこともあるし、話したり意見を言い合ったりしているときは楽しそうに見える。
私は今、ディルク様から借りた、コンラート王子の手記を読ませてもらっていて。ディルク様には、アリーセ姫の日記のなかで、関連しそうなところに栞をはさみ、そこを読んでもらっている。
先にディルク様が日記を返してきた。
「やはりこれだけでは分からない。アードリアン王子がどうなったのか確定できない。アリーセ姫が何か知っていた可能性もあるが、それも確定ではない。
箱庭の鍵、この言葉も謎だな。書庫の本のなかから、前々回と更にその前のを読んで比較するしかないか。」
「私もそう思います。ですが、全部読む必要はないかもしれません。後半のシークタイム以降、王子が失踪するか、どこで見つかるか、最後王子はどうなっているか。箱庭の鍵という言葉が出てくるか、そのあたりを重点的に。」
ディルク様が私に笑いかけた。
「その方針で読んでみるか。」
次の日はデートタイムの1回目。組み合わせは、なぜかディルク様とだった。
「初めて当たったな。書庫に行くこともできるが、どうする?」
と、ディルク様が聞いてくれるから。
「図書室に行きたいです!」
意気込んで答えたら、ディルク様が小さく笑って手をこちらに差し出した。
エスコートの仕草に驚いて。今までほかの姫にそれはしていない、それに気づいて。手を乗せたら、ディルク様の手の硬さに気づいて。
そして午前中いっぱい、ディルク様と図書室で過ごした。
午後はシャルロッテ姫からガーデンの散歩に誘われた。書庫と迷ったけれど、散歩を選ぶことにした。シャルロッテ姫が聞きたいことがあるとのことだったので。
夜は書庫でディルク様と本を読み進める。
そして部屋に戻れば、また国からの手紙が届いていた。
そんな毎日を繰り返して、休日の1日目。
私は朝から書庫に来ていて。今日はディルク様も朝から書庫に来ていて。前々回の記録を私が、さらにその前の記録をディルク様が読んでいる。
時々、それぞれの進み具合を報告する。シークタイムになった、王子が失踪した、王子を探している、まだ王子は見つからない、等々。そして。
「王子が見つかりました。場所は前回とは違って、地下ですね。王子はちゃんと存在しています。
そのまま話が進むようです。」
「俺の方でも見つかった。こっちでは一階の隠し部屋だ。確かに王子はちゃんといるな。
会話にも加わっている。王子は神殿からの指示を受けて、隠し部屋で待っていたようだ。」
「私の方でも、王子自身が話しています。神殿からの指示だと。」
「で、神殿は何がしたいんだろうな?」
「やはり、エンターテイメント性でしょうか、参加者が楽しめるように?」
「わざわざ儀式で?」
「儀式だからこそ?」
そんな会話の後、女官が昼食を書庫に持ってきてくれた。
サンドイッチという軽食だったけれど、私は用意されたディルク様の量に驚いてしまった。
ディルク様はといえば、姫の食べる量は少ないな、と自分の分をぱくぱく口に運んでいた。
午後も二人で引き続き本を読み進める。
そのページに来た時、ちょっと息を呑みこんでしまった。
「どうした?」
私は本から顔を上げることなく答える。
「鍵という言葉が出てきました。王子が見つかった後、休日を2日はさんで次の週からキータイムになっています。神殿から鍵を探すようにと指示があります。失踪した王子が所持しているもののなかに鍵があるということです。第三館のホールでいろいろ試していますね。ああ、すぐに見つかっています。懐中時計だったようです。」
「懐中時計か。」
「え?」
「どうした?」
今度は本から顔を上げた。
「どうやって卵を孵すか、試しに卵を割ってみようという話になっていて。結局割りませんでしたが。」
「前回にもそういうシーンがなかったか?」
「そうですね、アリーセ姫とコンラート王子がアードリアン王子を探している途中で……。」
宙を睨むようにしていたディルク様が、思い出したとこちらを見る。
「そうだ、卵を割ってみたらどうなるか、二人がそんな話をしていた。試しに鳥籠を持ち上げてみたはずだ。」
「なぜでしょうね。卵を孵すと割るとではずいぶん違うような気がしますが。」
「割ったら孵せないからな。だた、割りたくなる気持ちはわかる。」
「え、そうですか?」
「君も思わないか、卵のなかには何があるのだろうかと。」
「それは……、確かに。」
「ああ、俺の方でも鍵を探し始めた。方法は君の読んでいる前々回と同じようなもんだな。失踪した王子の持ち物に鍵がある。
こっちの鍵は、カフスボタンだった。見つけるのに2日かかっている。」
「つまり、鍵は決まっていないということでしょうか。毎回、変更になるような。」
「そうだろうな。となると、前回の鍵はアードリアン王子が持っていた可能性が高い。」
「いえ、確かアードリアン王子の持ち物は部屋に残されていました。王子本人がいなくても、鍵を探して見つけることはできたのでは?」
「確かにその可能性はある。だが、そうではない可能性もある。はっきりしないな。」
ディルク様が本を置く。
「これはあくまで仮説だが。
卵を孵せば、世界は続く。つまり、外界との境目にある結界が修復され、この世界は守られる。
その条件には鍵が必要だ。よって鍵がない前回は、結界が十分に直されなかった。
