「ラン・アンド・廃ランド」


 ぼくは現在、最悪の状況にある。

 最悪の状況のなかを、死に物狂いで駆けている。

 なぜなら、追われているから。

 なぜなら、命が懸かっているから。

 なぜなら、ぼくを追っているのは、バケモノだから。

「あともうちょい!」

 ぼくは走る。走る。走る。

 止まれば命はない。止まらずに走れば、ぼくは助かる。たぶん。

 このまま走り続ければ、やがてぼくは仲間たちのもとへ辿り着き、そして、バケモノのほうが死ぬこととなるはず。ぼくは今、生と死の瀬戸際を走っているのだ。

 そうそう、前述したぼくが嫌いな項目にひとつ追加したい。

 追いかけること、追われること、そして。

 追わせること。


     *

 

 そもそもなぜこんなことになったのか、少しだけさかのぼる。

 始まりのその日は、ぼくらの卒業旅行の日でもあった。

 ぼくらはバスに乗って、とある有名なテーマパークに向かっていた。みんな浮かれていて、バスの中は大騒ぎ。

 けれど、到着したそこは、とんでもない場所だった。

 お菓子の甘い香りなんか漂っておらず、血を思わせるような嫌な鉄の臭いに満ちていた。愉快な音楽なんか流れておらず、陰鬱いんうつで、調子の狂った音がやかましく鳴り響いていた。

 それは、どう見ても廃墟だった。

 僕らはただただ困惑した。バスの運転手さんにどういうことか聞いても、彼はまるで催眠術にかかったようにぼんやりしているだけで、何も答えなかった。ぼくらは誰もかれも、なんでそんなところへ来てしまったのか、まったく理解できなかった。

 そんな中で、

「はーーーい、みぃいいいな、さあああああん!」

 遊園地じゅうのスピーカーから、とてつもなく大きな金切り声が響き渡った。

「よおおおうこそ、デビルランドへぇええええ!」

 そうして、混乱するぼくらをよそに、そいつは馬鹿げた〈デスゲーム〉とやらについての説明を始めたのだった。

 そいつは自分のことを〈ゲームマスター〉、ぼくらのことを〈参加者〉と呼んだ。

「ふざけるな!」

 と、威勢よく叫んだのは誰だったか、今となっては思い出せない。

「……というわけでえええ、みなさんを襲うあたくしたちのペッッットが、こちらでええええええす!」

 ゲームマスターがそう言うと、そこらじゅうのアトラクションのかげから、さまざまな異形のバケモノたちが姿を見せた。

 生徒たちはみな、半狂乱となった。

「ご安心をおおおおう!」

 ゲームマスターは楽しそうに叫んだ。

「みなさんにはぁぁああ、特別な能力を授けますからああああ! それはあたくしたちのペッッッットにも勝るるるるるう、〈悪魔の肉体の一部〉でええええす!」

 ゲームマスターがそう言うや否や、ぼくらの肉体の一部が、悪魔の肉体とやらに変貌した。ある者は片腕が巨大なやりとなり、ある者は肩甲骨から翼が生え、ある者は特殊な瞳を開眼した。

 そして、ぼくらはその〈悪魔の肉体の一部〉を駆使し、バケモノたちと殺し合うことになった。

 とどのつまり、「与えれた悪魔の能力をうまく使って生き残れ」なんていう、下卑げびたデスゲームである。なんのためにそんなことをするのか、さっぱり不明。

 で、あっという間に、みんな死んだ。

 生徒も、教師も、親友たちも、みんなみんな死んだ。

 ──だいたいが不公平なのだ。バケモノは全身があますことなくバケモノなのに、ぼくらは肉体の一部だけがバケモノ。しかも人によっては、〈悪魔の額(ひたい)〉だとか、〈悪魔のうなじ〉だとか、そんな馬鹿らしい限定的なものなのだ。

 かくいうぼくも、戦闘においては大して使い物にならない能力、〈悪魔の膝(ひざ)〉だった。

 ……だけど、生き残った。走って走って走って、生き残った。〈悪魔の膝〉は、逃げ回るのにはうってつけの能力だった。できれば〈悪魔の脚〉くらい欲しかったけれど……ついにぼくはここまできたのだ。ぼくら生き残りたちは、バケモノを掃討する間際まで生きのびたのだ。

