第42話 捕まらなければ前科は付かない
次の日、俺はアイの情報を集めるために準備を進めていた。
裏社会の情報を手に入れるには、裏社会の人間が集まる場所に赴く他はない。
油断すれば金どころか命すらも失う可能性がある場所。
いくら自分の本来の居場所だからといって、油断は禁物だ。
荷物をまとめていると、ふとソファに視線が行く。
アイがいつものようにノートパソコンをいじっているような気がしたが、そこには当然誰もいない。
それから、ふと良い匂いがした気がしてキッチンに視線を向けるが、そこには何もない。
どうしてだろうか。
昔に戻っただけだというのに、心に穴が開いてしまったような気分だ。
たった数日でも俺にとって二人はそこにいるのが当たり前の存在になっていたのだ。
身近な人間が消える感覚は何度あっても慣れない。
このまま一緒にいたら情が移ってしまうことくらいわかっていたはずだったというのに。
「……余計なことは考えるな」
アイやディアナとの日常など、本来俺が得る権利もない儚いものだったのだ。それを惜しむなど、バカげている。
俺には守らなければいけないものがある。アイを助けるのはあくまでもケジメだ。
両手で頬を叩いて気合いを入れ直して事務所を出る。
「おはよう。あっ、もう昼だからこんにちはかしら?」
「ディアナ、何でお前……」
すると、目の前にはディアナが立っていた。
「確かに依頼は達成。あたしが依頼料として母親代わりや家事手伝いをする必要はなくなったわ」
ディアナはそこで言葉を区切ると、意を決したように告げる。
「でもね。あたしにはアイちゃんのピンチに黙って指を咥えて見てるって選択肢はないの」
「だったらどうするっていうんだよ」
もうディアナには何もできない。
何せ、彼女は元を正せばただの依頼人でしかないのだ。
「婚姻届、出してきちゃった」
「お前正気か!?」
ディアナが初めて俺の元へやってきたときのアイの悪戯。 この婚姻届は、俺の署名と印鑑の部分もアイに嵌められて記入済み。
つまりディアナが自分の箇所を埋めてしまえば完成してしまう状態だったのだ。
「証人はアレク警部とロゼミに頼んだの。今朝、役所に提出してきたわ」
「何でわざわざそんなこと……お前、まさか」
「ええ、そうよ。これであたしは正式にアイちゃんの母親であんたの妻よ。首を突っ込む理由は十二分にあるわ」
ディアナの依頼は終り、俺達の関係も終わった。
だが、彼女は正式に家族になることで一から俺達との関係を始めることを選んだのだ。
「お前、イカれてるな」
「あら、ありがとう。この街の刑事にとっては最高の褒め言葉ね」
ディアナは軽く微笑むと、表情を引き締めて真剣な表情を浮かべて尋ねる。
「ねぇ、ライアンは裏社会の事情に詳しいのよね?」
「……それはお前が知るべきことじゃない」
「刑事が犯罪について知るべきことじゃないってことはないでしょうに」
俺の言葉に肩を竦めると、ディアナは本題に入る。
「Mr.ネロが言っていたハロウィン・シンジケート。アイちゃんを攫った連中と関わりがあるんじゃない?」
「プライ姉さんは組織を追って命を落とした。お前だって例外じゃない」
「あたしがタフなのは知ってるでしょ」
どうやら意地でも引くつもりはないらしい。これはある程度話さなければ納得はしてもらえないだろう。
「はぁ……この街の――いや、この国の裏社会を牛耳っている犯罪組織ハロウィン・シンジケートは、親父の言っていた通り、この国に蔓延る巨大な犯罪組織だ」
俺はざっくりと組織についての概要を語る。
「奴らの資金源は様々だ。麻薬取引や詐欺は序の口。表のシノギで稼ぐために邪魔になる奴は容赦なく殺す。これだけのことをしても捕まらないのは、政界やマスコミ、警察関係者とも繋がりがあるからだと俺は見てる」
「警察関係者……」
ディアナがごくりと唾を呑む。きっと警察官僚である父親が組織に関与している可能性を考えたのだろう。
「可能性の話だ。それに奴らが一番稼いでるのは贋作ビジネスだろうからな」
「贋作ビジネス?」
「有名な怪盗のシャノワールやベオウルフが美術品を盗むたびに計ったように偽物が出回った。どうしてだと思う?」
「まさか……!」
ディアナもこの街に贋作が出回っている理由に思い当たったようだ。
「そうだ。有名な怪盗が美術品を盗めば、裏で取引される可能性を真っ先に考える。非合法でもお構いなしに美術品を欲しがるコレクターは盗品だろうと買い取るだろうよ」
その上、盗品だとわかって買い取ったとなれば被害は訴えづらい。そこも計算尽くのあくどい商売というわけだ。
「そんでもってブランド品とかの贋作は、贋作師の小遣い稼ぎの影響だろうよ」
「じゃあ、Mr.ネロが命を狙われた理由って」
「自分の盗みを利用して贋作を作られたことをあの芸術家気取りのコソ泥が許すわけがない。本物を返したりされちゃ贋作ビジネスもご破算になる」
「邪魔者は消すってわけね」
親父が命を狙われたのも結局は自業自得。
自己顕示欲が強すぎたが故に、組織の資金源を潰して命を狙われたのだ。
「ライアンはどうして組織を追ってるの?」
「別に追っちゃいねぇよ。この街で探偵をやる以上、裏社会の情報屋を使うこともあるってだけだ」
言ってみれば俺も組織の恩恵を受けて生きている人間の一人だ。
表に出回っている情報なんて所詮氷山の一角に過ぎない。
早くて正確な情報はいつだって裏社会に転がっているのだ。
「だったら!」
「ダメだ」
俺はディアナが何を言い出すのか予想できたため、立ち上がった彼女を手で制した。
「刑事を連れてきたとなれば俺が信用を失う。裏社会でそれは死に直結する」
情報屋を紹介して欲しかったのだろうが、ディアナを連れて行くということは仲間を売るということと同義だ。
「だったら、刑事をやめるわ。ベオウルフを追うのは警察じゃなくてもできるもの」
「お前……本気か?」
「本気も本気よ」
ディアナの目を見ればわかる。あのときの姉さんと同じ目をしている。
今の彼女に何を言っても止まることはないだろう。
「わかった。刑事は辞めなくてもいい」
「え?」
「その代わり、犯罪者を見ても見逃す、俺の言うことに従う、刑事だってことは絶対に隠す。この三つを絶対に守れ」
「ありがと……無理言ってごめんね」
「そう思うなら端っからこんなこと頼まないで欲しいもんだ」
俺はすぐに出かける支度をするために自室に向かう。
「ねぇ、ライアン」
ドアノブに手をかけたタイミングでディアナに呼び止められる。
「何だ?」
「もしかしてあんたも前科持ちだったりするの?」
ディアナはどこか不安そうに俺に尋ねてくる。
俺はそんなディアナに正直に答えた。
「安心しろ。警察のお世話になったことは一度もない」
捕まらなければ前科は付かないからな。
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