第29話 名探偵プライ・スローン

 ディアナに聞かれて考え込む。

 何て言ったらいいものか。


「選択肢がなかったから、ってとこだな」


 俺には自分がやりたいことを選ぶ権利なんて最初から存在していなかった。それこそ、生まれたときからだ。


「ま、探偵になったのは憧れもあったんだけどな」

「憧れ?」

「プライ・スローン。俺の歳の離れた姉で、探偵をやってたんだ」

「あっ、知ってる! 確かいくつもの難事件を解決したことで有名だった名探偵プライよ、ね……」


 ディアナは興奮したように目を輝かせるが、しばらく固まると目を見開いて叫んだ。


「えっ、あの人ライアンのお姉さんだったの!?」

「苗字で気づけよ……」

「だって、スローンなんてどこにでもいる苗字じゃない」


 日本なら佐藤、ドイツならミュラー、イタリアならロッシ、イギリスならスミス。

 この国でのスローンはそんなありふれた苗字だ。ディアナが気づかないのも無理はない。


 ありふれているといえば、ライアンという名前もスペインでのディエゴくらいありふれた名前だ。

 うわっ……俺の名前、ありふれすぎ……?


「そっか、名探偵のお姉さんに憧れて探偵を始めたのね」

「ま、そんなとこだ」


 ふと、視線を感じてアイの方を見てみると、アイは悲し気な瞳でこちらを見ていた。


「素敵な理由じゃない。あっ、食器片しちゃうわね」


 そんなアイの様子には気がつかずに、ディアナは食器類を片付け始める。

 手伝おうかと思ったが、そもそもこれはあいつの仕事だ。依頼料の代わりに家事手伝いやってるわけだし。

 食後にのんびりとソファでくつろいでいると、アイが大量の郵便物を持ってやってきた。


「パパ! お手紙溜まってるよ!」

「全部まとめてゴミ箱にいれといてくれ」

「せめて中身くらい見なさいよ……」


 呆れたようにディアナが呟くが、こちらにも言い分はある。


「公共料金は全部引き落としだし、依頼は電話かメールでしか受け付けてない。つまり、それは全部ゴミだ」

「結婚式の招待状とかどうするのよ……」

「仲の良い人は俺が郵便物を碌にみないの知ってるから、電話かメールをしてくれるんだよ」


 それに、本当に重要な連絡は大体直接会って話している。

 こうしてたまに届く郵便物は、どうでもいい内容の手紙ばかりなのだ。


「まったく……じゃあ、あたしが中を見ちゃうわよ」

「好きにしてくれ」


 どうせいつも通り大したものは入っていないだろう。


「ちょっと! これMr.ネロのマジックショーのチケットじゃない!」


 俺はディアナの声に反応して顔をあげる。

 すると、そこには満面の笑みのディアナの姿があった。

 その手に握られているのは、世界的に有名なマジシャンMr.ネロのマジックショーの特等席の入場券三枚だった。

 つまり、ゴミである。


「そんな紙切れで騒ぐなよ」

「紙切れ!? Mr.ネロよ! しかも特等席のチケットよ! あんた価値わかってるんの!?」


 ディアナは信じられないものを見るような眼差しで俺を睨む。

 興味もないし、こんなものもらったところで行く暇もないのだ。


「価値はわかってるよ。俺にとっちゃ紙屑同然ってな」


 というわけで、ディアナの手からチケットを奪い取った。


「あれ、いつの間に……!」


 ディアナは突然自分の手からチケットがなくなったことで目を丸くしていた。

 その隙に未練が残らないようチケットを細切れにしてやろうと手に力を込める。


「こんなもんに現を抜かす暇があったら仕事しろ」

「あー! ダメダメ! 破っちゃダメー!」


 ディアナは諦めきれないのか、泣きそうな顔で俺にしがみついてきた。


「お願いよ! いらないならあたしにくれたっていいじゃない! 三枚もあるんだし!」

「何、お前マジックショー好きなの?」

「大好きよ! それにMr.ネロはずっと昔からファンなんだからァ!」

「よし、細切れにしてやる」

「鬼ィ!」


 ディアナは俺にしがみつきながら泣いていた。どんだけマジックショー見に行きたいんだよ。

 しばらく揉み合いになっていると、アイがこちらに注意を向けるように手を叩いた。


「パパ! ママを泣かせちゃ、め!」

「いや、だってな……」


 俺はこのマジックショーを意地でも見に行きたくなかったのだ。

 俺が渋っていると、アイは嫌な笑顔を浮かべて告げる。


「ふーん、アイにそんな態度とっていいんだ?」

「チッ、わかったよ……」


 やはり俺はアイには敵わない。そんな顔をされたら俺に選択肢はないのだ。

 渋々チケットを渡すと、ディアナは頬を膨らませて不満げに抗議してきた。


「ちょっと待って、何かあたしと扱いの差が酷くない!?」

「むしろ何で扱いが一緒だと思った」

「ぐぬぅ……」


 そして、仕方なく俺は家族サービスということでマジックショーに同行することになってしまった。

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