桜色スクランブル
海青猫
第1話 転校生が来る
「今日は転校生が来るぞ」
担任のそんな声から朝のホームルームは始まった。
適度な疲労感とぼんやりしている頭で、僕は担任の声を聞き流していた。
僕は所属している空手部の朝錬で疲れていた。今朝の参加者を思い出す。最近は部活の朝錬に参加するメンバーが減ったものだ。
空手部の練習が厳しいという点も、部活参加者が少ない一因といえるだろう。
今となっては部長の神谷主将、それに僕と、一年生で後輩の出雲 里菜嬢の三名のみが、皆勤賞だった。
出雲嬢に関しては僕が勧誘して入部させたこともあり、僕が部活に出る時は必ずと行って良いほど出てくる。
最近の若者には、珍しく根性と見所があるものだ。といっても年は一つしか変わらないのだが。
また、彼女は何かと僕を慕ってくるかわいらしい後輩でもある。
部員の中には、内申書を上げるためのみが目的で入部した幽霊部員同然の人物もいるというのに……。
まあ、人の目的はそれぞれだ。それを僕がとやかく言う気もつもりもない。
僕が、脳内でとりとめもないことを考えてるとさらに眠気が増した。
さらに、この二年の教室で、さらにこの時間は西日が差しこんでくる。その温かさが、さらにまた眠気を誘うのだ。
なんとなく、僕はこの眠さの要因を列挙してみた。
理論的に考えよ。要因を列挙せよ。
僕の姉様もよく言っていたことだ。
一.朝錬の疲れのせい。
二.温かさのせい。
三.先生の言葉に眠気を誘う魔力があるせい。
脳内で要因を五番目くらいまで列挙し終わった頃。先生がさらに次の言葉を続ける。
「さあ、君、入ってきなさい」
転校生か……。思考を現実に戻すと机の上から教壇に視線を向けた。
高校二年生も半ばにさしかかるこの時期に、珍しいこともあるものだな。
どのような人物だろうか? どうせ、当たり障りのない人物だろう。と、僕は予想してみた。
次の瞬間、ガラガラガラと、けたたましい音とともに、教室の扉が開け放たれ、そいつは教室に踊りこんできた。
な、なんなんだこいつは?
僕が彼を見た第一印象はそれだ。
彼は、三十年位昔には、ほぼいなくなったと聞く番長を思わせような、弊衣破帽、学ランに下駄履きというバンカラファッションで身を包んでいた。
この時点で、僕が十秒位前に立てた予想は、地平線のかなたに消し飛んでいた。
のっし、のっしと彼は教室を横断する。
僕は、気のせいか、教室全体が揺れているような錯覚に陥った。
彼はすぐに、教壇の前に到達し、正面を向いた。
そして、ゆっくりと首を回し、クラスの中を睥睨するのだった。
僕は一縷の好奇心を抑えられず、彼を凝視してしまう。
その視線に気づいたのか、彼と僕は目が合ってしまった。
これは……、確信犯だ――その真剣なまなざしは自分が間違っていない。そして格好いいと確信した目だった。
やばい……、僕は直感的にそう感じた。
この手の連中は目を合わすと厄介なことになるのだ。
僕はとりあえず、引きつった笑みを浮かべつつ、彼から目をそらし、窓の外の綺麗な青空を見つめた。
「俺様は、山下 一郎という。
番長は、教室全体を激しく振動させるほどのでかい声で、明らかに時代錯誤であろう事を叫んでいた。
其の瞬間、水を打ったように教室のクラスメイト達は静まり返り、誰も一言も言葉を発しない。
おそらく、皆状況を認識できないのだろう。
――山下 一郎? 思ったより普通の名でおもしろくないな。
僕はとりあえず脳内では、彼を番長と呼び続けることにした。どこかの漫画で知った言葉だが、はるかにこっちの呼び名の方がしっくりくるというものだ。
しかし、いくらこの学校が私服OKとはいえ、あの服装でよく何も咎められなかったものだ。
「なかなか元気があってよろしい。では、山下君は一番後ろの席……」
先生が言葉を言い終わる前に、番長の大きな声がそれをさえぎる。
「いいか、俺様はこの学校は初めてだ。まずは、この場所を案内するのが筋であろうが」
又も、とんでもないことを言い放つ番長に先生は、そうだなと頷く。
お、おい、認めるのか。 彼の発言は、明らかにおかしいぞ。
まあ、逆らいたくない気持ちはわからないでもない。
今は、生徒が先生に暴力を振るう事件もある時代だ。
然るに番長の格好と言動に、身の危険を感じるのは致し方ない。
もとより事なかれ主義の担任教師だ。安月給でこき使われて、其の上に痛い思いまでもしたくはないのだろう。教師を責めることもできまい。
「では、誰か案内を頼もうか、ええっと」
先生が言い終わる前に、番長はまっすぐ、僕を指差す。
激しく、嫌な予感がする。嫌な汗が背筋をすべり落ちる。
「俺様を案内するのは、貴様だ。この中では一番骨がありそうだからな」
骨? 骨は誰でもあるだろう。
くらげじゃああるまいし。僕は確かに、毎朝の牛乳は欠かさないが、そのせいで、骨が人より多いとでもいいたいのか?
