第11話 アメリカを作った思想

 英語の単語で、英国と亜米利加合衆国で同じものを示すのに異なった単語の場合がある。

 ジェニファー・ラトナー=ローゼンハーゲンという人の『アメリカを作った思想――五〇〇年の歴史』(ちくま学芸文庫)を読むと、それは意識的に作られた側面があったそうで、要は亜米利加語を作ろうとしたのだと僕は理解した。

 これも念頭に置きつつもっと言うと、亜米利加合衆国は人工国家とも言われてきたと認識している。

 江藤淳は、『アメリカと私』に確か、亜米利加合衆国で生活するには自動車が必須で、食料を距離の離れたスーパーマーケットへそれに乗って買い溜めに行かなければならない、というようなことを書いていたと思う。

 また、坪内祐三の文章を通して知ったことでは、福田恆存がアメリカの食べ物は不味いと書いていたようで、これはうろ覚えだが、その不味さは僕らが思うようなものではなく、何と言うか味がしないのだと。

 現在の日本において、地方都市という言葉がどれくらいの規模の地域を指しているのか僕は知らないが、人口がそんなに多くなくても、スーパーマーケットやドラッグストアがあって、洋服店があって、一〇〇円ショップがあって、ファミリーレストランがあったり家電量販店があったりという、モール的なものがある街は多くあると思う。

 江藤淳が嘆いていた亜米利加合衆国の自動車社会に似ているとも言える感じもするけれど、日本の現在の食べ物のおいしさは、ちょっと異常なくらいだと思う。福田恆存が亜米利加合衆国に感じたのとは異なる。

 人工国家という問題設定は、国家の起源はその後のその性質にも影響を及ぼすという見方を含んでいるのかも知れない。人工ではない国家には、また違った性質があるということにもなると思うのだが、この問題設定、どれくらい有効なのだろうか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る