第2話 前日〈壱の姫シャルロッテ〉

 わたし、ちゃんとできているかな。ちゃんとできていたかな。

 いいえ、できなかった。うまく、できなかった。ぜんぜん、できなかった。

 ああもう、無理。

 でも、そう言ってもいられないのは、よく分かってる。

 

 母様である女王陛下に、わたしの役割として伝えられたこと、それは。

 決して、卵を孵す役割を担ってはならないこと。

 

 今、壱の姫がその役割を取ってしまうと、各国のバランスがますます崩れてしまう。

 争いの火種になるのは避けなければならない。そうならないよう調整をしなければならない。

 零国の大神殿を中心に十国がぐるりと輪をなすこの世界。その世界の“外”から魔獣が侵入する頻度が多くなっている今この時期だからこそ。

 壱の姫として為すべきことを為すようにと。必要ならば、壱国の権限を行使するようにと。

 

 きっと姉様たちなら上手くできたと思う。でも、わたしには……。


 やらなくちゃ。

 姫や王子と話をする。そして不満や不安があるかどうか、あるいは何を望んでいるかを知ること。わたしの持ち帰った情報が、壱国のそして十国のためになるように。

 そのためにも、姫たちとの間に不和の種をまいてはならない。私は一歩引いて、ほかの姫が王子の誰かと愛を育めるようにする。

 だから一人一人と話してみないと。とにかく話して……。


 母様にも、姉様たちにも、アドバイスをもらった。気を付けるべきこと、やるべきこと、やった方がいいこと。

 それはきっと、わたしにとって必要なもの。母様も姉様たちも、わたしを思ってしてくれていること。でもアドバイスが増えるたびに、少しやるせない気持ちになる。わたしはこんなにも頼りなく思われているのかと。

 もちろん、わたしが頼りないのは確かなことなんだけど。


 でも、この心配だけはしなくていい。そう、この心配だけは必要ない。

 わたしが誰かに愛されるということ。

 壱国でも、わたしに求婚してくる人はいなかったし。

 大人っぽくて、お淑やかで、でも凛として自分の意思をもっているお姉様たちには、求婚してくる令息がたくさんいた。

 自分でも分かっているけど、わたしは子どもっぽい。背も低くて、童顔で、お転婆じゃないけど、お淑やかなドレスは似合わないし、お淑やかな振る舞いもできなくて。頑張っても頑張ってもできなくて。


 今日のお茶会だって、できるだけ大人っぽくを目指して、会話もそれを目指してみたけど。

 惨敗。

 イザベル姫からは醒めた目で見られて、テレーゼ姫からは怖がられた。

 最初から失敗。

 でも、クリスタ姫とは会話できた。そう、これはできたのだった。

 

 それにもう一つ、この心配もたぶんしなくていい。

 わたしは今まで、誰かを好きになったことはないし。

 誰かを好きになったこともないわたしに、愛を育むなんて無理。 

 だから5人の王子に会っても、きっと心配はいらない。

 

 でも。

 やっぱり、わたしは子どもっぽい。

 こういうことをするから、余計に子どもっぽい。 

 わかってはいる。でも、この機会を活かさないのはもったいない。

 心配したり、小言をいったりする侍女もいない。ここはとっても安全だし。

 

 真夜中の寝室で、そっと部屋着に着替えてストールを羽織る。

 寝室からリビングルームへ、リビングルームからフレンチドアを開ければ庭、その向こうは小道。

 小道を抜けて、昼間、お茶会のテーブルがあったガーデンに向かう。

 夜のひんやりとした空気が心地良い。

 

 辺りはただ静か。 

 ふわふわと光玉が浮いている。

 その淡い光に、ガーデンが幻想的に浮かび上がる。

 咲き乱れる白い花。漂ってくる甘い香り。どこからか聞こえてくる水の音。


 きれい!

 嬉しくなって、心のおもむくままに歩き回る。 

 白い花を愛でながら、時々立ち止まっては花の香りを楽しむ。

 光玉に向かって手を伸ばせば、指先をすり抜けてふわふわと漂っていく。

 

 水の音が近くなる。

 ぐるりと植え込みを巡れば、小さな噴水があった。

 夜の静寂に、途切れることのない水音が軽やかに響いている。 


 噴水の縁に腰かける。

 水音に耳を傾ける。

 水盤に手を伸ばせば、冷たい水が指先に触れた。

 落ちてくる水にも触れたくなって、手を伸ばす。その時。


 その手を誰かに捕まれた。

 とっさに振り払おうとして、けれど振り払えず。

 捕まれた手首はわたしが噴水の縁に座り直すと、そっと離された。


「申し訳ありません。万が一、水盤に落ちるようなことがあってはと。」

 簡素な騎士服に腰の剣、背が高く筋肉質な体つき、威圧感と礼儀正しさ、深みのある声。ここの警備の騎士?

 思わず首をかしげて、そして気づく。見られていた?

 恥ずかしい。絶対、子どもっぽいって思われた。顔がかっと熱くなる。

 

 黒髪の騎士がひざまづく。

「申し訳ありません。やはり驚かせてしまいましたか。何かあってはと、勝手ながら見守らせていただいていたのですが。」

 いつから!?ますます顔が熱くなる。


「私は五国のランベルトです。壱国の姫君とお見受けします。」

 気が遠くなる気がする。

 まさか、よりによって王子とは。

 正式な顔合わせは明日。今、出会ってはダメ。

 それに、こんなところを見られたら。こんな、ダメなところを見られたら……。


「私も眠れなくて散歩をしていましたが。

 かなり冷えてきました。部屋に戻られませんか。

 姫がお休みになったと確認できたら、私も安心して休めるのですが。」


 ああもう、これ確実に子ども扱い。

 スタートする以前に、こんなにつまずいてどうする。

 ……でも、見られてしまったものは、どうしようもない。

 と、仕方なくランベルト王子と目を合わせれば、それは。

 わたしが予想したものとは違っていた。

 子どもを見るような視線ではなく、あきれているのでもなく、まして馬鹿にするでもなく、むしろ好意的とでもいえそうな。


 立ち上がったランベルト王子がこちらに手を差し出す。何度も練習して覚えた体が、それに応じて手をのせる。


 触れた指先が、ちりりと熱かった。






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