内心番長に突っ込む。鋭いまなざしはこちらをとらえて離さない。どこまでが冗談で本気か測りかねる。不思議と恐怖は感じない。が、厄介さは鉛のように心に重くのしかかっている。
「そうだな、天城。よろしくたのむぞ」
僕が、思考のループに陥っていると、先生が僕にとんでもないことを告げていた。
やはり、嫌な予感は的中したのだ。
僕は、最悪のこの事態をなんとか回避するために、対策を頭で列挙した。
そのなかで、もっとも有力な案を実行に移す。
まあ、案といってもたいした事はない。
もうすぐ授業が始まる今、案内は後の方がいいのでは? と提案するだけだ。
人間は正論には反対しづらいし、学生の本分は勉強のはず。
僕は読書は好きだが、勉強が好きなわけではない。とはいえ、朝一番から番長と二人で校内をめぐるよりは、授業を受けていた方が数倍ましというものだろう。
運がよければ、案内する必要性自体が消滅するかもしれない。と、淡い期待を抱いて僕が先ほど考えた提案を先生に告げると、先生はにやりと笑った。
「天城。お前のいう事もわかる。学生の本分は勉強だ。しかし、この二度とない貴重な時間を同世代の人間とすごし、そこから何かを学ぶのも大事なことだろう。
彼は、これからこのクラスで、一緒に学ぶ仲間だ。何よりも最初に、仲間にこの学校を知ってもらう。これも至極大事なことではないかな」
さすがに、僕の倍は生きている人生の先輩だ。僕より、数段上の正論で、提案を切り崩してくる。正論というかこじつけだが。番長を仲間と思うかは別として、たいした論理展開だ。
僕は素直に感心した。僕もさらなる研鑽を積まねばなるまい。
しかし、どうしたものか……。
クラスを見渡すが、誰も僕に目をあわそうともしない。
よほど、番長を案内するのが嫌と見える。
至極、当然のことだろう。
僕も、できれば関わりたくない部類の人種だ。
まあ、仕方がない……。
番長自身が僕を指名してきているのだし、いくらなんでも、突然襲ってくることはないだろう。多分。
それに、公然と授業をサボれる機会は、滅多にないことだ。授業については誰かにノートを写させてもらおう。
僕は無理やり、プラス思考で考えを切り替えると、案内を引き受ける旨、先生に伝えた。
「そうか、天城。引き受けてくれるか。先生はお前を信じていたぞ」
よほど、うれしいのか先生は満面の笑みを浮かべて、僕をほめてくる。
朝錬で疲れた体をおしつつ、僕は教壇の前に歩いていく。
僕はため息を押し殺すのがやっとだった。
「授業は気にせず、ゆっくり回って来い、今日は特別だ。何時限かかってとしても、全部出席扱いにしてやるぞ」
先生の声が僕の後ろから、聞こえてきた。こんなことでいいのだろうか。
うれしいような。悲しいような。二律背反の気持ちに、僕はただため息をつくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます