第21話 現れた地上の明月

 予告状の日がやってきた。

 数日前、宝石商のスタンリーさんから受けた浮気調査の依頼の際、俺は対象を尾行中に宝石窃盗事件に巻き込まれた。

 事件解決後、関係者であった財閥令嬢ロゼミ・クロサイトのポケットには怪盗ベオウルフからの予告状が入っていた。


 予告状にはこうあった。


【この度は私の名前を騙られたことによってご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ない。お詫びと言っては何ですが、三日後あなたから三年前にいただいた〝月夜の雫〟をお返しいたします。怪盗ベオウルフ】


 そして、今日はその予告状に記された宝石を返却する日というわけだ。

 地上の明月は、見事な円形が特徴的な大粒のトパーズだ。

 まるで夜空に浮かぶ満月のように鮮やかな輝きを放つ、非常に価値のある宝石である。

 ベオウルフがロゼミの元から盗んだ直後は偽物が裏で出回り、多くのコレクターが偽物を掴まされたのも有名な話だ。


 そんな地上の明月が返却されるというのだからマスコミ各社は大騒ぎで、テレビは予定を大きく変更してどこの局も怪盗ベオウルフの特集番組を放映している。


『本日は何と怪盗ベオウルフが以前クロサイト令嬢から盗んだ地上の明月を返却するとのことです! そして、昨日また新たな予告状がクロサイト令嬢の元へと届きました。クロサイト令嬢、件の予告状を見せていただけますでしょうか?』

『もちろんですわ! こちらをご覧なさい!』


 テレビには、嬉々として予告状をカメラに向けて見せているロゼミが映っている。


『今宵、美しき満月が天高く輝くとき、以前あなたからいただいた地上の明月を返却させていただくため、闇夜を切り裂いてクロサイト美術館に参上いたします。怪盗ベオウルフ』


 おおっ……と周囲にいた野次馬達がどよめく。

 リポーターも興奮したように鼻息荒くロゼミへとマイクを向ける。


『それでは、クロサイト令嬢。怪盗ベオウルフさんに何か一言お願いします!』

『まず、あなたの紳士的な配慮に心からの感謝を。そして、以前差し上げた地上の明月を返却していただけるとのことで、警備は最小限にしてお待ちしておりますわ。今回は何の罪犯さないあなたを捕まえるわけにはいきませんもの。それでは、今晩あなたの来訪を心からお待ちしておりますわ』

『クロサイト令嬢、ありがとうございました!』


 ロゼミが画面から消えるとカメラはスタジオに戻り、今までの怪盗ベオウルフの事件の振り返りが始まる。


「相変わらずベオウルフは大人気だねー」

「ふんっ、何が〝今回は何の罪も犯さない〟よ。不応侵入じゃない」

「一応、ロゼミが招いている形になるから不法侵入にはならないんじゃないか?」

「うぐっ……それは、そうだけど」

「私はママのベオウルフ追跡中の器物損壊の方が問題だと思うなー」

「ぐぬぅ……」


 アイの一言にディアナは言葉に詰まる。

 ディアナは今までベオウルフを追跡する際に数々の物を破壊している。

 むしろ、よく今まで始末書だけで済んでいたものだ。


「ディアナは今夜クロサイト美術館に行くのか?」

「ええ、有給中だけど私のとこにも緊急招集がかかってるの。ライアンもついてきてくれる?」


 ディアナはベオウルフ専任の刑事として有名だ。

 そのディアナがいなければ、報道陣は逃げたと警察側を揶揄することも可能性としてはあり得る。

 それに捜査二課の人間だけじゃベオウルフの影すら踏ませてもらえないだろうからな。


「ま、そういう契約だからな」


 俺は先ほどまでのニュースを見ながら答える。

 おっ、スタジオのゲストで来ている女優、かなり美人だな。あとでチェックしておこう。


「アイも行きたい!」

「あのね、アイちゃん。さすがに今回は――」

「いいぞ」


 俺が許可を出すと、ディアナは信じられないものを見るような目で見てくる。

 そんな彼女に言い聞かせるように告げる。


「アイはうちの探偵事務所の所員であり、俺の助手だ。異論は認めない」


 俺の言葉にディアナは呆れたように冷たい視線を俺に向ける。


「あんた十歳の娘を夜遅くまで働かせて罪悪感とかないわけ?」

「安心しろ、家業を手伝っている扱いで給与は発生しないから」

「労基の心配はしてないわよ! あたしはアイちゃんの心配をしてるの!」

「大丈夫だよ、ママ。それにベオウルフ絡みならアイがいた方がいいと思うよ」


 アイが自信満々に言うと、ディアナは不思議そうに首を傾げる。


「どういうこと?」

「だって、変装の達人のベオウルフも子供には化けられないでしょ」


 怪盗ベオウルフは変装の達人として有名だ。

 男女問わずに誰にでも化けることができ、この技術こそがベオウルフの正体がいまだに不明である大きな要因だ。

 変装技術はもちろんのこと、変装する相手を短時間で徹底的に調べるリサーチ力、声や口調も完全にコピーする精度の高い声帯模写。

 これらがあるからこそ、ベオウルフの変装技術はまず誰にも見破られることはないのだ。

 そんなベオウルフでも化けられない存在がいる。それが身体の小さな子供だ。


「現場にいる人間は誰が本物で誰が偽物かわからなくなる。情報も錯綜して混乱するのが目に見えてる」

「なるほど……そこにアイちゃんがいれば、絶対に信頼のできる味方になるわけね」

「そゆこと!」


 アイが胸を張って肯定すると、ディアナは納得したようでそれ以上は何も言わなかった。


「「ごちそうさまでした」」

「お粗末様でした」


 その後、俺達三人は揃って朝食を食べ終える。

 今日の夕食まで帰ってこれるかわからないし、今日は外食にするかな。

 そんなことを考えながら身支度をしているとインターホンが鳴る。


「お邪魔しまーす!」


 やってきたのはエリィだった。

 いつものような明るい笑みを浮かべている彼女の手には、蓋のされたバスケットが握られていた。


「こんな朝早くからどうしたんだ?」

「聞きましたよ! 今夜、怪盗ベオウルフと対決するんですよね!?」

「ああ、夕方くらいから現場入りする予定だよ」

「そうだと思って、夕食用にお弁当用意しておきました!」


 エリィが差し出してきたのは、蓋のされたバスケットだ。

 おそらく中にはサンドイッチが入っているのだろう。本当にありがたい限りだ。


「わざわざありがとな」


 俺は礼を言ってそれを受け取る。


「エリィさん、ありがとう!」

「何だか悪いわね」

「いいんですよ。ライアンさんは常連ですし、昔から助けられてるんですから」


 エリィは嬉しそうに微笑むと、そのまま踵を返す。


「それじゃ私はこれで失礼します! 今度、怪盗ベオウルフのお話聞かせてくださいね!」


 そう言い残してエリィは帰っていった。

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