だから今、魔獣の侵入が頻繁に起こり、箱庭の儀式が早められた。」
「筋は通りますね。今、分かっている情報だけで推測するならば、それは妥当だと思います。」
「確かに、新たな事実が分かれば、この仮説は簡単にひっくり返せるかもな。」
「でも、鍵や卵をどうすれば、結界を直すということにつながるのでしょうね?」
「それは、どれにも書かれていない。わからないな。
卵を孵すことと結界が連動しているなら、さっさと卵を孵したいもんだが。」
「卵を孵すには、何か愛を育む必要があるんですよね?」
言ってしまってから、ディルク様と二人何となく顔を見合わせ、そして何となく気恥ずかしくなり、
お互い視線をそらしてしまった。
夕方には自室に戻った。
ディルク様は手合わせがあるとかで、走って行ってしまわれたので、館までの道を女官と歩くことになった。なぜかしら、これだけのことで少し、気分が沈んでしまう。
戻るとまた、父である王からの手紙が届いていた。
いつのまにか手紙は、テーブルの隅に積み重なってしまった。
“卵を孵す役割を得るように。”
“良い結婚相手を見つけるように。”
“そのために姫らしくするように。”
“勉強などせず、箱庭の儀式にちゃんと参加するように。”
“そこには本などないだろうが、本ばかり読まないように。”
難しいのよね、私には、ふつうの姫らしくするのは。皆が、周りが望むようなお姫様をするのは。
にこやかに微笑んで、おしとやかに殿方を立てて、裏で糸を引く。こういうのは私向きじゃないわ。
本ばかり読まず、姫らしいことをするのも、私向きじゃない。
姫ということを軽んじているわけではないわ。私は私にできるやり方で、姫という役割を果たしたい。
でも、周りからのプレッシャーを受け続けながら、それでも私らしくあろうとするのは、少し疲れる。
時々、疲れる。
大きくため息をつきたくなる。
ここには自分一人しかいないような。暗闇のなか、独り立っているような。
それでも私はきっと、誰もいない暗闇を歩き続けるだろうと、そんな自分に少しばかり疲れてしまうような。
そんな倦怠感を感じることもある。
晩餐の後、ポケットにあれがないことに気づいた。いつも持ち歩いていた質問表。
私、どこかで落としてしまったのかしら。考えられるとすれば、書庫、小道、実はこの部屋の中にある。
とりあえず書庫に行ってみることにした。
もう暗くなった館への小道を、速足で通り抜ける。
第三館に着けば、薄暗いホールはしんとして。そこに窓から月明かりが一筋差し込み、卵の入った鳥籠をその光で包んでいた。無機質なオブジェのように、あるいは神聖な何かのように。
一瞬足を止め、それから暗い廊下を奥まで進む。書庫に着く。鍵はかかっていない。
部屋に入り手探りで灯りを付ける。けれど一瞬明るくなった後、消えてしまった。魔石が切れたのかしら。
窓からは月の光が差し込み、ほのかに明るい。
並んだ書架の奥は暗いけれど、手前にはいつものローテーブルとそれをはさむように2つのソファ。テーブルにはまた明日も読むからと、積み重ねた本がそのまま残っている。
いつも私が座るほうのソファには数枚のブランケット。念のためブランケットを一枚ずつ広げる。何もない。落ちているならソファの下かと、膝をついてのぞき込む。何もない。テーブルの下も、何もない。テーブルをぐるりと回って。
積み重なった本の陰に、折りたたまれた質問票があった。
私とディルク様が書庫から出るとき、それはなかったはず。あれば、どちらかが気づいていたはず。
いったい誰が。
かたり。
と、小さな物音が響いた。
書架の奥から聞こえたような気がして、そちらに二、三歩向かう。けれど。
しんと静まり返った部屋。
書庫の奥はただ暗く。誘われているかのように暗く……。
詰めていた息を、小さく吐き出す。考えすぎだわ、いろいろと。
でも、私が失踪者になったら、もしも戻らない失踪者になったなら。
次回の誰かが、その謎解きを楽しんでくれるのではないかしら。
それも、いいかもしれないわ?
その時、騒々しいほどの靴音と共にディルク様が駆け込んできた。
「また、ここに来たのか。」
ディルク様の息が乱れている。ディルク様が動揺している。それに気づいて。とりあえず何か答えなければと。
「いいえ、忘れ物を探しに。」
「ケヴィンが、灯りがついていたと、だから、もしかしたらと思ったんだ。」
手を取られ引き寄せられる。あっと思う間もなく、ディルク様の両腕の中にいた。
ただ驚いて。
ただ、そのままじっとしていたら。
ディルク様の呼吸が少しずつ。
少しずつ落ち着いてきて。
ディルク様がひとつ大きく息を吐いた。
耳の近く、ディルク様の声が早口で告げる。
「お願いだ、誰にでもこんなことをしていると思わないでくれないか。」
いえ、そんなことは思わないけれど。そう答えようとして、けれど自分で思っている以上に混乱していて。何を伝えたらいいのかわからなくなって。
そう、わからなくなって。
ただ、ゆっくりとうなずいた。
「良かった。」
そっと、けれど閉じ込めるようにディルク様の腕の力が強くなる。
「クリスタ、俺は君を失いたくない。」
その時、何か砕け散るような音が響き渡った。
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