第16話「熊男」とお茶を①

 森で暴れている熊がいる、と森からのいくつかの連絡が入った。正確に言うと熊ではない。熊のような、人、男性ということらしい。それは街の方からやって来たらしい。

 森の中には七色の知り合いたちがたくさん住んでいる。その存在たちは人間の形はしていない。様々な動物に似た形態の存在は結構いるが、地球にいる動物そのままということでもなく、形や生き方が少し違っているようだ。

 彼らからは、好きな形態を選べるとしても「人間」というスタイルをわざわざ好んで選ぶことはあんまり、いや、ほとんど無いよ、という話を聞いたことがある。

 街にほど近いところにちょうど居たという存在からの連絡では、アブナイ、アブナイという声が七色には聞こえて来ていた。暴れはじめた現場の近くに居たらしい。そういう連絡が入っては来てはいても、七色は首をかしげながらいた。


(おかしいなぁ、それでも、その方なのですよね、おそらく…)


 七色が書房の外に出てしばらく森の周囲の様子を伺っていると、それらしき音が聞こえてきた。文句を言い、声を荒げながら徐々に近付いてくる。歩きながら枝を振り回して周囲の木々や草、木にもぶつかっているのだろうか…。「バサッ、バサーッ」「ガサッ、ドンッ」という音と一緒に、荒げた声も聞こえてくる。でも喧嘩しているような相手は居ないらしい。一人で騒ぎながら歩いているように思えた。

 その音が近付いてくるほどに、七色の中にあったハッキリしていなかったものが確信へと変わっていった。


(やはり、そうですね)


 その声の主が森を抜けて書房の前の少し開けた道に出ると、熊は七色と目が合っってしまった。そこでぱたりと足を止めた。同時に静かになった。機嫌は悪そうなままだが、何かを考えているようだ。先に七色はひと言も話さず書房の扉を開けたままの状態にして、店内へどうぞ、と言わんばかりに片手をスッと伸ばして店内の方へと案内した。黙ったままの二人の出会いだった。


 それを見ていた熊は、遠慮無く前進し近寄って来た。二メートルはあろうかと思われる背の高さのしっかりした体格の熊だった。深くは無さそうだがどうも腕にすり傷がある。ここに来るまでの間の道中でケガしたようだ。随分と枝を振り回しながら自分自身が木々にぶつかって来たらしい。

 

「がうっ、がうがうっ」

(何なんだよ。ちっ)


 そう言って、扉を開けている七色をほぼ無視する形で、それでも今は何も壊すことも無く、案外とおとなしく店内へと入っていったので七色は不思議に思った。

(あら…)


「がうー、ががっ」

(もう疲れたんだよ。だからいいよ)


「どうぞ、お好きなところへお座りください。」

 店内に入った七色がそう言うと、熊はキレた。

「ぎゃっ、がががうっがぁーっ」

(どうせ捕まるんだろ? オレは。 じゃぁもういいじゃないか。早く捕まえろや)


(あらあら…荒れてますね)

「あなたを捕まえたりしませんよ、ここは」


「がっ…ががぁ、がうっ」

(えっ? もう逃げるところも無いと思って、疲れたんだよ。どうせ捕まるんならもう、いいやって。人の畑を森の木々をクチャクチャにしてきたんだ、でも、もう逃げるのも疲れたぁ)


 自分を捕まえるための誘導なのではないか? 

 どこかから何人かの人たちが現れて自分を取り囲むに違いない、そう疑いながらも大きなため息をついて、もういいやと諦めたように男は奥の席にドスンと力を抜いて腰を下ろした。たくさんの畑や木を傷つけたという自覚はあるらしい。

(どうしてこうなったのか…気が付いたら振り回してたんだよ…ああぁ)


 七色は書房のカウンターの中へと入っていく道すがら言った。

「随分と派手にやられたんですか?」


「は?」

 七色が尋ねると、熊はいつの間にか一人の男性になっていた。


 いや、時折大きな熊がまだオーバーラップしてはいたが、薄くなったり濃くなったりの点滅を繰り返していた。

 時折、牙を剥いている。このままの姿で出くわしたなら、さすがに街の人たちには怖がられ、危険だと判断されてしまっても仕方ないと思われた。


「えっ、何かもう、聞いてるんだろ? 知ってて聞くなよ、結構悲鳴も聞こえてたし、何度も吠えたし、通報されたと…」

「存じ上げません。捕まるって何してそう言ってらっしゃるのかなと…」

 七色は不思議そうな顔をしてそう言ったのだろう。恐がりもせず自分と会話している目の前の存在に、男は目を見開いたまましばらく一時停止していた。

 一時停止している間に、熊は一人の男の姿の方になり、そのまま熊には戻りそうになかった。少なくとも七色にはそう見えていた。


 年の頃は四十前だろうか…、いや三十代前半か…。

 疲れてはいるようだが、見た目の印象よりも本当はさらに若いような気がした。

(目が、かなり幼いです…)

 七色にしてみれば、熊であろうが四十前の男性であろうが、あまり変わりは無かった。いや、さらにもっと別の形態バージョンの姿も私たちは持っているのだから、と七色は捉えていた。

(ともかく今は、あなたは、このふたつの姿なんですね)


 黙って見開いたその大きな目が自分の方を見て固まっているのを見て、七色はほんの少し笑ってしまった。ほんの少しの間にすでに熊と男の点滅は無くなり、すでに一人の大柄な男が座っている。その男が七色の顔を見て、あまりに驚いているようだったから可笑しくなってしまったのだ。


「なんっ、なんなんだよっ」

 まだ若い、目の前の女子に自分は笑われている。怖がられているのでは無く、笑われているという事実に戸惑う自分がいるのを男は感じていた。


 七色の小さな笑い顔に、男は焦っているようでもありながら、どことなく気恥ずかしそうにも見えた。


 どうも今回の出会いでは、七色は若い女子に見えているらしい。喫茶店の、女子と言えば、たとえば…と七色は自分の姿を思い浮かべた。

 長くて白いエプロンをしている。ちょっとだけダーツの入ったフリルがエプロンを縁取っていて、後ろで蝶結びをするタイプだ。そのエプロンの下に着ているのは足首より少し上までの丈の長さの襟付きの大人ワンピースということで、とイメージを描いていた。浮かんでいたワンピースの色は濃い紺色だった。地球の街の中でも定番中の定番というやつだろうか…。


(それもまた…)

 納得したように頷いている七色だった。歩く度に揺れるワンピースの裾を見てちょっぴり楽しい気がした。













  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る