第37話 七色の旅へ①
「さて、今日はまだ、ご予約の方はいらっしゃらないのです」
(急な場合には、わかりませんが、今のところ、ということですね)
「こういう日には、ゆっくりといたしましょう」
そうは言ったが、地球上の街の中においての「ゆっくり」とは随分違っているのが、ここ七色書房の場所である。
ここ七色書房は、街と森の間にある。
そう説明はしているが、地球と他の星々との間という言い方もしている。
実際のところ、夢や瞑想の中でしか辿り着くことは無い場所なのだ。よって住所や番地らしいものは、もちろんのことではあるが無いということになる。場所の特定に必要があるのでは? と考えるかもしれないが、七色書房にあるのは住所や番地では無く、書房なりの固有の周波数を持っている、ということだろうか。その周波数に縁のある人達は出会うことになるだろう。
書房の形やその風景も訪れる人によって見え方が違っているということも普通に起きていることだ。七色の姿も出会う人によって違っているが、それ自体は間違ってもいない。それは違うもの、違う存在ということではなく、見え方がどうであろうと七色書房の本質は存在している。それは七色も同じである。
でも例えば、最近の流行、というようなものはあるようだ。
七色の中での最近の流行は「ワンピースに白のエプロン姿の女性」だった。少しダーツの入ったフリルがエプロンを縁取り、後ろで蝶結びをするタイプの白のエプロンだ。その下に着ているのは足首より少し上の丈の襟付きの濃紺のワンピース、とイメージを描いていた。おそらく「喫茶」というような地球の街の中にある場所においての定番中の定番と言われるようなものをわざと選んでいた。 歩く度に揺れるワンピースの裾、その形を変え続ける流線の動きを目で追うのは、なかなか飽きること無く楽しく思えていた。
しかし、この姿というのも採用しただけなので、ずうっと同じ出で立ちということでは無い。
私たちは地球にある素材で出来ている身体で存在しているが、それだけの存在では無く、エネルギーとしてのもう一つの身体を同時に持っている。意識の身体とか気の身体、光の身体など様々な呼び方がある。これは地球の見える物質とは組成が違っているので、物を見ようとする目では見えない身体ということになる。見えないけれど「在る」もうひとつの身体である。この見えない方の身体の存在を忘却したまま地上を生きているのが私たちで、それを思い出し始める時期に入っている人達も多くなってきているようだ。
ここ七色書房で生命ある者たちが出会う時には、もちろん地球製の身体では出会ってはいないということになる。地球的常識からすれば見えない身体、見えないエネルギーの身体で出会っている私たちということになる。
地球人の私たちは「地球人という側面」を持ちながら「宇宙の生命体という側面」を持つ、どちらか片方というわけではない存在であり、それらを多くの場合忘れているという存在でもある。
例えば占星術は、その自分自身を思い出していくための重要な手がかりになる。縁あって出会った「複合的な生命である存在」によって、これまでも現在も様々なことを七色は学び続けている。
私たちは各々自分が知っているもの、信じているものを通して、ものを見ているという存在だ。それぞれが知っていることも信じていることも育った環境や生きて来た環境が違っているのだから、外に見えるものの印象は各自ことごとく違っていたりする。
特に共有できる地球製の物質というところを土台から外してしまうのが夢や瞑想の世界だ。私たちが信じこんでいるもの、信念、それらは夢の世界や瞑想の形無き世界でより際立つだろう。これまでの過去の経験とその意味付けによって、今日の私たちはすでに何かを信じている、信じてしまっていることに無自覚なまま多くの日々を過ごす、という存在なのだ。
見えているものから共有できる正しさというのは、地球の物質世界の特徴だと言える。ものの世界には丸や三角、そして四角をのものを見て、丸い、三角だ、四角だね、と言い合うことができる。それは物質的括りの世界の中では、お互いのものの見方や感じ方が違っていたとしても、ある程度話を合せることが可能だということでもある。それゆえの便利さや、何より地球生活においての安心感のようなものを体験することが出来るだろう。
それが「地球旅行」の醍醐味なのかもしれない。それはおそらく地球にしか無い地球だけのお楽しみなのだ。
そして地球生活の毎日の中では、手のひらに乗るような三角形と、判別出来ないくらい大きな三角形が並んでいたとしても内包されていたとしても、私たちに「ある」として認識出来るのは「見える」ものの方である。
しかし、その「地球旅行」が旅行であったことを忘却してしまうことになると話は違ってくる。永遠にここしか無いと思い込んで地球に居る状態というのも存在しているのだ。旅人であることを忘れてしまうと、私たちはどうなってしまうのか?
それはわかりやすい。
「探す」ことから手を離してしまうのだろう。
それも計画だという場合があるだろうが、今ここという「地球生活」に何か重要なものが足りない気がするという実感を持っている人達も一定量いるようだ。地球生活独特の縛りに耐えられず、息が出来ない、自分の居場所はここじゃ無いという実感の人達もかなりいる。ここ(地球社会)でやる(実行)ことがまだ見つからない、という人たちだ。
逆に地球にどっぷりと浸かって幸福感に溢れる人達もいる。その場合には空を見上げて信号を見つけようとしたり、どこかにいるはずのまだ見ぬ仲間を探そうとする意識にはならないだろう。
(今日は最初から日誌のようになってしまいました。まあ、それもよし、ですね。きっと……笑)
七色は通常書房にやって来た人たちとの出会いを毎回記している。が、今日はまだ誰もやって来ていない。まだ予約は入っていないようだ。飛び込みのような急な予約という場合も少なくないから、いつ何が起きるかはわからない。今日の七色書房もまだ始まったばかりなのだ。
(
七色は最近のことを思い出した。地球のとある年の春分の直後に書房にやって来た人達のことを思い出していた。
「時々書房にいらっしゃる方もいますが、皆様、今日も元気にしてらっしゃるでしょうか」
ひとり呟きながら、カウンターの奥の壁面にある大きな棚に並んでいるカップ&ソーサーを順に目で追っていた。
「この棚には方向があります。上下、左右、そして斜めと、中心から見て八方向に広がっている作りになっています。この九つの棚の中のどれを選ぶのか、そこにはその時のその方の感情が表れているのです」
(それについても、また、ゆっくりとお話していきましょう)
七色は何かを思い付いたようだ。仕事机の方へと向っていった。
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