第10話 「共感」する読書
僕は、『世界思想教養全集 8 悲劇の思想』(河出書房新社)収録の「死にいたる病」を読んだことがあるが、クライマックスにおいて人生で最初で(いまのところ)最後の読書体験をした。
自分としては「なるほど、そういうことか!」という感じで、このキルケゴールの著書の文意を理解できたことによる意識の変化、光を見るような体験をしたのだと、直後には思った。
実際に視界が白くなった訳ではない。しかし、自分の肉体感覚、周囲(空間)の認知感覚が変化したみたいだったのだ。
西野カナさんの音楽作品では、そのタイトル通り「会いたくて 会いたくて」身体が動作してしまうと描かれるが、この読書体験の場合には或る真理に到達した(という思い込み?)によって、身体が熱をもったのかも知れない。
僕は、キリスト教信者ではない。しかし、情的に親しい距離にある仏教の宗派がある。(浄土)真宗大谷派である。
浄土真宗系は南無阿弥陀仏を筆頭に、一神教との類似性を多くの識者によって指摘されてきた歴史があるらしい。
しかし、僕は思想家として見た親鸞に興味があるという感じなのである。
キルケゴールのこの著作についても、宗教的な救いを求めて読んだ訳ではない。
それでも、文意を汲み取ろうと読んでいる内に、おそらく「共感」してしまったのではないか。小説を読んで共感する、というような言い方があるが、本当に「共感」してしまったら、こうなってしまうのではないか。
高橋源一郎さんの本のタイトル『人に言えない習慣、罪深い愉しみ――読書中毒者の懺悔』も想い起こさせられる。
* 高橋さんの著書タイトルは、ドナルド・バーセルミの著書を念頭に置いたものでもあると思われます。
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