 ただし、ぼくらもまた全滅する間際ではある。最後に残った人間は四人。そして、バケモノは強力なのが一体だけ残っている。

 その最後の一体が、今、ぼくの背後に迫っているのだ。

 いや──追わせているのだ。僕らの用意した罠のもとへ誘い込むため。


    *


「もう少し……もう少しだ……!」

 ぼくが向かっている先に、生き残った全員が待機している。

 生き残りの四人はそれぞれ、

 ぼく……黒谷和光くろたに わこう……能力〈悪魔の膝〉

 刺鉄賢太さしがね けんた……能力〈悪魔の鉤爪かぎづめ

 小脇蚕こわき かいこ……能力〈悪魔の耳〉

 そして、唯一の女生徒・葉ヶ由はがゆつむり……能力〈悪魔の心臓〉

 生き残ったぼくらは、最弱のチームだった。

 ぼくは膝が異形化し、悪魔的脚力を手にした。もしかしたら百メートル走の日本代表くらい早く走れるかもしれない。しかし前述した通り、戦闘には大して役立たない。

 小脇くんの能力も、サポートとしては優秀だが、やはり単独で戦闘するには役に立たない。聴力が増しただけだから。

 葉ヶ由さんの能力〈悪魔の心臓〉にいたっては、どうやら、極限状態においても緊張しなくなるという、そんな些細な能力らしかった。

 で、いわずもがな、賢太くんの能力〈悪魔の鉤爪〉が、ぼくらのなかで最も戦闘向き。右手首から先が、まるで爪長恐竜のように異形化しているのだ。

 しかし、ぼくらが生き残った理由は、賢太くんの能力のおかげとはいえない。

 そもそもぼくらは、バケモノたちと真正面から戦っていないのだ。

 逃げ、隠れ、逃げ、隠れ……最後にはバケモノを罠にハメる。そうやってここまで生きのび、最後の一体というところまできたのだ。

 そしてこいつもあと少しで、ぼくらの用意した死の棺桶──ガソリンを溜めた落とし穴へと、まんまと突っ込むことになるだろう。

「見えた……あと……少し!」

 ぼくは走る。走る。走る。

 みんなが待機している場所が、すぐそこに迫っている。

 石畳いしだたみを剥がすところから、何日もかけて作った落とし穴。やっとのことで手に入れた、大量のガソリン。

 ぼくはいよいよ高揚していた。なにせ最後の一体。ぼくらはもうすぐ帰ることができるのだ。〈ゲームマスター〉はぼくらに約束した。このゲームに生き残った者は、ぼくらのことを解放すると。

「あと少し……あと少し!」

 落とし穴は、もう、すぐ目の前。

「和光ー! いけー!」

 木陰から賢太くんの雄叫びが聞こえた。うっすらと小脇くんの声も聞こえる。いけ、いけ、いけ黒谷くん! そう言っているのが聞こえる。

 ぼくは走る。走る。走る。

 背後から凄まじい勢いでバケモノが追ってくる。

 ぼくは走る。走る。走る。

「黒谷くん!」

 葉ヶ由さんの声だ。

「黒谷くん! がんばれ! あとちょっとだよ!」

 目の前にゴールテープが見えるようだった。

 やっと。やっとだ。

 これまでに一体、何人の死を見た? 四十二名中、一体、何十人の死を見た? 

 それがついに、ぼくらはここまできた。やったのだ。やってやったのだ。

 ぼくらは、ついに勝利するのだ──


 と、まあ、

 そんな簡単にいくわけがない。

 そうなのだ。世の中こんなにうまくはいかない。

 ぼくは、最後まで走り抜け、バケモノを落とし穴に落とすことができた。

 そして火を放ち、瞬く間に、バケモノは炎に包まれた。

 勝利を確信した。

 が、バケモノは、死ななかった。


「うそ……だ……」

 化け物は炎をまとって落とし穴から這い上がってきた。しかも、魑魅魍魎ちみもうりょうのごとく、何千という数に分裂して。

「逃げろおおお!」

 賢太くんが叫んだ。葉ヶ由さんは悲鳴をあげ、小脇くんは泣きわめいた。

 僕は走った。ふたたび走った。

 バケモノは小さくなった分、素早くなっていた。

「うわあああ!」

 小脇くんがバケモノに捕まった。

「蚕ぉぉぉ!」

 賢太くんが引き返した。助ける気だ。いや、もう助からないのは明白──小脇くんはすでに全身を魑魅魍魎たちに食いつかれ、炎に包まれている。

「ダメだ賢太くん、逃げて!」

 ぼくは必死になって叫んだ。が、賢太くんは逃げなかった。彼はもう逃げるのをやめたのだ。戦うことに決めたのだ。賢太くんは鉤爪を振るって化け物たちと戦い始めた。

 ぼくもついに立ち止まってしまった。戦うべきか、否か。

「ちくしょう……ちくしょうちくしょうちくしょう……!」

 ぼくは死にたくなかった。戦いたくなかった。本当、とことん臆病だと思う。でも、どうしようもないのだ。ぼくという人間は、弱いのだ。

「黒谷くん、逃げよう!」

 葉ヶ由さんはぼくの手を握った。

「葉ヶ由さん……!」

 ぼくは手を握り返し、涙ながらに走り出した。

 ぼくと葉ヶ由さんは逃げた。逃げた。逃げた。

 走って走って走って、逃げた逃げた逃げた。

 やがて、ぼくは疲れてしまった。心も体も何もかも。

 葉ヶ由さんも、もう歩くことすらままならないようだった。

「ごめん……葉ヶ由さん……ぼくは君を守れるだけの力がない……終わりだ……もう……」

「黒谷くん……」

 ぼくらはふたり、倒れ込んだ。

 その周りを、炎をまとった化け物たちが囲む。

 ──と、そのときだった。

「困りますねえええ、全滅というのは!」

 ゲームマスターの声だった。

「せっかくここまでやってきたんですからああ、お二人にはチャンスをあげましょおおおう」

 バケモノたちはよだれをたらしながらその場にとどまり、獲物に食いつけるその瞬間を待ちどおしそうにしていた。

「チャンスって……何なんだよお前……おちょくるのも……たいがいにしてくれ……」

 ぼくは弱々しくうめいた。

「なに、なんなの、チャンスって!」

 葉ヶ由さんが叫ぶ。

「お願い、教えて!」

 すると、下品に笑って、ゲームマスターはこう言った。

「生き残ることができるのは、どちらか一人。選んでくださいませ。どちらが生き、どちらが死ぬかを。そして、その手で終止符しゅうしふを打ってあげるのです。生きて帰る者が、もう一方の命を刈り取るのです。ククク……!」

 ぼくは愕然がくぜんとした。

 こいつらはどこまでもぼくらのことを馬鹿にして楽しんでいる。

 葉ヶ由さん、死んでくれ。なんて言えるわけがない。葉ヶ由さん、ぼくの分まで生きてくれ。そう言うほかないだろう。

 考えているうちに、ぼくはガタガタと震え出した。

 言えない。自分が死ぬなんて言いだせない。ぼくにはそんな度胸はない。

「黒谷くん……」

 おもむろに、葉ヶ由さんが切り出した。

「私が死ぬから……黒谷くんは、生きて……」

 葉ヶ由さんは涙声で、そう言ったのだった。

「葉ヶ由さん……そんな……!」

 ぼくは自分が情けなくて、それこそ死にたくなった。

「だめだ……そんなのだめだ……だめだよ……葉ヶ由さん!」

 が、やはり言えなかった。ぼくが死ぬよなんて言えなかった。

「じゃあ……」

 と、葉ヶ由さんは両手をぼくの頬に触れて、ぼくをまっすぐに見つめた。

 葉ヶ由さんは涙を流しながら、しかし、いじらしく微笑んだ。

「一緒に……死ぬ……?」

 時が止まった。

 ぼくらはしばらく、静止した時のなかで見つめ合った。

 やがて、ぼくがその針を刻んだ。

「うん……そうしよう……」

 だって、もう、疲れたから。

 何もかも疲れたから。

「一緒に死のう」

 ぼくはハッキリと、そう言った。

 なんだか不思議な勇気が湧いてきた。それは生きる勇気でも死ぬ勇気でもなく、誰かを愛する勇気だった。

 ふと、葉ヶ由さんはぼくを見つめたまま、その顔をゆっくりとぼくの顔へ寄せた。ぼくは葉ヶ由さんのはかなげな表情を見つめ、うるんだ瞳を見つめ、それから、くすんでしまった唇を見つめた。

 そうして、自ら闇のとばりを下ろし、ぼくらは唇を重ねた。


 どのくらい唇を合わせていたのかぼくにはわからない。ぼくは無限の空間のなかを永遠に走りまわるような思いだった。そこには今までにない、心地よい風が吹いていた。そして、葉ヶ由さんの舌先とぼくの舌先が触れたその瞬間、無限のなかに小宇宙が生まれ、ぼくの肉体のすべては融解ゆうかいし、おなじく融解した葉ヶ由さんと神秘的に溶け合った。

「黒谷くん……」

 葉ヶ由さんの囁き声が、宇宙全体にしっとりと沁み渡った。

「黒谷くん……ごめんね……」

 次第に、ぼくは息苦しくなってきた。呼吸はしているはずだった。が、おかしい。どうにも、うまく酸素を取り込めない。さらには、動悸どうきが異常じみてきて、鼓動のたび全身を不快な電気が駆けた。

「黒谷くん……ごめんね……」

 なぜ、謝るのか? ぼくは理解するすべを失っていた。頭がまわらない。

「黒谷くん……本当のことを言うとね……」

 葉ヶ由さんが、唇を離した。

 葉ヶ由さんは、相変わらず微笑んでいた。

「わたしの能力は……〈悪魔の唾液腺(だえきせん)〉なの……」

 その微笑みは美しかった。とにもかくにも、何にせよ、美しかった。

 それは、散りゆく花の儚さでありながら、同時に、つぼみの喜びだと思った。

 ながめているうち、ぼくはどんどん熱く、切なく、あるいは冷たく、嬉しくなり……

 そうしてぼくは、あまりにも息苦しい恋によって、窒息してしまった。

  

 おめでとう、葉ヶ由さん。

 君こそは、悪魔として生きるにふさわしい。


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